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【インタビュー】「僕はメンタルが本当に弱かった」…坂元達裕が“変わった”高校時代、分岐点は予選準決勝の2得点

2022.12.24

[写真]=瀬藤尚美

 今月28日に第101回全国高校サッカー選手権大会が開幕する。選手権の歴史を彩ってきた選手たちに当時を振り返ってもらう連載『BIG STAGE-夢の舞台に挑め-』。第2回は前橋育英高校出身のMF坂元達裕(オーステンデ)に夢の舞台への熱い想いを聞いた。

取材・文=土屋雅史

選手権の経験がなかったら、絶対にプロになっていない

[写真]=木村善仁

――子供時代に選手権に対して持っていたイメージはどういったものでしたか?
坂元 毎年テレビで家族と見ていましたし、遠い世界のことというか、もちろん『いつかこういう舞台で試合をしたいな』とは思っていましたけど、それが本当に叶うかどうかの自信が、その時の自分にはそこまでなかったですね。憧れの大会でしたし、やっぱり国立競技場は“夢の舞台”という感じでした。

――前橋育英高校へと進学したのはどういった理由からですか?
坂元 まずFC東京のユースに上がれなかったということが一つです。僕はジュニアユースの頃から身長も小さくて、絶対的な選手になれていなかったので、ユースに上がれませんでした。他にどこに行こうと考えた時に、FC東京のジュニアユースの監督から『前橋育英に練習参加したらどうだ』と言ってもらって、練習参加してみたら周りのレベルが本当に高かったので、その時点で『受かったらもうここに行こう』と決めていました。

――坂元選手が3年生になった時のチームは、選手の皆さんが口を揃えて『弱いと言われている世代なんです』と話されていたのが印象的でした。
坂元 『今までで一番弱い代だ』と監督に言われたぐらいでしたし、自分たちも自信はなかったですね。一つ上の学年が凄く強かったので、それと比べてしまって、『大丈夫かな?』というのと『一番弱い代から這い上がってやろう』という二つの思いでスタートしました。でも、3年生の時はみんながそういう気持ちで練習から頑張っていたので、逆にそう言ってもらえたからこそ、全国でもあそこまで勝ち進めたのかなと思っています。

――選手権予選の準決勝の相手は、前の年の決勝で負けた桐生第一高校でしたが、4対1で勝って、坂元選手は2ゴールを決めています。
坂元 個人的には僕のサッカー人生が変わった区切りの試合です。インターハイでは全然パフォーマンスが良くなくて、そこからはスタメンを外れることもありましたし、自信を失っていた時期で、『どうプレーしたらいいか』『点を取るためにはどうすればいいか』と常に考えながらプレーしていました。その中で迎えた桐一戦で、PKと流れの中から2点取ることができたのは、自分にとってとにかく大きな自信になりましたし、そこから余裕を持って、周りを見ながらプレーできるようになったキッカケの試合でした。

――自ら獲得したPKを蹴りに行ったシーンが印象的でした。
坂元 僕はメンタルが本当に弱かったので、それまでの自分だったら他の選手に譲っていたはずですけど、『とにかく自分が変わりたい』という気持ちが強かったんです。桐一戦の前の週ぐらいからメンタルを鍛える本を買って、それを読んでいたぐらい『変わりたい』と思っていたので、その時に他の選手にPKを譲る選択肢はなかったです。1年前に凄く強かった先輩たちが桐一に負けた姿も見ていたので、『ここで勝って自分たちの実力を証明しよう』という思いで臨んでいましたし、僕にとっては高校時代の一番の分岐点になる試合でした。

――坂元選手にとって選手権での全国デビューとなったのが、西が丘で戦った2回戦の初芝橋本高校戦でした。記録を見ると6,640人の観衆が入っています。
坂元 僕は周りからの声援が好きなんです。大好きなドリブルで相手を抜いた時に歓声が沸き上がるのが、一番サッカーをしていて好きな瞬間なので、観客の人が多ければ多いほど気持ちも上がって、プレーしながら『凄いな。楽しいな』と感じていました。西が丘はダイレクトに声援も聞こえてくるので、あの時は歓声が心地良かったですし、やっぱりあの桐一戦で2点を取ってから、いろいろなことが変わりました。本当に『こんなにプレーが変わるのか』というくらい変わったので、その経験があるからこそ、今も苦しいことがあっても『自分ならできる』と思いながらプレーできています。

