ベルギーはEURO2016予選で首位通過を決めている [写真]=Getty Images
11月5日に発表された最新のFIFAランキングで、人口約1100万人の小国が快挙を達成した。ベルギーが史上8カ国目となる同ランキング1位に輝いたのだ。
ベルギーと言えば、天才MFエンツォ・シーフォを擁した1986年のメキシコW杯でベスト4に入るなど、80年代に黄金時代を築き上げて”赤い悪魔”と呼ばれた。しかし、2002年の日韓W杯を最後に低迷期に入り、EURO(欧州選手権)も含めた主要国際大会では5大会連続の予選敗退。オランダと共催した2000年のEUROでもグループステージ敗退に終わり、W杯とEUROにおける「史上初のグループステージ敗退を喫した開催国」となった。かつての強豪国にとって、その事実は”恥”以外の何物でもなかった。
2010年にはFIFAランク68位まで後退していたベルギーは、そこからどうやってトップにまで駆け上がってきたのか? その背景には、彼らが取り組んできた独自の育成改革があった。
近年、選手育成に成功したモデルとしてよく話題になるのは、ベルギーの隣国ドイツだろう。ドイツは全国300箇所に育成組織の拠点を作り、学業の週2コマを使って単位認定するなど、国家を挙げて育成改革に取り組んできた。しかし、国土面積でドイツの10分の1、人口は8分の1にすぎない“小国”ベルギーには、そこまでの大規模な改革を実行するだけのリソースがない。そこでまず考えたのは、代表チームの強化を考えた場合、「必ずしも国産である必要はない」、ということだった。
象徴的なのは1999年、ベルギーの小クラブであるベールショットと、オランダの強豪クラブであるアヤックスとの間に結ばれたユース育成の提携だ。アヤックスはベールショットにコーチを派遣して育成組織を整備し、優秀な選手は優先的にアヤックスに加入させる。この流れができたことで、DFトーマス・ヴェルマーレンやヤン・ヴェルトンゲン、トビー・アルデルヴァイレルトといった現在のベルギー代表が、アヤックスで才能を開花させた。チェルシーのMFエデン・アザールも、隣国フランスのリールで育てられた選手だ。
隣国に育成を委ねて徐々に育成環境が整備されてくると、2005年頃から新しい流れが生まれてくる。隣国の育成メソッドを国内のビッグクラブに移植する動きが出てきたのだ。
その始まりは、先に述べたベールショットとアヤックスの提携でスカウトとして手腕を発揮していたハーザール氏を、ベルギー最大のクラブであるアンデルレヒトが引き抜いたことだった。FWロメル・ルカクやFWドリース・メルテンス、現代表主将DFヴァンサン・コンパニは、彼がアンデルレヒトで発掘した選手だ。
本格派を輩出するのがアンデルレヒトだとすれば、ヘンクのようにユニークな育成で成果を挙げているクラブもある。ヘンクは代表のGKコーチも兼任するギ・マルテンスを筆頭に、専門的な指導者を置くことでスペシャリストの養成スタイルを構築した。GKティボー・クルトワ、MFケヴィン・デ・ブライネ、FWクリスティアン・ベンテケなど、ヘンクで個性的なプレーヤーに育った選手たちは、2011年の国内リーグ優勝を置き土産に欧州主要リーグへ移籍。後進の育成環境への投資となる多額の移籍金を残した。
スタンダール・リエージュも、ベルギーの育成を語るには欠かせないクラブだろう。以前から「育成クラブ」の看板を掲げていただけあって、MFマルアン・フェライニやFWケヴィン・ミララス、MFアクセル・ヴィツェル、MFナセル・シャドリなど、絶えることなく優秀なプレーヤーを送り出している。
国内のビッグクラブが独自のカラーを掲げて育成に注力している一方で、ベルギーサッカー協会は指導者を養成して各クラブに派遣することで、選手育成をサポートした。その際に導入したのが、世界最高峰のタレントを育てるための「長所徹底育成主義」だ。
持って生まれた身体能力をとことん伸ばす。左利きには右足の能力を改善するよりも左足を磨くことを優先させる。天性の感覚を持つドリブラーやチャンスメイカーには自由を与える。世界最高峰のプレミアリーグで活躍するトップタレントたちが、この哲学によって育てられた。
各クラブが育成に注力しながら、それをサッカー協会がバックアップする。それぞれの役割分担ができていたという意味では、理想的な育成改革と言えるのではないだろうか。
順調にEURO2016出場を決め、FIFAランクのトップにも立った。当然、ベルギーは来年のEURO本大会でも優勝候補筆頭となるだろう。完全復活した”赤い悪魔”のさらなる躍進を楽しみにしたい。
文=hirobrown
By サッカーキング編集部
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