2013.06.06

5大会連続のW杯出場を節目に日本サッカーの歴史を振り返る

Japan v Australia - FIFA World Cup Asian Qualifier

 6月4日、かつて日本代表がワールドカップで史上初の勝ち点1を獲得した日だった。11年前と同じ日、同じ場所で、今回はワールドカップの出場権を初めてホームで獲得した。

 日本は、ブラジル・ワールドカップ出場権をかけたアジア最終予選で、オーストラリア代表と対戦し、1-1で引き分けた。本大会出場を決めたことで、11年前と同様に超満員に膨れ上がった埼玉スタジアムは祝福ムードに包まれ、もはや代表戦ではお馴染みとなった渋谷の若者が大騒ぎを起こす様子も、相も変わらず繰り返された。初めて自国で出場権を獲得したことに加え、終了間際に追いついた試合展開も重なって大きな盛り上がりを見せたが、一方で選手達は冷静な反応を見せた。

 出場権獲得から一夜明け、会見に出席した本田圭佑が、「どうやって自立した選手になって、個を高められるか」と今後の課題を語ったことをはじめ、長友佑都も「これから厳しい戦いが始まるという危機感の方が強い」と話したように、選手達は既に1年後の戦いを見据えている。「ワールドカップで優勝する」と公言する選手が何人も出てきていることには、かつての日本サッカーを思えば頼もしさとともに、大きな成長を覚えるものである。

 何しろ、少し前までは日本にとってワールドカップ出場は縁遠いものだった。1986年メキシコ・ワールドカップ出場をかけた最終予選では木村和司の伝説的なFKが生まれ、1994年アメリカ・ワールドカップをかけた最終予選では、三浦知良の活躍もあり、初の本大会出場に大きく近づいた。しかし、前者は韓国の前に連敗してメキシコへの道は途絶え、“ドーハの悲劇”として有名な後者も、出場権は獲得寸前で手元からするりと抜け落ちた。

 ただ、印象深い2つのワールドカップ予選の間にあたる1990年イタリア・ワールドカップの予選で、日本は北朝鮮に次ぐグループ2位となり、1次予選敗退を余儀なくされていた。インドネシアを西が丘サッカー場に迎えた一戦では、大勝を収めたものの、あまりのグランドコンディションの悪さにインドネシア側から苦言を呈されている。当時の日本サッカー界の状態を端的に表すエピソードだったが、そこから四半世紀程で一気に加速度的な成長を見せた。現在は、ワールドカップの決勝トーナメントに2度進んだ経験を持ち、選手達はヨーロッパのビッグクラブに在籍している。初の本大会出場を決めた16年前は出場自体が悲願であったにも関わらず、現在は出場が当然視されるようにもなった。

 一見すれば、短期間に驚異の飛躍を遂げたようにも見ることができるが、実際は長年の積み重ねの結果とも言える。

 日本代表の躍進の主要因にJリーグ発足が挙げられるが、設立に尽力した川淵三郎氏や現在の日本代表を率いるアルベルト・ザッケローニ監督を招聘した原博実技術委員長は、ワールドカップ出場を果たせずに涙を飲んでいる。しかし、現役引退後も衰えぬ情熱によって日本サッカーを発展させてきた。

「正直言って、日本でサッカーがここまでフィーバーする、熱狂的なファンのみなさんが生まれるとは、当初は想像していなかった」

 日本がワールドカップ出場はおろか、Jリーグすら設立される遥か前。35年以上前から日本代表をスポンサードしているキリンビールの磯崎功典社長は、支援当初を感慨深げに振り返った。

 まだまだ、マイナースポーツでしかなかった時期から、日本にはサッカーに情熱を傾ける人々がいた。

 オーストラリア戦のテレビ視聴率が40パーセントに迫り、本大会となれば更なる高視聴率が予想され、」日本代表戦は国民的な関心を寄せるまでになった。チーム自体もワールドカップ出場が目標ではなく、本大会で結果を残すことが求められるようになり、何より選手達がその結果を求めている。安易な称賛は慢心を生み出す可能性はあるが、それでも出場が当たり前と思われる中、きっちりと結果を残した選手達には称賛されるべきだと思う。

 そして同時に、ワールドカップ出場という節目において過去を振り返ることで、日本サッカーに関わってきた人々の積年の献身に、感謝と賛辞を送りたい。

文●小谷紘友