――3回戦は山梨学院高校とのPK戦を制して勝ち上がっています。
坂元 この試合はPKを蹴ったことが一番印象に残っています。僕はそれまでPKをあまり蹴りたくなかったのですが、監督に信用してもらって4人目に指名されて、外すことなくしっかり決められました。プレッシャーの掛かる大舞台でPKを決めたことで、自分にさらに自信を持てるようにもなりましたし、さらにどんどん変わっていくキッカケになったPKでもありましたね。

――準々決勝の京都橘高校戦では、とうとう選手権初ゴールを記録します。
坂元 僕も『選手権で点を取りたい!』という思いは強かったですし、それまでの2試合は攻撃陣が結果を出せていなくて、監督にブチ切れられたので(笑)。攻撃陣がやらなくてはいけないという雰囲気の中で、チームが4点を取って勝てたことも、自分も良い流れの中でゴールを決められたことも良かったです。ただ、もうその頃は『自分ならできる』という自信を持ちながらプレーできていたからこそ、点を取ることができたと思いますし、とにかく楽しかったことは覚えています。

――準決勝の流通経済大柏高校戦は超激闘でした。
坂元 あの試合は完全に負けたと思ったので、最後に同点ゴールを決めた“徳真さまさま”でした(笑)。PKはめちゃくちゃ緊張しましたね。

――決めれば勝ちの状況での5人目は緊張しますよね。
坂元 『何でオレがこの場所に立てているんだろう?』って。今までの自分だったら緊張で倒れてしまうんじゃないかぐらいのプレッシャーがありましたし、その時の『次のキッカーはオレだ』と待っている時の感覚が、今でも鮮明に記憶の中に焼き付いています。『オレならできる。オレなら決められる』とずっと言葉に出しながら、5人目が来るのを待っていたくらいに緊張していました。

――山梨学院戦のPK戦は4人目でしたが、この試合の5人目というのは監督の指名ですか?
坂元 そうです。桐一戦をキッカケに自分が変わってから、公式戦でも点が取れるようになってきて、監督からの信頼も感じていました。実はそういった手応えを掴んでから、監督とトイレで横に並んだ時があったんです。結構気まずかったんですけどね(笑)。その時に監督から『急に余裕が出てきて、自信を持ってプレーできるようになったな』と言ってもらえたのが凄く嬉しかったですし、印象に残っていますね。自分の中でも変われた実感を持ちながらプレーできていた時に、監督からもそう言ってもらえて、なおさら『これで合っているんだ!』と思えました。監督が話しかけてくれることはそうなかったですし、個人的にも怖い印象があって、あまり1対1では話したくなかったので(笑)。そのトイレでの会話は今でも鮮明に覚えていますね。

――決勝の星稜高校戦はどういった試合でしたか?
坂元 決勝はとにかく観客が多かったんです。確か4万6000人ぐらい入っていて、入場の時に衝撃を受けました。埼玉スタジアムの一番上まで埋まっているスタンドを見て、『今からこの中でサッカーできるのか』と感じましたし、僕自身も調子が良くて、楽しみながらプレーできました。勝てそうな試合ではありましたけど、最後の最後で逆転されてしまって、『勝負ってこういうものなんだな。そう、うまくはいかないんだな』と思いましたね。

――それにしても桐一との試合から約2カ月で、4万6000人の中でのプレーを楽しめるって劇的な変化ですよね。
坂元 もともと観客の人が見ている中でやるのは好きだったんです。でも、試合が終わってから、『とんでもないところでやっていたんだな』と思いましたし、決勝は夢の中にいるような感覚でサッカーをしていましたね。観客はいっぱいいるのに、周りが静かになっているような感じで、本当に夢の中にいるようでした。

