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フットボールはどこまで売れるのか、スポンサービジネスの最新事情に迫る

2013.05.05

HANGZHOU, CHINA - JANUARY 15: (CHINA OUT) (L-R) English former footballer Andy Cole, Wahaha Group Chairman Zong Qinghou and Manchester United Asia Pacific Managing Director Jamie Reigle attend a signing press conference between Manchester United F.C. and Wahaha Group on January 15, 2013 in Hangzhou, China. Manchester United signed a three-year sponsorship deal with Chinese soft drinks manufacturer Wahaha. (Photo by ChinaFotoPress/ChinaFotoPress via Getty Images)

[ワールドサッカーキング0516号掲載]
Manchester United Signs Sponsorship Deal With Wahaha
文=アンドリュー・マレー Text by Andrew MURRAY
翻訳=岡村光子 Translation by Mitsuko OKAMURA
写真=足立雅史、ゲッティ イメージズ Photo by Masashi ADACHI, Getty Images

ポテトチップス、ビール、タイヤ、スクーター、クレジットカード……。現代のクラブはただのフットボールチームではなく、一種のブランドと化している。巨大化するコマーシャルビジネスの背景に、英国の専門誌『FourFourTwo』が迫る。

次々と増え続ける公式スポンサー

 その週は、難敵との激しい打ち合いに始まり、クラブの公式サイトでひっそりと発表されたプレスリリースで終わった。1月13日からの慌ただしい5日間で、マンチェスター・ユナイテッドはリヴァプールを2-1で倒し、ウェストハムを下してFAカップ4回戦に勝ち進み、ピッチの外では100万ポンド(約1億5000万円)以上のグローバルパートナーシップを発表した。中国のクレジットカード会社と飲料メーカー、そして日本最大手の塗料メーカー、関西ペイントというオフィシャルペイントパートナーまで獲得した。

 それから3カ月のうちに、ユナイテッドはチャンピオンズリーグとFAカップで敗退したが、代わりにデンマークのクレジットカード会社にコマーシャルライセンスを売った。4試合を残してプレミアリーグ優勝を決めた4月下旬の時点で、公式サイトには33ものオフィシャルパートナーが並んでいる。

 市販のトレーニングビブスから、インスタントヌードルやタイヤまで、ユナイテッドのエンブレムはありとあらゆるものに貼りつけられている。これは、このクラブが収入面でイングランドのライバルたちを圧倒し、20億ポンド(約3000億円)を超える資産価値を認められている理由の一つだ。

 しかし、スポンサービジネスはいつの間にこれほど巨大なものになったのだろう? そして、フットボールクラブはどこまで売り物にしても許されるのだろうか?

 それを知るためにはまず、フットボール界におけるスポンサーシップの歴史をひも解く必要がありそうだ。

90年代に加速した商業化の流れ

 イングランドのフットボール界は、コマーシャルビジネスの可能性に敏感だったわけではない。FA(イングランドサッカー協会)のルールに縛られていたイングランドのクラブが、シャツ・スポンサーの流れに加わるのは比較的遅かった。主要なクラブでは1979年7月、リヴァプールが日本の電機メーカー、日立にユニフォームの胸部分を売り渡したのが最初だ。その金額はたったの5万ポンド(当時のレートで約2700万円)で、当時でも冷笑されるほどの安値だった。広告企業の幹部を務めるピーター・ワースは言う。「リヴァプールはクラブの価値を過小評価していた。20万ポンド(約1億1000万円)の契約でもおかしくなかったのに」。いや、200万ポンド(11億円)でも高くなかったと言う者もいる。

 もっとも、当時のシャツ・スポンサーはさほど価値があると思われていなかった。スポンサー名を最も影響力のあるメディア、すなわちテレビに映すことがFAに禁じられていたからだ。このルールは83-84シーズンまで続いた。

 だが92年、プレミアリーグの出現によって、フットボールにおけるマーケティングは大きく様変わりする。何と言っても、この新設されたリーグは発足2年目から、リーグ名そのものにスポンサーがついていた(最初は「カーリング・プレミアシップ」、今は「バークレイズ・プレミアリーグ」が正式名称だ)。それから10年で、スタジアムの命名権、スポンサーロゴの入ったボードを背にした記者会見、新たな財源になりつつあるアジアでの大人気、といった光景はすっかり見慣れたものになった。

 2002年には中国の携帯電話会社、科建(ケジャン)がエヴァートンのスポンサーとなり、欧州のクラブと契約した最初の中国企業となった。今シーズンはマレーシア、タイ、キプロスなどの企業が、アストン・ヴィラやQPR、フルアムのユニフォームの胸を飾っている。「アジアでマーケティングを行いながらパートナー企業に支援してもらうのは、これ以上ないもうけ話だよ」。クラブと外国企業の契約交渉に関わってきたある関係者は言う。「資金を手に入れながら、露出を増やし、新しいファンを獲得できるんだからね。うまくやれば、無限の可能性がある」

ライバルを圧倒するビジネスパワー

 今では欧州中の大小のクラブが新たなスポンサー獲得に躍起になっているが、マンチェスター・ユナイテッド独自の優れたセールスモデルは、単なるシャツ・スポンサーシップの次元を超えている。1月に世界的な監査会社デロイトが公表した「フットボール・マネーリーグ」(世界のフットボールクラブの収入ランキング)によれば、ユナイテッドは11-12シーズンにチケット収入とテレビ放映権、商業収入を合わせて、プレミアリーグのどのクラブよりも多い3億3000万ポンド(約495億円)を稼ぎ出した。ユナイテッドより稼いでいるのは、リーガ・エスパニョーラのテレビ放映権をほぼ独占しているレアル・マドリーとバルセロナだけだ。

