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【兄弟対談】ジョン・カビラ&川平慈英~マラドーナを神と崇める男たち~夢は本人とドキュメンタリー制作?!

2016.06.02

 サッカー史に残る名選手ディエゴ・マラドーナ。生きる伝説として、現代のサッカー界にも多大なる影響を及ぼしている。

 そのマラドーナが伝説の存在となった大会が1986年に開催されたメキシコでのワールドカップだ。カルロス・ビラルドに率いられたアルゼンチン代表のエースとして参加したマラドーナは準々決勝のイングランド戦で、サッカー史に残るプレーを見せた。

 クロスに飛び出した相手GKに先んじてボールを触りゴールを決めた“神の手”ゴールと、センターライン付近からイングランド守備陣を手玉に取るドリブルでの“5人抜き”からのゴール。この2点で勝利したアルゼンチンは決勝でも西ドイツを下して、同国2度目となるW杯トロフィーを掲げた。

 マラドーナが伝説の選手となったメキシコW杯からちょうど30年。『サッカーキング』ではその偉業を振り返るべく、サッカー界の様々な人物に話を聞き、偉大さを再認識するべく、『マラドーナ特集』を実施する。

 第2回のインタビューはジョン・カビラ氏と川平慈英氏による“兄弟対談”。サッカーを愛する両名にサッカーとの出会いから、愛するマラドーナについてなどを、熱く、熱く語ってもらった。

 前後編に分けてお送りする後編ではマラドーナの魅力や他選手との比較論、さらには兄弟での壮大なマラドーナとの夢についてを聞いた。

マラドーナと抱き合った過去を語る前編はコチラ→https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20160601/450160.html

インタビュー=小松春生
写真=野口岳彦
取材協力=「Futbol&Cafe mf」(http://mf-tokyo.com/

マラドーナとは“エポックメイキングな人”

お二人が愛するマラドーナですが、魅力は何ですか?

ジョン・カビラ(以下、ジョン) まずはサッカー選手として小兵であることですね。“柔よく剛を制す”をピッチで完全に具現化した男だし、圧倒的なテクニックとひらめきなどのクリエイティビティがある。それプラス、あの態度(笑)。アーセン・ヴェンゲル監督(アーセナル)と一緒に仕事をさせていただいた際、「今のフットボーラーはロックスター」だとおっしゃっていました。「サッカー選手がロックスターのような扱いを受け、パパラッチから常に狙われている。そういう環境の中で管理するのは難しい」と。マラドーナはその扉を開いた人ですね。いろいろな意味で“エポックメイキングな人”だったのではないでしょうか。当時はそこまでサッカーがビッグビジネスではなかった時代だったので、良い意味で平和な時代だったのかもしれません。

川平慈英(以下、慈英) 僕はもう、短パンと太ももですよ。「何だ、このスタイルは」ってそこに釘付けになって(笑)。読売クラブでもみんなが真似していました。それまではロングパンツでストッキングを上げて、ひざを3センチくらいしか出さなかったのに、そこからみんなショートパンツになって。

ジョン 絶対に木村和司さんも意識していた(笑)。

慈英 マラドーナは身長が僕とほとんど同じだったので、より親近感が湧きました。

太ももで言えば、当時はフランツ・ベッケンバウアーやクライフも短パンをはいていましたが、細かったです。

ジョン スタイリッシュでしたね。

慈英 マラドーナのドリブルの写真はどこを撮っても、何故か躍動感がすごくあるんですよね。


フランスW杯は「2人横並びで見ていて、泣いたなー」

今年はそのマラドーナが1986年のメキシコW杯で優勝トロフィーを掲げてから30年が経過します。

ジョン イングランド戦で5人抜きした時、あのストライドの長さにビックリしたことを覚えていますね。「一歩一歩がどれだけ長いの!」って。

慈英 ガゼルかっていうくらい(笑)。一緒に家で見ていなかった?決勝はみんなで見ていたことを覚えている。

ジョン 当時のアルゼンチンは“マリーシア”を使いこなすしたたかさを持つという感じではなく、割と中盤は冷静だったよね。

慈英 記者の質問で面白いシーンがあって、マラドーナに「いつも左足しか使わないけど、右足を使わないの?」と聞いたら「うん、使うよ。歩く時はね」って。

ジョン そう。アルゼンチンの人達の冗談のユーモアが最高なんですよ。日本がアルゼンチンと対戦することになった1998年のフランスW杯でも…。

慈英 トゥールーズ! 2人横並びで見ていて、泣いたなー。もう泣いたよ。試合の時に誰かから「写真撮らせてください」と言われて「今から日本代表が戦うのに写真撮っている場合じゃない!」って怒ったくらい(笑)。

