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【インタビュー】3年連続で決勝進出…藤原優大が語る選手権「勝っても負けても、どんな状況でも楽しかった」

2022.12.23

[写真]=兼子愼一郎

 今月28日に第101回全国高校サッカー選手権大会が開幕する。選手権の歴史を彩ってきた選手たちに当時を振り返ってもらう連載『BIG STAGE-夢の舞台に挑め-』。第1回は青森山田高校出身のDF藤原優大(FC町田ゼルビア)に夢の舞台への熱い想いを聞いた。

取材・文=土屋雅史

見るよりも実際に戦ってみないとわからない

[写真]=野口岳彦

――もともと選手権にはどういったイメージをお持ちでしたか?
藤原 柴崎岳選手が青森山田で全国準優勝した時(2009年)が、自分の中での“選手権”というイメージで、言葉にはしなくても目標になっていました。大きなスタジアムの中にたくさんのお客さんがいて、その真ん中にあるフィールドで熱い戦いをするという、絵になるようなきらびやかな舞台だなと思っていました。

――青森山田中に入学する時から選手権は意識していましたか?
藤原 あまり具体的には考えていなかったかもしれません。その時はボランチをやっていたので、2列目から上がって点を決めてスタンドに行く、みたいなことを授業中に考えていました(笑)。

――1年生の時の選手権を振り返ると、準決勝の尚志高校戦で助走に時間を掛けたPK戦でのキックが話題になりましたね。
藤原 そこで自分の名前を売った感じはあります。PKのスポットに立った時には『オレは何でここにいるんだろう?』と感じていましたし、夢の中にいるようでフワフワしていて、逆に緊張感はなかったです。でも、何かよくわからない自信はありました。練習でも外したことがないくらいPKは得意でしたし、黒田(剛)監督からも1年生の時はだいぶ厳しく指導されましたけど、『PKは上手い』と褒められていたので、それで自信も付いていました。自分の間合いで蹴ったら決まる感覚はあったので、外す気はしなかったです。

――決勝の流通経済大柏高校戦もピッチに立って、結果的には藤原選手にとっては唯一となる日本一を経験します。あの試合にはどういう思い出がありますか?
藤原 それこそ『テレビで見ていた世界』でした。あの試合だけは『あと一つ勝てば日本一』という雰囲気が先輩たちからも伝わってきましたし、それまではベンチで結構ふざけていた先輩も、決勝だけは笑いがなかったですね。みんな本当に優勝したかったんだなと、そこでかなり感じました。出場した時には先輩たちも『ミスしていいからどんどんやれ』みたいな感じだったので、その時に初めて『ああ、オレって選手権のピッチに立っているんだ』ということを感じて、身体が思い通りに動いて、決勝だけは自分のやりたいプレーができたイメージでした。あとは『日本一ってこんなに嬉しいんだ』という想いはありましたね。それまでも『日本一になりたい』とは口にしていましたけど、心の底から嬉しかったです。

――2年生の時は高円宮杯 JFA U-18プレミアリーグで優勝した上に、前回王者ということで、大会前からプレッシャーはありましたか?
藤原 プレミアのファイナルで名古屋グランパスに勝った前後から静岡で合宿に入って、矢板中央と練習試合をしました。その時にセットプレーから簡単に点を取られて、あっさり0対1で負けてしまったんです。僕らがボールを持っていたんですけど、そこからどうやって攻めていくかがわからなかったですし、『選手権でもそうなるんじゃないかな』と何となくみんなも思ったはずなんですよね。『やっぱりちょっと勘違いしていた部分があったんだな』って。そこから初戦の米子北戦の6対0という勝利があったんです。だから、大会が始まる前に自分たちは強くないとわかったので、プレッシャーはなかったですね。『弱い代だけど、最後はみんなで選手権を優勝で終わろう』と話していました。