 スポンサーからの収入はユナイテッドの総収入の37パーセント。これはチケットや放映権による収入よりも多い。彼らには40社を超える通信企業との契約が世界各国にあり、それらはブルガリアからブルキナファソにまでわたる。それぞれが100万ポンド(約1億5000万円)から200万ポンド(約3億円)の契約だが、すべて合わせれば、世界規模の大型契約よりもはるかに大きな収入になる。そこに、チリのワインメーカー、「カッシェロ・デル・ディアブロ」やマレーシアのスナックメーカー、「ミスター・ポテト」といったオフィシャルパートナーを足し合わせれば、ユナイテッドのビジネスパワーの源泉がどこにあるのかは明らかだろう。「我々は『マンチェスター・ユナイテッド』という名前のライセンス料で収入を増やし、世界中のファンとの距離を縮め、チーム強化のために資金を使う」。そう語るのは、ユナイテッドの巨大なセールスプロジェクトの中心にいるリチャード・アーノルドだ。コマーシャルディレクターを務める彼は、配下に80もの有能な営業チームを持ち、世界中から新たなスポンサーを探し出しては、クラブのブランドを金に換えている。「例えば航空会社はグローバル企業だから、パートナーが一社あればいい。だが、クレジットカードや携帯電話は国ごとに法規制があり、各国に異なる企業がある。だから、それぞれとパートナーシップを結ぶ必要がある」

 これが小規模なクラブであれば、専門の代理店と手を結んで任せてしまうところだが、ユナイテッドはすべてクラブが管理する。機動力のある営業チームがどのクラブよりも迅速に動き、素早く契約をまとめ上げる。

クラブイメージを維持するか変えるか

 スポンサーを集めれば集めるほど、クラブはそれに見合った協力を求められる。だから、アンディ・コールやペーター・シュマイケルといったユナイテッドのOBたちは、イベントや握手会のために世界中を飛び回っている。目ざといサポーターは、ウェイン・ルーニーやライアン・ギグスが出演している、アジア向けの珍しいCMをYouTubeで見つけたりする。「やりすぎ? そうは思わない。スポンサーがかぶらないように細心の注意を払っている」。アーノルドはそう語り、そもそもこれらの広告はイングランドのファンを対象にしたものではない、と付け加える。「この広告を見る前、『ミスター・ポテト』が何のことか知っていたかい?」

 重要なのはユナイテッドのイメージを維持することだ。スポンサーのCMや広告によって、ブランドイメージが落ちるようでは逆効果になりかねない。サポーターの多くは、愛するクラブが商売道具になることを快く思わない。

 ただし、チームの強化費用を得る必要性はサポーターも理解している。バルセロナは来シーズン、ユニフォームの胸スポンサーを慈善団体のカタール財団から、カタール航空に変更すると発表した。これは設立から110年以上に及ぶクラブの歴史上、初の商業スポンサーとなるが、バルセロナでは既に10年前、ソシオ会員の9割がシャツ・スポンサーを支持していた。つまり、サポーターの大半はフットボール界の変化を認識していることになる。「最高のクラブであり続けたいのなら、資金が必要だ」

 バルセロナのサンドロ・ロセイ会長はシンプルに言う。「我々に打てる手は限られている。この経済不況では、放映権料も減少するだろう。チケット料を上げる、施設を売るという方法もあるが、私はどちらもしたくない」

 スポンサーに合わせてブランドを作り直す手段に出るクラブもある。クラブカラーに敏感なアジア諸国にアピールするため、カーディフのオーナーであるヴィンセント・タンは、伝統の青いユニフォームを赤に変えた。異議を唱える声が圧倒的だが、地元ウェールズでは、8300万ポンド(約125億円)もの負債を抱えるクラブに収入源を選んでいる余地はないと、この決断を認める声もある。「ポーツマスみたいに破産するよりましさ」。サポーターのピーター・ロビンズは言う。「いい気はしないけど、仕方ないよね」

 オーストリアのザルツブルクのような例もある。05年に経営危機に直面した時、サポーターはクラブがレッドブルのオーナー、ディートリッヒ・マテシッツに買収され、地元に住むフランツ・ベッケンバウアーが顧問として招かれると聞いて喜んだ。だが、栄養ドリンクで財を成した大物実業家は「歴史のない、新しいクラブに生まれ変わる」と宣言し、クラブ名を「レッドブル・ザルツブルク」に変更。紫色のクラブカラーを赤と青に変えた。「何色だろうと関係ない」とベッケンバウアーは言った。「重要なのは、チームが勝つことだ」

 生まれ変わったザルツブルクはほとんどのサポーターを失わずに済んだが、残りのサポーターは5カ月間に及ぶ抗議活動の末、「オーストリア・ザルツブルク」という新クラブを立ち上げた。この時、レッドブル・ザルツブルクは真新しいウェブサイトに皮肉めいたお祝いの言葉を載せている。「ザルツブルクの地に、紫と白のクラブが再び戻って来た。世界はよりカラフルになったのだ!」

 レッドブル・ザルツブルクはそれから7年で4回リーグを制した。一方、オーストリア・ザルツブルクは数千人のサポーターの前で、3部リーグでプレーしている。

コラム『英国の論点』の続きは、今号からリニューアルしたワールドサッカーキング0516号でチェック!

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