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【インタビュー】喧嘩は日常茶飯事? 小泉佳穂が“熱くなった”高校時代「負けず嫌いのメンタリティが根付いていた」

2022.12.25

[写真]=郡司聡

 今月28日に第101回全国高校サッカー選手権大会が開幕する。選手権の歴史を彩ってきた選手たちに当時を振り返ってもらう連載『BIG STAGE-夢の舞台に挑め-』。第3回は前橋育英高校出身のMF小泉佳穂(浦和レッズ)に夢の舞台への熱い想いを聞いた。

取材・文=土屋雅史

ずっとサッカーに対する自信がなかった

[写真]=瀬藤尚美

――子供時代に選手権に対して持っていたイメージはどういったものでしたか?
小泉 小学生の頃は毎年のように選手権決勝を観戦していましたし、東京都の予選も見に行っていました。当時の僕にとってはJリーグや天皇杯のような大きな試合と全く遜色ないような憧れの舞台でしたね。

――高校は前橋育英高校に進学されていますが、やはり周囲のレベルは高かったですか?
小泉 僕はFC東京のジュニアユースでも試合に出ていなかったですし、同年代の他の選手と比べてもそれほど上手い選手ではありませんでした。それは育英に入っても変わらなくて、『自分が一番ではないよな』とは思っていましたね。どちらかと言うと育英を卒業してから、当時のレベルの高さを実感しました。僕らの代の1年生は75人程いたんですけど、その中でもスタメンではなかったですし、上の学年の練習に呼ばれる7、8人にも入っていなかったので、まずは1年生の試合に出るために必死に練習をしていました。

――1年生の時にスタンドから見た選手権にはどういった思い出がありますか?
小泉 そこに自分が立つことは全然イメージできていなかったですね。純粋に応援していましたし、まだまだ夢の舞台という感覚でした。その時の僕は対戦相手のスカウティングに行っていて、京都橘の仙頭(啓矢)さんと小屋松(知哉)さんの2トップを見たんですけど、特に仙頭さんが凄すぎたんです。レベルが違いましたね。決勝まで行ったので、僕の目に狂いはありませんでした(笑)。

――小泉選手が3年生になった代は、みんなが口を揃えて『僕たちは弱い代だと言われてきたんです』と話していたのが印象的でした。
小泉 山田(耕介)先生からも『過去最弱だ』と言われていましたけど、どこかで『監督は発破を掛けるために言っているな』とも思っていましたし、僕自身はチームのことを考えられるようなレベルになくて、試合に出るので精一杯でした。そこで闘志を燃やしたり、チームを良い方向に持っていこうと考えていたのが(鈴木)徳真と(渡邊)凌磨だったのですが、僕はそこに関わるような立場ではなかったです。

――インターハイ準々決勝の星稜高校戦に小泉選手が出ていて、『この8番、今まで見たことないけどめちゃくちゃ上手いな!』と思ったのを覚えています(笑)。あの大会は自信になりましたか?
小泉 かなり自信になりました。それまでの僕は全国レベルで活躍したことがなかったですし、そこに対する劣等感もあって、自信も全然なかったんです。県予選も出ていないですし、プリンスリーグでもスタメンはほとんどなくて、自分がやれるとは全く思っていなかった中で、たまたまダブルボランチを徳真と組んでいた(吉永)大志がケガをしたことで、3回戦の矢板中央戦から出たんですよね。その試合はいきなりのスタメンで、本当に追い込まれた中でもうやるしかなくて、逆にスイッチが入って、かなり手応えのあるプレーができたんです。その波に乗った状態で出たのが星稜戦で、その試合が僕個人の高校生活のベストバウトでした。とにかく走れましたし、ボールもたくさん拾って、つないで、前に供給することもできたので、一番印象に残っている試合ですし、その反動で準決勝の大津戦が全然ダメで山田先生に怒られたことも覚えています(笑)。

――選手権では3回戦の山梨学院高校戦が小泉選手のデビュー戦ですね。
小泉 本当は僕が出る予定はなかったんです。違う選手が交代するはずだったのに、その直前でセンターバックの上原(大雅)が足を痛めたんですよね。その交代は本来ありえないものなので、たまたまラッキーで試合に出られたんですけど、その試合も途中から入って、逃げ場がないというか、本当に追い詰められていた中で、途中交代でもそこそこできることは見せられたので、そこも一つのターニングポイントでした。

