2012.11.01

欧州王者チェルシーFCが築いた歴史…国際化の1990年代

チェルシー 文=クリス・ヘザラル Text by Chris HATHERALL 翻訳=田島 大 Translation by Dai TAJIMA

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 チェルシーが国際的な強豪クラブという地位を確立したのは1990年。より正確に言うと、グレン・ホドルがチェルシーの監督に就任した1993年からである。クラブに新風を吹き込んだのは、他でもないホドルだった。

 トッテナムやイングランド代表で一時代を築いたホドルは、選手兼監督としてスタンフォード・ブリッジに到着。チームのスタイルとイメージを一新させ、スタジアムは活気と期待感に満ち溢れた。

 もっとも、チェルシーがヨーロッパで一目を置かれる存在になったのはピッチ上の結果ではなく、移籍市場での積極的な動きにあった。1995年、ホドルはオランダの英雄ルート・フリットを口説き落とすと、マンチェスター・Uからストライカーのマーク・ヒューズを獲得。ルーマニアのスター選手ダン・ペトレスクも青いユニフォームに袖を通し、チェルシーにかつての華やかさが復活した。

 1996年、ホドルがイングランド代表監督に就任するためにクラブを去ると、選手兼監督として引き継いだのがフリットだった。フリットはテクニカルエリアでも存在感を発揮し、ファンに愛される“セクシーフットボール”を繰り広げるチームを作り上げた。フリットはその後も、イタリア人のジャンルカ・ヴィアリやロベルト・ディ・マッテオ、ジャンフランコ・ゾラなど各国代表クラスの選手を次々に獲得。多国籍が進み新生チェルシーが誕生し、魅惑のプレーで観客を熱狂させた。

 1996-97シーズンのFAカップ決勝では、ディ・マッテオが開始43秒で決めたゴールが決勝点となり、タイトルを獲得。98年にフリット政権が終わりを告げると、監督には不向きと思われていたヴィアリが周囲の予想に反してチームをまとめ上げ、就任数カ月でチームをリーグカップ制覇に導いた。シュトゥットガルトと対戦したカップウィナーズ・カップ決勝では、ゾラがこの試合唯一のゴールを決めて2冠に導いている。

 こうしてチェルシーは、マンチェスター・Uやリヴァプールに次いで国際的なクラブとしての地位を確立。98年にはワールドカップを制したフランス代表のマルセル・デサイーなど世界的な選手が集まった。そして98年のUEFAスーパーカップでは、グスタヴォ・ポジェのゴールで欧州王者レアル・マドリードに勝利。約10年前に2部で戦っていたことがうそのような快進撃だった。

 プレミアリーグでも優勝候補の一角となり、1998-99シーズンには優勝したマンチェスター・Uに勝ち点4差まで迫る3位でフィニッシュ。クラブ史上初めてチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。チェルシーは1950年代にリーグ優勝した際、イングランドのクラブとして初めてチャンピオンズカップに出場するはずだったが、フットボールリーグの干渉があり、出場を辞退していた経緯がある。

 1999-2000シーズンには、旧ウェンブリー・スタジアムでの最後のFAカップ決勝で勝利し、初出場となったチャンピオンズリーグでもベスト8に進出。敵地ジュゼッペ・メアッツァでのミラン戦で決めたデニス・ワイズの同点ゴールは、今でもファンの間で伝説として語り継がれる名シーンとなっている。

 相手の嫌がるプレーを得意としたデニス・ワイズを筆頭に、国際色豊かな選手で構成されたチームは、強いだけでなく、個性的なキャラクターやゴールパフォーマンスなど、エンターテイメント性にも富んでいた。当時、大半のチェルシーファンは、これ以上ワクワクする日は二度とこないと思っていたことだろう。しかし、彼らはその考えが完全に間違っていたことをすぐに知ることになる。

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