ジョン 「集中してください!」ってね(笑)。大会前にアルゼンチン人にインタビューすることがあって、「本当に夢なんです。素晴らしい舞台に日本が行って、アルゼンチンと戦う。しかも勝つかもしれない」と言ったら、「ああ、そうだね。夢は寝ている時に見るんだよ」って言われたんですよ。それにユーモアをすごく感じて。

慈英 マラドーナに会いたいなぁ。アメリカにいた時は真似してパーマかけていましたよ(笑)。

ジョン マラドーナがバルセロナに在籍していた時、サッカー雑誌の写真を慈英の身分証に入るサイズに切り抜いてはめて、マラドーナの顔とすり替えたことがあるんですよ。アナログのモーフィングみたいな。あれは忘れられない。

慈英 相手DFにマークされているマラドーナになっていた。

ジョン 「学生証に入っているコレ、何?」みたいな。

慈英 片方に定期券が入っていて、もう片方はマラドーナ。

ジョン 体はマラドーナで顔は慈英。そこまで心酔していたよね。


マラドーナか、メッシかは「比較する意味がない」

慈英 心酔していた。完全なるアイコンですよ。

ジョン 20年に1人の選手とか言いますけど、もう出てこない存在と言えますよ。

世間では「マラドーナか、ペレか」という比較論もあります。

ジョン やっていたサッカーが違うから比較はできないですね。ただ、ペレがいなかったらマラドーナもいなかったかもしれない。ペレは圧倒的な個人技で切り開くという世界を初めて見せてくれた選手だと思います。欧州で開催されたW杯(1958年スウェーデン大会)で南米勢として優勝しているわけですし。

慈英 僕は圧倒的にマラドーナです。1982年のゼロックス・スーパーサッカーで日本代表がボカ・ジュニアーズと試合をした時に都並敏史さんがマラドーナとマッチアップしたそうなんですが、都並さんは「クライフとかベッケンバウアーは目から鱗だった」と言っていましたけど、マラドーナとやった時は「サッカーが嫌になった」と言っていました。こちらの理解不能のゾーンに入っているから、マークすることがとんでもなく苦痛だったみたいです。クライフとかを相手にする時は闘争心が湧いたけど、マラドーナの時は確実にハートを折られたと。

 都並さんはDFだから「ここには来ないように」と走ってくるコースを消すわけです。それを何回意識しても、いとも簡単にかわされてしまう。何をやっても逆を突かれてしまい、入ってほしくないエリアにいとも簡単に入ってくると。「今まで僕がサッカーで培ってきたセオリー全てを覆された。同じ人間とは思えない」と言っていました。

 よくメッシもマラドーナと比べられますけど、全く違います。語ってもしょうがないくらい。比較する意味がないというか。

サッカーファンには絶対に“自分のマラドーナ”がいる

ジョン 各時代の少年達が時代それぞれの名選手に心酔することは素晴らしいよね。

慈英 そうだよね。僕らにとってのマラドーナやペレ的な存在は、今の子ども達にとってメッシやネイマール。日本人では久保建英くんが楽しみですね。

久保選手のお話しも出ましたが、日本でマラドーナのようにサッカー界の歴史に名を刻むような突出した存在は今後、登場すると思われますか?