――改めて坂元選手が選手権から得たものはどういうものだったでしょうか?
坂元 得たものは大き過ぎます。やっぱり、大舞台で自分がプレーできたという自信が一番大きくて、僕は選手権の経験がなかったら、絶対にプロになっていなかったと思っているんです。それに決勝で負けたことも凄く大きなことで、試合が終わった時に『もう1回これだけの観客の中でサッカーしたい』と真っ先に思ったんですよね。言葉では表せないぐらいに選手権は自分を成長させてくれますし、うまく行ったことも、うまく行かなかったことも、すべてが成長につながったので、自分にとって大きな大会でした。

練習からあれだけ熱くなれたおかげで今がある

[写真]=Getty Images

――坂元選手が“熱くなった”で思い出す高校時代のエピソードを教えてください。
坂元 日々の練習でめちゃくちゃ熱くなっていましたね。僕らの世代はとにかく負けず嫌いな選手が集まっていて、(渡邊)凌磨と(小泉)佳穂がその代表ですけど(笑)。1日1日の練習を本当にみんなが本気でやりますし、選手同士で喧嘩するくらいやり合うことが毎週のようにあって、それぐらい日々の練習に熱くなれていました。ああいった日々の戦いの中で練習できていたことがどれだけ幸せなことだったのかは、育英を卒業してから身に染みて感じましたね。練習からあれだけ熱くなれたおかげで今がありますし、選手権もあそこまで行けたんだろうなという思いはあります。

――続いて、高校時代に“熱く”こだわったトレーニングを教えてください。
坂元 コーチの北村(仁)さんとの思い出が凄く大きいです。なかなか自分のプレーがうまく行かずに悩んでいた1年生の時に、そのうまく行かないことをサッカーノートにびっしり書いていた時期がありました。それに対して北村さんが毎回のように『こうしたらいいよ』という返事を書いてくれましたし、練習の後にも呼んでもらって、1対1で『こうするべきなんじゃないか』ということを話してもらいました。僕はボールを持ったら焦ってしまう感覚をずっと持っていて、それに対して北村さんから『自信を持って、力を抜いてプレーすれば、自ずと周りを見られるようになるよ』と言ってもらえて、そのあたりから僕のプレーが変わり始めて、自信を持てるようになったので、北村さんとの出会いは大きかったですね。

――ミズノのスパイクは高校時代から履いてらっしゃいますが、常にしっくり来るイメージですか?
坂元 そうですね。小学生ぐらいの頃にいくつかのブランドのスパイクを試した記憶があるんですけど、結局足に合うのが全部ミズノだったので、中学ぐらいからはミズノしか履いていないです。

――選手権の決勝はモレリアネオのMIXソールでプレーしていました。
坂元 僕はそれまで取替式を履いたことはなかったんですけど、選手権の初戦でグラウンドの状態もあって滑ったので、それからMIXに代えて、それを最後まで履き続けました。ずっと履いてきたスパイクですし、選手権で決勝まで行って、個人的にゴールも決めて活躍できた思い出がその一足に全部詰まっているので、今でも実家にあると思います。

――プロ入り後はレビュラを履かれることが多い印象です。
坂元 レビュラをずっと履かせてもらっています。とにかくミズノのスパイクは軽いものが多くて、僕にとってはそれが凄く大事なんです。ドリブラーだとターンも多くて、スプリントする場面も多いので、まさに『自分に合った靴だな」』と思って履かせてもらっています。

――色のこだわりはありますか?
坂元 選手権で履いた時のイメージが強いのかもしれないですけど、白ベースのスパイクは好きですね。

――最後に高校サッカーを頑張っている学生へメッセージをいただけますか?
坂元 高校3年間の経験というのは、今こうして自分がプロになって、ここまで来てからも一番大きかったなと感じています。3年間では思うように行かないことも山ほどありましたし、むしろそっちの方が多かったぐらいですけど、自分が思うようにプレーできて、自信が付いた試合もあって、うまく行ったことも、うまく行かなかったことも、どちらの経験も高校生のみんなのサッカー人生にプラスになっていくことは、今の僕からも間違いなく言えることです。選手権という大きな大会でプレーすることは、これから先もそこまで経験できないことですし、全てを自分たちのこれからの人生に生かせるはずなので、とにかく楽しむことが一番かなと思います。ミスを恐れずに、チャレンジし続けることが、みんなの成長につながると思うので、とにかくサッカーを楽しんで、頑張ってほしいです!




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