2014シーズン、ガンバ大阪はヤマザキナビスコカップ、J1リーグ、そして天皇杯を制し、J2からJ1への昇格、即、三冠の偉業を成し遂げた。スタジアムDJを務める仙石幸一さんは、チームの成長を非常に近い位置から見守っていた。
2001シーズンからガンバ大阪のスタジアムDJを務め、今年で15年目になる。サポーターのみならず、選手からも愛される存在の彼が、そもそもサッカーに興味を持つようになったきっかけとは、何だったのだろうか。
「中学2年生の時にNHK で1990年イタリア・ワールドカップを見て、『こういう世界があるんや』とすごく衝撃を受けました。それまでは『キャプテン翼』のような漫画の世界でしかサッカーを知らなかったので、『日本から離れた土地では本当にこんなことをやっているんや』と驚きましたね」
少年はワールドカップを契機に、漫画では感じることのできないリアルなサッカーの魅力にどっぷりはまっていく。
ガンバ大阪のスタジアムDJになったのは、仕事でかわした会話と予期せぬ出会いが始まりだった。
「空き時間にしょっちゅう、一緒に仕事をしているスタッフ仲間でサッカーの話をしていたんです。すると、それを偶然聞き付けたガンバのスタッフが『ちょうど今、スタジアムDJを探しているから』と声を掛けてくれました」
その当時、自らが一般的な社会人生活を送る姿は考えられなかったという。
「毎朝、スーツを着て会社で仕事をして、定時になったら帰宅するという生活スタイルが想像できなかったんです。スーツを着るような職種を外して、選択肢が限られる中、自分に合いそうな仕事を探していった結果、スタジアムDJやラジオDJのような仕事に行き着きました。こういう仕事って、やりたいと思ってもそう簡単にできるものではないので、面倒を見てくれている所属事務所のおかげですね」
ガンバ大阪のスタジアムDJとなって15年間にわたり、試合会場を盛り上げてきた。特に思い出に残っているシーズンは、J1リーグ優勝を果たした2005シーズンと、J2降格の屈辱を味わった2012シーズン、全く成績の異なる2つのシーズンだという。
「シーズン終盤で苦しみながら、初めて優勝の瞬間に立ち会えた2005シーズンは印象的ですね。2001年にスタジアムDJを始めて、そこから右肩上がりにガンバが強くなっていった時期をずっと経験していたので、2012シーズンに降格が決まったのが信じられなくて。『降格する時はこんな感じなんや』って思ったし、あのシーズンは何かずっとしんどかったですね」
「サポーターと制作サイドの思いをうまくリンクさせたい」
ガンバ大阪のホームゲームでは、試合前に『Love Football』という場内番組が放送される。約30分間、選手のインタビューや試合の見どころなどを映像で紹介し、スタジアムに来てくれたサポーターを少しでも楽しませられるように、という工夫がなされている。
『Love Football』には仙石さんがインタビューする「GROWING LIFE」というコーナーがあり、選手の生の声をサポーターに届けている。仙石さんはこの番組の中で何度もインタビュー取材をしてきたが、その中で特に記憶に残る選手が何人かいるという。
「ツネ(宮本恒靖/現ガンバ大阪アカデミーコーチ)はやっぱり強烈というか、スポーツ選手にインタビューをしている感じがなかった。それは彼の受け答えの姿勢だったり、言葉の選び方だったり、そういうところの一つひとつが、若いのに洗練されていましたね。会話の中にインテリジェンスが感じられて、ツネのインタビューはとても面白かったです。中澤聡太(現セレッソ大阪)はツネとは異なるタイプだけど、タレント性をすごく感じました。あとは、二川孝広はあまりしゃべらないというか、最近は年相応に受け答えができるようになってきましたけどね(笑)。長くやっていれば、そういった小さな変化にも気づきます。この仕事ならではの貴重な財産ですね」
ずっとチームと一緒に歩んできた。だからこそ分かることがある。仙石さんは番組作りに対し「サポーターと制作サイドの思いをうまくリンクさせたい」と打ち明ける。制作スタッフのチームに対する思いをサポーターに漠然と伝えるのでなく、“思い”をぶつける。そうした考えのもとで番組は制作され、サポーターの元に届けられている。
「相手の言っていることをしっかり聞く」
選手が本音を語るインタビューは面白い。仙石さんが普段心掛けていることは、“聞くこと”だという。
「例えば、質問事項を5つ用意したとしても、すべてを投げかけるのではなく、1つの話だけが膨らんでもいいと思っています。こちらの問いに対してどういった答えが帰ってくるのかは分からないから、相手の言っていることをしっかり聞いて、本音を引き出すことが大事です」
番組の中では、試合内容だけでなくオフ・ザ・ピッチの話題を選手に質問することもある。サポーターにガンバ大阪のことをより深く知ってもらうために、選手との距離感に気を配りながらインタビューに臨んでいる。
「相手との距離を縮めるために、しっかり準備をしたり、喜びそうな話をしたりと、いろいろ考えています。本音を聞き出す方法や、相手のキャラクターを引き出すコツは様々です。インタビューをたくさん経験していく中で身に付くものなのでしょうね」
ガンバ大阪の軌跡を15年間見続けてきた仙石さんは、スタジアムDJとしての自身の未来を、どのように描いているのだろうか。
「おじいさんになってスタジアムDJを続けている自分は正直、想像できないけど、そういうDJがいても面白いかもしれないし、ホンマにその年齢になってみないと分からない。そう考えると、1、2年後ぐらいまでは何となく分かるような気がするけど、その後はどうでしょうね。おじいちゃんになってもやれていたら面白いな、とは思いますね」
今しかできないことに全力で取り組む。日々ひたむきに継続して今がある。そうした姿勢が、ガンバ大阪を取り巻くすべての人に愛されている理由の一つだ。
「スタジアムに来ているサポーターと、チームに対する思いは一緒」
万博記念競技場で勝利した後、選手たちはセンターサークルで円になる。サポーターとともに勝利の喜びを分かち合う、恒例の「ワニナレナニワ」である。
「チームに対する思いはスタジアムに来ているサポーターと一緒です。勝ったらうれしいし、負けたら悔しい。そういうところでは何ら変わりがない。これからも仲間たちと一緒に喜びたいし、悔しさを分かち合いたいですね」
選手らは場内を一周すると、仙石さんが音頭を取って万歳三唱を行い、「ウイニングガンバ!」と叫びながら拳を突き上げる。勝利の喜びをスタジアム全体で表現することで、選手、サポーター、そして仙石さんが一つになる。
「俺たちが大阪さ! 青と黒、俺らだけ!」。おなじみのチャントとともに、ユニフォームの胸に輝く星とともに、熱気を帯びたスタジアムでは仙石さんの声が今日も響き渡る。
インタビュー・文=中本宏樹(サッカーキング・アカデミー)
写真=小林浩一(サッカーキング・アカデミー)
●サッカーキング・アカデミー「大阪スクール 編集・ライター科」の受講生がインタビューと原稿執筆を担当、「カメラマン科」の受講生が写真を撮影しました。
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