慈英 世界中で考えてもマラドーナ的なプレーを表現する選手はいますが、今のサッカー自体がスターのためのサッカーをしません。例えば当時のアルゼンチンはマラドーナのためのチームでしたが、今のブラジル代表はネイマールが生きるためのチームを作っていません。突出した選手がいても、その選手のためのチーム作りはしないですよね。

ジョン 個々のレベルがとても上がったし、戦術も非常に洗練されています。テクニックには人種の差はないと考えているので、“日本人離れした”という言い方は、スポーツジャーナリズムとして止めたほうがいいですね。エクスキューズを自分で作ってしまっているわけですから。

 サッカー史に残る選手が生まれる可能性はあり得ると思いますが、マラドーナのような態度を含めたインパクトは難しいでしょう(笑)。それが世界的にも許しがたいことになっています。データ分析も進歩していますので、慈英が言ったように、誰かのためのチームというチーム作り、そういうチーム作りをさせてしまう選手が誕生することは難しいだろうと思います。 

慈英 バルセロナにおいてもメッシは、アンドレス・イニエスタやシャビがいるからメッシになれた、という部分もあると思います。

ジョン 各時代で天才肌の選手は出てくるし、実際にいます。メッシやC・ロナウドの得点能力を見ればそうですし、それは間違いないことです。

慈英 見ている側は今でも自分のスーパースターを作り上げています。サッカーファンには絶対に“自分のマラドーナ”がいるんですよね。僕はマラドーナに出会いましたし、それは時代が変わっても絶対に変わらない。

ジョン 今年はルイス・スアレスが一番すごい選手だという話になるかもしれないよね。

慈英 スアレスはすごい! ネイマールが追いつけないほどのレベルの選手だと思います。

マラドーナやスアレスの共通点としては、貧乏な家庭に生まれ育ったということがあります。

ジョン 両選手ともエゴがむき出しというか、自己主張むき出しですよね。そういう文化は日本にはない部分です。

ラモス瑠偉さんや本田圭佑選手など、自己主張の強い選手は日本においては目立つことが多いですね。

ジョン もっと遡れば、釜本邦茂さんもそうです。

慈英 エゴイスティックな日本人選手はもっと見たいですね。「俺が、俺が」という選手が出てきてほしいです。

ジョン 「俺が勝たせてやる」という選手。

慈英 それを見せつけるストライカーを僕は待っています。“良い人”であることは大事なことですが、お利口さんではなくていいという感じですかね。

マラドーナとは……

最後におうかがいします。お二人それぞれにとって、マラドーナとは?

ジョン 一言では語れないですが、時代の寵児ですかね。未だに寵児であり続けられる唯一無二のサッカープレーヤーです。耳目を集めるし、一挙手一投足、常に話題を提供してくれる。コンプライアンスとか管理主義へのアンチテーゼのシンボル的な存在だと思います。

慈英 僕にとっては、サッカーの虜にしてくれた張本人です。彼に出会ったからこそサッカーの虜になった。

ジョン ここまで連れてきてくれたのはマラドーナのおかげです。

慈英 まさに。大学3年生の時に選手としてサッカーで挫折したのに、そこからサッカーメディアに誘ってくれた張本人ですね。

ジョン 今度はどこへ連れて行ってくれるんだろうね。

慈英 とにかく死ぬ前には会わないと。今、一番会いたい人ですね。

ジョン 行っちゃえ、慈英。

慈英 ドキュメンタリー番組を作りませんか?

ジョン これをご覧になっているメディアの皆さん、ぜひ弟を連れて行ってください!

慈英 兄がコーディネート(笑)。

ジョン いや、何でもやるよ!

慈英 「川平兄弟が行くマラドーナへの旅」だね

ジョン そうするとバルセロナも行かないといけないし、ナポリも行かないといけない。当然アルゼンチンにも。

慈英 全部行かないといけないし、カレカにも会わないといけない。ここから始まるぞ、マラドーナへの旅。映画にもできるし、その後に舞台にもミュージカルにもなる。

ジョン ミュージカル!?

慈英 タイトルは『The way to Maradona』。でも本人に会ってしまうと、何かに終止符を打ってしまう気がするから、会えない現状がいいのかな。

ジョン マラドーナに会って、挨拶した後に何て言う?

慈英 挨拶の前に抱きしめますね。それで「この抱擁を覚えていますか?」って聞く(笑)。

ジョン はははは(笑)。ということは、彼が抱きしめることを拒否したら、それで終わっちゃうね。

慈英 終わっちゃうよ!(笑)。

マラドーナと抱き合った過去を語る前編はコチラ

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By 小松春生

Web『サッカーキング』編集長

1984年東京都生まれ。2012年よりWeb『サッカーキング』で編集者として勤務。2019年7月よりWeb『サッカーキング』編集長に就任。イギリスと⚽️サッカーと🎤音楽と🤼‍♂️プロレスが好き

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