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ツエーゲン金沢DF作田裕次が母校・星稜を訪問…選手権の思い出を語る

2015.07.29

インタビュー・文=細江克弥 写真=長江由美子

 ツエーゲン金沢のDF作田裕次が、6月24日に発売された雑誌『Jリーグサッカーキング/2015年8月号』内の企画「作田裕次、母校へ帰る」で母校の星稜高校を訪ね、当時の思い出やエピソードを語った。

こんな日が来るなんて 想像もできなかった

 同じく星稜高校サッカー部出身の先輩である田代祐平広報(兼アンバサダー)の車に乗って現れた作田は、少し照れくさそうに校舎へと足を踏み入れた。すると取材班に向かって、いきなりペコリと頭を下げた。

「今回は、ツエーゲン金沢を特集してくれて本当にありがとうございます。こんな企画まで用意してくださって、本当に感謝しています」

 そんな彼を育てたのが、ここ星稜高校である。

 金沢市の隣町、白山市に生まれた作田が入学したのは2003年のこと。全国大会に出場したいという思いから兄も通学していた星稜高を迷わず選択し、1年時からトップチームでプレーした。3年間の記憶は、もちろん今でも鮮明に残っている。校舎に足を踏み入れて奥に進むと、歴代サッカー部が獲得したトロフィーや表彰状がところ狭しと飾られていた。

「高校2年の時に選手権でベスト4まで勝ち上がりました。あ、その時の写真がこれですね。僕、くりくり頭で恥ずかしいです(笑)。こっちが1学年上の(本田)圭佑くん。当時からすごかったですよ。今と全く変わらない。説得力があって、何を言っても冗談に聞こえないんですよね。自然と周りをその気にさせる人でした」

 今もサッカー部監督として指揮を執る河﨑護の教えは、プロとなった今でも確かに心の中に残っている。

「兄から聞いていたとおり、河﨑先生はすごく厳しかったです。先生の指導は、今も間違いなく生きていますね。あの頃は分からなかったことも、大人になればよく理解できる。やっぱり、大切なのは人間性。そこを鍛えてもらったことは、自分にとって大きかったと思います」

 2階に上がって当時使用していた教室に向かうと、廊下で数名の男子生徒に遭遇した。作田が声を掛けると、「こんちは!」と倍の声量で返ってくる。そのうちの一人が、作田に気づいた。

「俺、ツエーゲンのファンなんです!」

 教室に戻った彼が持ってきたのは、ツエーゲンのウエアだった。

「スタジアムにもよく行きます!応援してます!」

 そう言ってサインを求める実は野球部員の彼を中心に、高校時代の作田が使っていた教室で急きょサイン会が開かれた。

「一応、勉強もちゃんとしました。楽しかった思い出しかないですね。クラスみんなのテンションが高くて……。僕は静かなほうでしたけど、みんなを見ているのが楽しかった。例えば英語の発声練習とか、めちゃくちゃ大声でやるんですよ。先生は……やっぱり大変そうでした(笑)」

 教室を出て、そのままグラウンドへ歩を進めた。すでに部活動が始まっており、前日の試合でインターハイ出場を決めたサッカー部は、試合に出なかった選手たちを中心にキツそうな表情をしてひたすら走っている。作田も思わず、「うわあ、キツそう……」とつぶやいた。

「僕が入学したタイミングはすごく恵まれていて、グラウンドは当時から人工芝でした。新しい校舎もできたばっかりで、すごくきれいでしたね。練習ですか? いや、もう、特に1年生の頃はついていくのに必死でした。家に帰ったらすぐに寝てしまうので、厳しさに負けて『やめたい!』なんて思う暇さえなかったですね」

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 続きはJリーグサッカーキング8月号「金沢魂 ~石川からJへ、そして世界へ――」をご覧ください。サッカーキング・ショップ(http://shop.soccer-king.jp/

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DF3 作田裕次(さくだ・ゆうじ)
生年月日/1987年12月4日 出身地/石川県  身長・体重/183cm・79kg
星稜高2年時には1学年上の本田圭佑らとともに第83回全国高校サッカー選手権に出場し、石川県勢初のベスト4入りを果たした。筑波大を経て10年に水戸に加入。1年目からレギュラーに定着しリーグ戦全36試合に出場。その後大分、山形を経て14シーズンより金沢に加入。クラブ唯一となる地元出身選手として大きな期待を背負って戦っている。

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