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【バルセロナ通信】カタルーニャ語は大阪弁ではありません

2014.02.26

文=山本翔

“¡Gracias! Adiós”
“Adéu”
“はぁ?”

僕がこのバルセロナへの留学に来る前に頭を悩ませていたことの一つに、カタルーニャ語(カタラン)の存在があった。バルセロナでは一般にスペイン語と呼ばれるカステジャーノとカタランの二言語が公用語として話されていると知っていた。そのため、バルセロナでの生活は、カタランに囲まれながらカステジャーノを学ぶ必要がある。人々も、独立意識が他一倍強いカタルーニャにあって、身構えていた。

しかし、それは杞憂に終わった。

始めに書いた会話は、バルセロナへ来て最初に道を案内してくれたおじさんとのものだが、僕が¡Gracias! Adiós. (ありがとう!じゃあね)とカステジャーノで言うと、おじさんはAdéu(じゃあね) とカタラン語で挨拶した。「はぁ?」とその時はびっくりしたものの、このカタランとカステジャーノの混ざり合ったバルセロナという街である程度生活してみると、あまり気にならないことに気付いた。むしろ今ではカタランを操り、武器にしているぐらいだ。

例えば僕がホームステイをしている家族がパーティを開いて会話が盛り上がっているときに、前日にホストマザーに教えてもらったカタランで“それ、すげぇやん!”といきなり言うと“何でそれ知ってるんだよ!お前最高だな!”と非常に喜んでくれ受け入れてくれるのだ。日本語を学びに大阪へ来た留学生が関西弁をいきなり話しだす、と言ったところだろうか。

 カタランはスペイン国内において特徴的な歴史的背景を持っている。その代表的な例がスペイン内戦後のフランコの独裁政権におけるカタラン禁止令だ。フランコの政権が終わるまで、約40年間カタルーニャの人々は密かに子から孫へと伝えていった。フランコの死後、カタランは正式に認められ公の場で伝承されていくことになった。

 ホストマザーが教えてくれとことに面白いものがあった。カタルーニャには多くの他のスペイン国内から移住してきた人がいて、それらの人々がカタランを学んで話そうとしても、彼らの話すカタランはカステジャーノ化されたカタランになるのだという。それは大阪人が東京に働きに行き、標準語になれたとしても少し関西弁の名残が残ってしまうのに似ているだろうか。今はLleidaやGironaというバルセロナよりも閉ざされた街の方が純粋なカタランが話されているらしい。

しかし、カタランは大阪弁のような方言の域にとどまらないところがある。

例えば大阪弁話者は、生まれてこのかた大阪弁に囲まれて育ってきた。標準語は国語の授業で習いはしたものの。話し言葉は全て大阪弁、メールも大阪弁、改まった場所でも、イントネーションは訛る。

しかし、カタルーニャの人々はカステジャーノとカタランを小さい頃からしっかりと教育されてきて、完璧に“二言語”として話すという。

カタランには教科書があり、辞書があり、弾圧された歴史があり、それを学ぶための学校も少なくない。さらにカタランを独立した武器にしている点も見逃せない。

彼らはカタランを話すとき、僕たち大阪人が大阪弁を話す時とは異なる感覚で、独立した一つの言語として話すのだ。

 おもしろいのが、FCバルセロナの記者会見だ。シャビにカタランで質問する記者もいれば、カステジャーノで質問する記者もいる。シャビはそれぞれの言語で答えていた。これは日本ではお目にかかれない光景だ。記者会見で大阪出身の本田圭佑に大阪弁で質問はしないだろう。これが、方言とカタランの大きな違いであり、カステジャーノとカタランは約80%近く類似しているが、独立した他言語ということを証明していると。カタランは、独立を目指すカタルーニャのシンボルなのだ。カタルーニャ自治政府代表のArtur Masは、たとえカステジャーノでの取材であってもカタランで答えるのだ。これは少し極端な例でもあるらしいが……

単なる一方言ではなく、独立した言語として認められているカタランには、まだまだ発見できることが多そうだ。

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地下鉄の中に貼ってある注意事項。カタラン、カステジャーノ、英語の順。

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スペイン全国チェーン百貨店であるエルコルテイングレスでも、広告はカタランで。


バルセロナのバス観光ツアーの看板。左上からカタラン、カステジャーノ、英語、フランス語の順。バルセロナに観光に来てバスツアーに乗る人々のうち何人がカタラン語を選ぶのだろうか。

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