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「四国という場所に限界」…溝渕雄志が語る、流経大柏への“挑戦”と慶應大での“変化”

2016.05.03

 15歳でさらなる高みを目指して進学した流通経済大学付属柏高校でサイドバックのポジションを開拓。あえて厳しい環境に自分を置いたことで誰にも負けない走力を身につけ、慶應義塾体育会ソッカー部では、1年時からレギュラーに定着した。進化を続ける溝渕雄志は縦横無尽にピッチを駆けめぐり、夢から目標へと変わったプロに向かって、まい進する。

インタビュー=酒井伸 写真=平柳麻衣

関東まで出てきてチャレンジした高校生活は自分の財産

――サッカーを始めたきっかけを聞かせてください。
溝渕 スポーツをやるつもりはなかったのですが、短距離走が学校で一番速く、それを見ていた近所のおばちゃんに「サッカーを始めてみなよ」と言われ、少年団に連れて行ってもらったのがきっかけです。

――香川県出身ですが、中学時代に愛媛FCや徳島ヴォルティスなどJクラブの育成組織に挑戦しようという気持ちはなかったのですか?
溝渕 関東や関西に比べると、クラブチームのレベルは劣っていましたが、四国4県どこのチームに行っても大きな差はないと思っていたので、FC DIAMO(ディアモ)という地元のチームに行きました。僕が入る時に、昔(サンフレッチェ)広島ユースでプレーしていて、世代別代表にも入ったことがある犬飼敬三さんが監督をやることになりました。経験豊富で実績もある犬飼さんが来てからサッカー観が変わって、サッカーに対して本気で取り組むようになりました。3年の時にはキャプテンをやって、クラブユース(adidas CUP 2009 第24回 日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会)の予選を勝ち抜いて、四国1位で全国大会に出場できました。その時のプレーを流経大柏のスカウトをやっていた稲垣(雄也)さんが評価してくれて、流経大柏に行くことができました。

――クラブユースの結果はいかがでしたか?
溝渕 3戦3敗です。中2の時に初めて全国大会(高円宮杯第20回全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会)に出て全敗で、そこから1年間努力して、「全国で勝てるようなチーム」を目標に取り組んできましたが、結局また3連敗で歯が立ちませんでした。そこで自分としてもうまくいかなかったですし、なおかつ四国という場所に限界を感じてしまって、その時から外に出たいと思っていました。

――どのような経緯で流経大柏から話があったのですか?
溝渕 クラブユースで予選敗退が決まった最後の試合で、元々ボランチをやっていたのですが、監督から「最後だから一人で点を取ってこい」と言われて、後半途中からFWをやりました。結局試合は1-3で負けたのですが、自分は相手を3人交わして、スーパーゴールを決めることができました。流経大柏のスカウトの方が見ているのを知っていたので、「やってやろう」と無我夢中でした。その試合のプレーやキャプテンシーを見てもらい、お誘いをいただきました。

――15歳で四国から関東に出てきたわけですけど、生活面などはいかがでしたか?
溝渕 寮に入っていたので、あまりホームシックになることはなかったです。けど、練習時間がすごく長くて、キツかったので最初は苦しみました。自分は推薦で入学したのですが、周りの50人も全国各地から来たうまい選手ばかりだったので、毎日ついていくのに必死でした。15歳で親元を離れ、関東まで出てきてチャレンジした高校生活は自分の財産で、いい経験ができたと思っています。

――ご両親の反応はいかがでしたか?
溝渕 レベルの高いところでサッカーがしたいという気持ちを理解してくれて、両親は自分のことを応援してくれていました。中3の成績がオール5だったので、「香川で一番頭のいい高松高校に行ったら?」と母親に言われることもありましたが、大学までサッカーを続けることを条件に流経大柏に行かせてもらいました。

――流経大柏に入った当初は、どこのカテゴリーに所属していましたか?
溝渕 最初は1年生だけのチームでした。夏のインターハイ(全国高等学校総合体育大会)が終わると、A、B、Cチームへと振り分けられるのですが、その時はBチームでした。自分を誘ってくれた稲垣さんはボランチではなく、サイドバックで使えばもっと伸びると考えていたらしく、1年生の9月からサイドバックをやり始めました。

――ボランチからサイドバックにコンバートされると、見える世界が大きく違うと思います。参考にした選手はいますか?
溝渕 内田篤人(シャルケ)選手です。攻撃的サイドバックでしたが、ドイツに行ってから球際や守備も強くなっていると思いますし、とにかく「すごい」の一言です。内田選手も元々は、コンバートされてサイドバックをやっていた選手なので、自分と被ることが多くて参考にしました。

――いつ頃から試合に出始めましたか?
溝渕 2年生の時からトップチームにはいましたが、けがもあって公式戦には出場できませんでした。3年生の最初はけがで出遅れたのですが、プレミアリーグ(高円宮杯U-18サッカーリーグ2012 プレミアリーグ)が4試合くらい終わった時に復帰して、それから常にスタメンで試合に出場できるようになりました。

――選手権(全国高等学校サッカー選手権大会)は千葉県予選決勝で八千代高校に敗れました。
溝渕 悔しかったのですが、負けた瞬間は誰も泣かなくて、「終わってしまった」という気持ちだけでした。それまでの3年間で努力をしてやりきった気持ちはあったので、意外とさっぱりしていました。