――この試合のPK戦は6人目で決着が付きましたが、小泉選手は蹴っていません。実際は何人目のキッカーだったのですか?
小泉 たぶん8番目か9番目だったと思います。でも、PKの練習は十分していたので、蹴れば決める自信はありました。

――準々決勝の京都橘高校戦は2年前にスカウティングしていたということをお聞きすると、ちょっと因縁めいた相手ですね。
小泉 インターハイでも戦っているんです。縁はありましたね。

――あの試合はGKと1対1のシーンがあったと思います。
小泉 それを外したんですよね。股を狙ったんだと思います。あの試合はタツ(坂元達裕)が1点取っているんですよ。しかも、かなり得意な形の股抜きシュートで。タツとは親友でありずっとライバルで、どっちかは試合に出て、どっちかは出ていないこともよくあったんです。喧嘩もしょっちゅうしていましたし、1カ月くらい口を利かないようなこともざらにあって、それも本当にくだらない嫉妬とかから始まるんですけどね(笑)。あの京都橘戦もタツが綺麗なシュートで点を取って、凄く注目されていたことに対して、ジェラシーがあったことは覚えています。股抜きシュートは僕も結構得意だったので、『あんなの、別にオレもできるし』って。『あんな騒ぐほどじゃないじゃん!』って思っていました(笑)。

――準決勝の流通経済大柏高校戦は凄まじい激闘でしたが、鈴木選手の劇的な同点ゴールの前に、クロスを上げたのが小泉選手でした。
小泉 かなり時間が少なかったので、『もう上げるしかないな』という判断の中で、巻くようなボールではなくて、たぶんインステップのカットボールで上げました。コーナーキックも当時はそれで蹴っていましたし、その蹴り方に自信があったことも覚えています。本当にギリギリの時間だったのでかなり集中していて、恐怖心みたいなものは吹き飛んでいたと思います。

――PK戦は最後に坂元選手が決めて勝ちました。
小泉 祈るような思いでした。相手が結構早い段階で外してくれたので、追い込まれていたというよりは、勝ちが近付いてきているような感覚で見ていましたね。この試合もPKの順番は8番目か9番目ぐらいだったと思います。

――『オレまで回って来い!』という感じでしたか?
小泉 うーん、そこまでではないですね(笑)。『回ってくるな』とも思っていないですけど、『オレで決めてやる!』みたいな気持ちはなかったです。

――決勝の星稜戦はとにかく観衆が多かったですね。46,000人を超えていました。
小泉 埼玉スタジアムは観客席が近くて、試合中にチームメイトの話し声が全然聞こえなかったのはよく覚えています。至近距離で話すのにも叫んでいたのが一番印象に残っていますね。『めちゃくちゃお客さんが多いな』ということと、『芝生が本当にいいな』と。他の会場の芝とは全然違って、凄くやりやすかったです。

――2対2の同点に追い付かれて、すぐに投入されたのが小泉選手でした。その時の心境は覚えてらっしゃいますか?
小泉 ピッチに入った時のことは覚えていないですけど、そこまでもずっと途中出場だったので、かなりやることが明確になっていて、思い切って試合に入れたと思います。

――試合が終わった時にはどういうことを感じましたか?
小泉 当時の僕は日本一を目指すという感覚があまりリアルじゃなかったと思うんです。チームとしては『絶対優勝しよう!』という雰囲気があったんですけど、僕個人は『このチームを優勝させてやろう』と言えるような立場ではなかったですし、『自分が試合に出た時に活躍しよう』とか『穴にならないように頑張ろう』とか、それがリアルな感情でした。だから、優勝できなくて凄く悔しい気持ちもありましたけど、『3年間やり通せたな』という気持ちと、当時の前橋育英は決勝に行ったことがなかったので、決勝に行くことができた達成感も結構あったのが実際のところでした。