――決勝戦は静岡学園高校に逆転負けという結果で連覇は果たせませんでした。
藤原 自分が1点目を決めた時に『優勝した時のインタビュー、お立ち台に立って何て言おうかな』と考えてしまいました。やっぱり甘かったですね。2点先制して満足したところもありましたし、油断せずに謙虚にやるべきことを全力でやった上で結果が出ることをわかっていたのに、逆転されてしまったことは悔しかったです。もったいないというか、もちろん静学も素晴らしかったですけど、『ここで負けるか』という感じでしたね。それが一番大きかったです。『ここまで来て、自分たちのメンタリティの弱さが出るか』と感じました。

――3年生の時はコロナ禍で活動自体がストップすることが多かったと思います。
藤原 とにかく練習も試合もなかったですし、外にも出られないので、寮の中で筋トレするにも限りがあって、モチベーションを保つのが難しくなっていって、『早く引退したいな』と思うこともありました。インターハイもプレミアもなくなりましたし、これで選手権までなくなったら『3年間何のために頑張ってきたんだ』ということにもなりますし、『今これをやって意味があるのかな……』とは思いながら毎日を過ごしていたんですけど、練習がちょっとずつできるようになってきた時に、自分が『選手権があると信じて、割り切って全力で頑張ろう』とみんなに言ったんです。それを言った以上、自分はキャプテンとしてやるしかないので、それでモチベーションを保っていました。正直、自分以上に周囲の選手の方がモチベーションを保つのは難しかったはずなのに、みんな100パーセントで練習してくれたので、自分としては『このチームで優勝したい』という気持ちが強かったです。

――準決勝までは快勝続きでしたが、チームの中でも日本一への手応えはありましたか?
藤原 準決勝も無失点で抑えたように、守備も安定していて、攻撃陣も素晴らしい能力を持っている選手ばかりでしたし、そのシーズンは練習試合も公式戦も1試合も負けたことがなかったので、ギリギリの試合をしたこともなかったんですよね。だから、優勝できるとは思っていましたけど、勘違いはしていなかったですね。自分たちに対する自信がみなぎっていました。

――決勝の山梨学院高校戦はどう振り返りますか?
藤原 結果的に『同じことを繰り返したな』という感じでした。まず、あの年は先制点を取られたことがなかったので、先に点を取られて焦りましたね。相手には優勝するチームのパワーがあると感じましたし、戦い方が噛み合わなかったです。チャンスはこっちの方が作っていたので、勝てる試合を落としたもったいなさも強いですけど、自分がもうちょっと周囲に声を掛けて、チームを変えられたんじゃないかなとも思います。

――相手のFWがマンツーマンで付いてきました。あれは3年間で初めての経験でしたよね?
藤原 センターバックをやってからは初めてでした。自分の中でもテンパっちゃいましたね。試合開始から自分たちがずっとボールを持っていたので、自分が試合から消えて、10対10で自分のところのスペースを空けるか、それとも無理やり関わってボールを動かすか、そこで前半は迷ってしまいました。最初は関わらないでずっと下がっていて、チームメイトがそのスペースを広く使っていたんですけど、それもうまくいかなかったですし、そこでも自分の力がまだまだだったなと感じました。まさかマンツーマンで来るとは思わなかったですから。でも、今から考えれば対応の仕方はあったなと。やっぱり緊張してしまっていましたね。

――選手権という大会は、いま改めて振り返るとどういう大会でしたか?
藤原 もちろん夢見ていた舞台でしたし、3年続けてそこに立つことができましたけど、勝っても負けても、どんな状況でも楽しかったですし、選手権という大会自体のブランドのようなものは、見るよりも実際に戦ってみないとわからないんです。自分が想像していた以上にワクワクしましたし、毎試合楽しかった。緊張もしますし、ハラハラもしますし、それすらも今思えば楽しかったなって。そういう大会でした。

