
文=クリス・ヘザラル Text by Chris HATHERALL 翻訳=田島 大 Translation by Dai TAJIMA
<<欧州王者チェルシーFCが築いた歴史…国際化の1990年代
21世紀に入るとチェルシーは、新たな歴史を築き始めた。2000年、イタリア人のクラウディオ・ラニエリが指揮官に就任し、さらなる飛躍を目指している最中だった。しかし当時、クラブは深刻な財政問題を抱えていた。そして2002-03シーズンのプレミアリーグ最終節、ホームでのリヴァプール戦を迎える。この試合で勝利したチームがチャンピオンズリーグ出場権を獲得するというビッグマッチだった。当時、この一戦がクラブの命運を左右する重要な試合になるとは、誰も考えてはいなかったことだろう。
時を同じくして、あるロシアの大富豪がイングランドを回りながら買収するクラブを探していた。候補に挙がっていたクラブは、ロンドンのトッテナムとチェルシーである。そして、リヴァプール戦でのイェスパー・グレンケアの決勝ゴールは、クラブ史上最も価値のあるゴールとなった。リヴァプールに勝利したチェルシーは、翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場権を獲得。そのことをきっかけに、2003年7月2日、ロマン・アブラモヴィッチがチェルシーを買収を決意。“青の革命”が始まったのだ。
新オーナーの最初の仕事は、ロンドン南部を飛び回り広大な土地を探すことだった。そして、サリー州のコバムに世界に誇れる最先端のトレーニング場を建設した。
オーナーは続いて1億ポンド(約100億円)以上の補強費を投じ、クロード・マケレレ、アドリアン・ムトゥ、フアン・セバスティアン・ベロン、エルナン・クレスポといった世界的スターをかき集めた。アブラモヴィッチ政権の船出は、リーグ戦2位、チャンピオンズリーグではクラブ史上初のベスト4という好成績に終わる。しかし、ラニエリ監督はあっさりと解任され、オーナーの決断に多くのファンがショックを覚えた。しかし、彼らの驚きはすぐに歓喜へ変わることになる。
後任としてクラブに来たのは、ポルトで欧州制覇を成し遂げたばかりのジョゼ・モウリーニョだった。新指揮官は就任1年目でクラブに1955年以来となるリーグタイトルをもたらす。2005年はクラブ設立100周年にふさわしい栄光の1年となった。
だが、創設100周年のリーグ制覇は黄金期の幕開けにすぎなかった。翌シーズンにリーグ連覇を果たしたチェルシーは、2007年にFAカップとリーグカップのダブルを達成。タイトル獲得の最大の功労者であるモウリーニョは、UEFAからベンチ入り禁止処分を受けた際に洗濯カゴに隠れて控え室に忍び込むなど、その個性も群を抜いていた。ただ、同時に頑固さもトップクラスだった。その性格が災いしてオーナーと衝突。2007年9月に解任されることになった。
モウリーニョの後任としてシーズン途中から指揮を執ったアヴラム・グラントは、チームをチャンピオンズリーグ決勝まで導いた。モスクワで行われたマンチェスター・Uとの雨中の決勝戦はPK戦に突入。しかし、決めれば欧州制覇という運命のキックを託されたジョン・テリーが足を滑らせ、シュートは無常にも枠外に外れた。キャプテンは決勝戦から数カ月経っても、毎日40回はそのシーンを思い出すほど苛まれたという。
その後、シーズン途中から暫定監督を務めたフース・ヒディンクの下で再びFAカップを制覇。2009-10シーズンからはイタリア人政権が復活。カルロ・アンチェロッティ監督が就任1年目でクラブ初となるリーグとFAカップの2冠を達成した。その後、モウリーニョの元でコーチングスタッフとして働いた経歴を持つアンドレ・ヴィラス・ボアスが招聘されたものの、改革に失敗して志半ばで解任。指揮権はアシスタントコーチを務めていたロベルト・ディ・マッテオへ委ねられた。
驚くべきことに、オーナーの追い求めてきた夢が実現するのは、苦しみ続けた2011-12シーズンだった。高齢化が懸念されたチームは、チャンピオンズリーグで奇跡とも呼べる戦いを繰り広げ、圧倒的不利と見られたバルセロナとの準決勝に勝利。ミュンヘンで行われた決勝戦では、PK戦の末にバイエルンを下して頂点に登り詰めた。創立者の飼い犬がサッカー狂の友人に噛み付いていなければ存在することさえなかったクラブが、107年の歳月とアブラモヴィッチの投資の末、ついにヨーロッパの頂点に立ったのだ。
欧州最強クラブの称号を手にしたチェルシーは、次なるタイトルを目指して12月に来日。世界の名手をそろえる最強軍団は、いまだクラブが手にしたことのない“世界一”の称号を手にすることができるのか。