――高校時代にキツかった練習などはありますか?
溝渕 朝練を6時30分からやっていて、最初の練習が必ず15分間走で、グラウンドを10周走るのですが、それが1年生の時は本当につらくて、毎朝憂うつでした。3年目になると体が慣れてきて、余裕で走れるようになりました。キツかったですけど、今ではあの時たくさん走って良かったなと思います。

大学2年は自分の中で大きなターニングポイント

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――高校卒業後は慶應大に進学しました。
溝渕 ずっと慶應大に行きたいと思っていましたが、あまり慶應大のことを知りませんでした。サッカー部では毎年、流経柏から早稲田大学に進む人がいて、普通科で成績が一番だったこともあって早稲田に推薦で行くことも考えていました。ある日、流経大柏のコーチから「慶應大ソッカー部の人に連絡したから受けてみろ」と言われ、驚きました。慶應大に行ける可能性があると知って、そこからAO入試に向けて勉強を始めました。

――早稲田大に進学することも考えていたのですね。
溝渕 早稲田大も推薦で受けましたが、面接で落ちてしまいました。そのすぐ後に慶應大の面接があって、落ちたら行く大学がない状況で浪人すると決めていたので、本当に必死でした。

――相当苦労したのではないですか?
溝渕 7月にあった1期の試験は書類で落ちてしまい、そこから2期に向けて必死に勉強しました。2000字の志望理由書を何度も書き直して、夜中の2時頃までやることもありました。自分は部活もあったため、塾に行く時間がなく、毎日大変でした。2期は書類を通過することができ、その後の面接でもうまくいって合格できました。

――慶應大ソッカー部の印象はいかがでしたか?
溝渕 最初はカルチャーショックがすごくて苦労しました。流経大柏はサッカーのうまさが人を見る物差しだし、サッカーだけやっていれば、評価されることもありました。それはすごく良いことだと思いますが、慶應はそうではなくて、サッカー以外の仕事や規則など、やるべきことをちゃんとやることを求められました。最初は「そんなの関係ないでしょ」と思っていましたが、先輩にそのような人が一人もいなく、学年を重ねるごとにサッカー以外のことも大事だなと感じるようになりました。

――1年目から試合に出場していました。
溝渕 1年目は残留争いの最中で、試合までの練習でスタメンをつかみ取れるように、毎週ピリピリしていました。リーグ戦22試合中18試合はスタメンで出ましたが、出ただけで終わってしまいました。チームの力になれなかったので、何が足りないかを自分なりに考えて、そこから攻撃でも貢献できるよう自主的に筋トレを始めました。

――筋トレの成果は感じましたか?
溝渕 2年時も開幕から出場できて、スプリントで前に行けるようになりましたし、元々できていた守備もタイトになりました。攻撃力が増したことで周りからの評価も高くなって、神川明彦(現グルージャ盛岡)監督が率いる全日本選抜に呼ばれたことでプロを目指すようになりました。

――それまではプロ入りへの意識があまりなかったのですか?
溝渕 慶應大に入学したので、一般企業に入社すればいいかなと思っていました。全日本でプレーして、「こんなにやれるんだ」と自信がついて、そこからプロの世界に行きたいと思い始めました。大学2年は自分の中で大きなターニングポイントだと思います。

――昨年のリーグ戦は3位に終わりました。自身の出来はいかがでしたか?
溝渕 3年は自分にとってダメな時期でした。2年の時に選抜に呼ばれて評価してもらったことで、自分の中で『自信』と自信を越した『過信』が生まれてしまいました。早くプロに行きたいし、もっとうまくなりたいと思っていましたが、それを自分の中で履き違えて、結果的に自分のプレーが崩れてしまいました。

――どのように変わりましたか?
溝渕 できないことをできるようにしようとした結果、できていたことができなくなってしまいました。それは監督にも叱られましたが、そこで落ちずにどうしたらいいのかを自分で見つめ直して、トレーニングに取り組みました。結果はすぐに出ないし、前期は全然納得できなくて、11試合終わった後に自分の中でモヤモヤ感が残りました。それでも次の試合に向けて良くなるように考えて継続でき、後期リーグに入ってから吹っきれて、プレーが取り戻せました。さらに、点につながるプレーが多くなって、数字にも残せるようになりました。壁にぶつかりましたが、自分なりに考えて乗り越えることを一つ経験できたので、良かったです。

――全日本に選ばれた2年生の頃、プロから話はあったのですか?
溝渕 なかったです。なかったからこそ、もっとうまくなりたいけど、どうすればいいのかと考えこんで、悩んでしまいました。

プロに向かって、ブレることなくやっていきたい

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――大学入学時の自分と比べて、成長したところはどこですか?
溝渕 1年生の時はマッチアップする選手の大半が上級生で、相手のすごさを感じていました。今は、ほぼ毎日続けている筋トレの成果もあって、「自分の方が強そう」、「こいつには負ける気がしない」と思えるようになりました。

――昨年のリーグ戦はライバルの早稲田大が優勝しました。最終学年を迎えた今季の意気込みを聞かせてください。
溝渕 3年間やってきて、このチームなら優勝を勝ち取れるという実感があります。1年生の時は残留争いに苦しんでいたので、高い目標を立てられること自体が幸せですし、集大成の今年は優勝で締めくくりたいと思っています。

――最後に、個人としての目標は?
溝渕 守備では球際を強く走り負けない、攻撃では得点に絡んでいきたいです。そして、チームの勝利に貢献できるプレーを毎試合続けて、プロに向かって、ブレることなくやっていきたいです。

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