――改めて小泉選手にとって、高校選手権はどういった大会でしたか?
小泉 僕は高校3年のインターハイと高校選手権が、個人的には人生の岐路だったと思っています。FC東京のジュニアユースでも1年生の頃はスタメンでしたけど、2年と3年では全く試合に出られなかったですし、高校生になっても中心選手ではなかったので、ずっとサッカーに対する自信がなかったんです。そんな中でインターハイと高校選手権は、自分にかなり自信が付いた大会でした。

選手権は全員に『自分が主役だ!』と思ってほしい

[写真]=Getty Images

――今回のインタビューは【#サッカーが俺を熱くする】がテーマなのですが、“熱くなった”で思い出す高校時代のエピソードは、よくお話されている渡邊選手とのケンカでいいですか?(笑)
小泉 そうですね(笑)。1年を通してみれば、そういうことは10回以上起きていて、それこそ凌磨との時は監督に止められましたけど、基本的には流されているので、本当に日常茶飯事でした。Aチームの選手はもちろん、その時はBチームにいた選手もみんなプロになることを夢見ているような代でしたし、とにかくハングリー精神や負けず嫌いのメンタリティがチーム全体に根付いていたので、やっぱり練習が一番熱くなりました。

――恩師や仲間から送られた“熱い言葉”を教えてください。
小泉 山田先生もそうですし、櫻井(勉)コーチも北村(仁)コーチも、人として成長していくためにはどういうメンタリティじゃないといけないのかという指摘がすごく多く、言われるとギクッとしていました。サボっていたり、緩んでいたり、調子に乗っているようなことは見逃してくれないですし、特に徳真と凌磨のような選手にも厳しくできることが前橋育英の凄いところで、その雰囲気は今も変わっていないと思います。徐々にそのあたりを考えられるようになって、自分自身をしっかり見直すきっかけになったという意味でも、高校時代は大きかったですね。

――今では少し山田監督との関わり方も変わってきていますか?
小泉 もう完全にOBなので、お客さん扱いしてくれます(笑)。それがむずがゆかったり、恥ずかしかったりはしますよ。山田先生はお茶目ですし、かわいらしいところもありますけど(笑)。けど、言っていることとやっていることに矛盾がないんですよね。本当に筋が一本通っていて、正々堂々としているんです。それは当時から感じていましたし、一緒に働いていて山田先生を悪く言う人は絶対にいないはずです。

――スパイクのお話も聞かせてください。小泉選手は高校時代からずっとミズノのスパイクを履かれていますね。
小泉 僕はたぶん小学校6年生ぐらいからモレリア2を履いているんですよ。今から考えれば『なんて生意気なガキなんだ』って思いますけど(笑)。プロの選手も履くような最高のスパイクをもう履いていたので、そこは父親に感謝しています。『そういう部分には妥協するな』という考え方の人で、そこは今の僕にも影響があるんですけど、かなり良いスパイクを履かせてもらっていました。

――特にどういうところが良いと感じますか?
小泉 まず靴擦れしないですよね。僕の足に合っていることもあるんでしょうけど、他の靴はほとんど靴擦れするようなタイプだったので。あとは何より革が柔らかくて、ボールタッチの感覚が素足に近いんです。ボールと足の間に布1枚を挟んだ感覚なんですよ。かつ柔らかさがあるスパイクで、本当に気に入ってずっと履いています。僕はトップスピードで勝負するタイプではないので、小回りを重視するプレースタイルには昔から合っていたなと思います。

――黒いスパイクを良く履かれていますが、色にもこだわりはありますか?
小泉 あまりないですね。ミズノのモレリア2自体が基本的に黒で、白はベロなしのタイプなんですけど、それこそサッカーショップには基本的に黒が置いてあって、それを買っていました。そういう経緯もあって、たぶん派手なスパイクを履くことにあまり前向きではなくなったというか、“モノトーンこそ至高”みたいなイメージが自分の中にあるのだと思います(笑)。

――最後に高校サッカーを頑張っている学生へメッセージをいただけますか?
小泉 高校選手権はあなたたちが主役で、あなたたちのためにある大会なので、スタメンで出る選手も、ベンチから見ている選手も、観客席で応援している選手も、全員に『自分が主役だ!』と思ってほしいですね。3年間を考えると苦しいことの方が断然多かったと思うんですけど、そういうことも全部消化できる場所はやっぱり選手権しかないので、悔いの残らないようにやり切ってほしいです。




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