目標に対して強い想いで進んでほしい

[写真]=Getty Images

――藤原選手が“熱くなった”で思い出す高校時代のエピソードを教えてください。
藤原 僕は選手権で負けても涙は出なかったんですけど、高校時代に1回だけ泣いたことがあったんです。3年生の時のスーパープリンスリーグ東北の初戦で、ブラウブリッツ秋田に13対1で勝った試合で、13対0になっていた時に、こっちのセットプレーのこぼれ球をある選手が空振りしてしまったんです。もう後ろには相手の選手とGKしかいなくて、僕がダッシュで戻って追い付いて、ペナルティエリアに入ったところでスライディングをしたら、それが相手の足に掛かってPKを取られてしまって……。開幕戦でしたし、久々の公式戦なのに、それで失点したのが悔しかったのと、チームに凄く申し訳なくて、それで泣いてしまったら、初めて黒田監督に慰められたんです。『あんなところで滑る必要ないだろ』と言われるのかなと思っていたのに、『これも良い経験だから、今後に生かしていこう』って。中学校の時の監督も泣いている僕に声を掛けてくれましたし、チームメイトもみんな慰めてくれて、キャプテンとしては不甲斐ないし、情けないんですけど、その時に僕の中で『このチームで日本一になりたい』とより実感しましたね。

――続いて、高校時代に“熱く”こだわったトレーニングを教えてください。
藤原 やっぱり雪中サッカーです。雪って全然溶けないんですよ(笑)。『溶けてくれたらサッカーができるのに』と思いながら雪の上を走るんですけど、降る度に『もう降らないでくれ』と祈っていました。1年のうちの3、4カ月は雪の上をずっと走るので、その頃は1時間目の授業からそのことしか頭になかったです(笑)。精神的にも参りますけど、それを耐えてからの“春の山田”はもう無敵です。やっぱり一番大事なのはメンタルだなと思いましたし、あれだけキツいことをやっておけば、ある程度はどこでも通用するなということも、自分の中では手応えとしてあります。プロになってからも、たとえばオフ明けにはちょっと大変な練習もありますけど、『ああ、キツいなあ』と感じながらも、『でも、山田の時は雪の上を走っていたな』と思い直すと、急に息が整い始めます(笑)。『まだ全然大丈夫だな』って。それが基準にある人間は強いですよ。

――スパイクの話も伺わせてください。高校時代はモナルシーダとモレリアネオ2をよく履いていましたね。
藤原 自分の中で『この2つを履きたいな』という想いがありましたし、全部のスパイクを含めても『これしかないな』と感じていました。凄く自分に合っていましたね。

――雪の中でもこのスパイクだとしっかりプレーできるなというイメージでしたか?
藤原 丸いポイントのスタッドは結構滑りやすいとも聞くんですけど、自分はそうは感じなかったですし、とにかく軽かったので、このスパイクは走るのに最適ですね。

――以前からスパイクには軽さを求めていると話されていますね。
藤原 試合をしていても『あのプレーはスパイクが軽いからできたんだな』と感じることもありました。そう考えると、スパイクの軽さを意識することにも意味があるのかなとも思います。

――プロになってからはモレリアネオ3を履かれていますね。このスパイクの特徴はどのように捉えていますか?
藤原 とにかく軽いということと、自分は公式戦だと取替式のスパイクを履くんですけど、どうしても金具が入っているので重くなってしまうんですよ。でも、モレリアネオ3は重く感じることはなくて、凄く履きやすいですし、とにかく自分の中ではしっくり来ています。

――今季は赤色のモレリアネオ3を履いていました。
藤原 そうなんです。試合前に『赤の方が強そうだな』とか『アップの時はソックスを履かない方が足が速そうに見えるな』とかいろいろ考えるんですけど(笑)。赤のモレリアネオ3を履くと気合いが入りますね。

――最後に高校サッカーを頑張っている学生へメッセージをいただけますか?
藤原 もちろん周囲に感謝の気持ちを持つことも大事ですけど、県で1勝するとか、県で優勝するとか、そういった目の前の目標のために、サボらず進んでいくことが自分の成長に繋がることは、僕が青森山田にいて一番強く感じたことでした。それを続けていくことで感謝の気持ちもまた生まれてくるはずなので、自分の目標に対して強い想いで進んでほしいなと思います。ちょっとしたことで心が折れたり、ふてくされたり、もうやらなくていいやとか、そういう考えにはなってほしくないですし、これだけサッカー人口がいたら、選手権に出られる人と出られない人は確実にいるわけで、そんなに甘い世界ではないですけど、まずは自分自身にフォーカスして、夢や目標に向かって、自分を律して、強く生きてほしいですね。




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