FOLLOW US

あの熱狂から20年…日韓W杯でチームをベスト8に導いた監督たちの現在地

2022.06.20

日韓W杯でチームをベスト8に導いた監督たち [写真]=Getty Images

 日韓ワールドカップ開催から今年で20周年だ。フィリップ・トルシエ氏が率いた日本代表はベスト16で敗退したが、その後も国内のサッカー熱は冷めやらず。横浜で行われたドイツ対ブラジルの決勝戦に至るまで、大いなる盛り上がりを見せた。
 
 2002年の6月21日と22日には準々決勝4試合が行われた。21日には静岡でイングランドがブラジルに先制しながら1-2の敗戦。蔚山ではドイツがミヒャエル・バラックのゴールを死守してアメリカに勝利した。翌日の2試合はいずれも延長戦までもつれ込む接戦に。光州でのスペイン対韓国は最終的にPK戦を制した韓国がベスト4に駒を進めたが、スペインのゴール取り消しが誤審だったのではないかと物議を醸すことに。20年経った今もなおメディアで取り上げられることが少なくない歴史的一戦となっている。長居ではセネガルを相手にトルコ代表FWイルハン・マンスズが延長戦で決勝弾。“イルハン・ブーム”に拍車をかけた。
 
 20年前のワールドカップで、チームをベスト8に導いた監督たちは、現在、どこで何をしているのだろうか。今回は8監督の現在地を紹介する。

[写真]=Getty Images 
※カッコ内は(現在の年齢)
 

■優勝:ブラジル/ルイス・フェリペ・スコラーリ(73歳)

ルイス・フェリペ・スコラーリ
 
 “フェリポン”の愛称で親しまれるルイス・フェリペ・スコラーリ。33歳の時に監督業に着手し、御年73歳の現在も現場に立ち続けている。1997年には短期間ながらジュビロ磐田の指揮を執ったこともあり、日本のファンにもお馴染みの存在だ。2001年6月にエメルソン・レオンの後任としてブラジル代表の監督に就任。日韓ワールドカップに向けた南米予選では苦戦したが、本大会では全勝優勝を飾った。
 
 ポルトガル代表、チェルシー、パルメイラス等を率いた後、2012年11月にセレソンの監督に復帰。しかし地元開催となった2014年ワールドカップ準決勝でドイツに1-7の惨敗を喫した末に、辞任している。2015年6月から2年半指揮を執った中国スーパーリーグの広州恒大では、ブラジル代表で師弟関係にあったパウリーニョとロビーニョをそれぞれトッテナムとミランから獲得したことも話題となった。以降、パルメイラス、クルゼイロ、グレミオとブラジルのクラブで監督を歴任したスコラーリは、今年5月にアトレチコ・パラナエンセとテクニカル・ディレクターとして契約。当面の間、監督も務めることが発表されている。
 

■準優勝:ドイツ/ルディ・フェラー(62歳)

ルディ・フェラー
 
 現役時代はブレーメンやローマで活躍した元ドイツ代表FW。1990年にイタリア開催のワールドカップで優勝し、マルセイユ時代の1992-93シーズンにはチャンピオンズリーグ(CL)制覇も果たした。1996年にレヴァークーゼンで現役を引退したが、スポーツディレクターとして同クラブに残ったルディ・フェラー。監督経験がないまま2000年夏にドイツ代表の指揮官に抜擢されると、日韓ワールドカップでは準優勝と結果を残したが、ユーロ2004では1勝も挙げられず。グループステージも突破できずに、大会終了後に退任に至った。
 
 同年8月に古巣ローマの監督に就任したが、成績不振でわずか1カ月で辞任することになったフェラー。2005年にレヴァークーゼンに戻って以降、長年に渡ってディレクター職を務めてきたが、この夏で退任。しかし今後も株主委員会のメンバー、そしてアンバサダーとしてレヴァークーゼンに関与し続けるそうだ。
 

■3位:トルコ/シェノル・ギュネシュ(70歳)

シェノル・ギュネシュ
 
 ベスト16では日本に1-0で勝利し、準々決勝では延長の末にセネガルに勝利。準決勝では優勝国ブラジルに0-1で惜敗したものの、3位決定戦では韓国に打ち勝ち、日韓ワールドカップで最大のダークホースを演じたトルコ。率いていたのは、元同国代表GKのシェノル・ギュネシュだった。トラブゾンスポルやアンタルヤスポルで監督を務めた後に、ユーロ2000でベスト8となった直後のトルコ代表の監督に就任。2年後のW杯では3位となる快挙を成し遂げたが、その後ユーロ2004の出場権を逃して辞任に至った。
 
 トラブゾンスポルの監督を務めた後は韓国に渡り、2007年から3年近く、FCソウルの指揮を執ったシェノル・ギュネシュ。以降はトルコ国内の複数クラブで監督を務めていたが、2019年にトルコ代表監督に復帰。4年契約を交わしていたが、昨年夏に行われたEURO2020では3戦全敗でグループステージ敗退。同年9月に行われたワールドカップ予選でオランダに1-6の大敗を喫した後、解任されている。
 

■4位:韓国/フース・ヒディンク(75歳)

 
フース・ヒディンク

 自国開催のワールドカップを目前に控えた2001年1月、韓国サッカー協会は、世界的な名将としての地位を確立していたフース・ヒディンクを新監督として招聘した。日韓ワールドカップのベスト16では延長戦の末にイタリアを、準々決勝ではPK戦の末にスペインを制して韓国をベスト4に導いたオランダ人指揮官は、名誉国民の称号を与えられるほど同国の人々に愛された。
 
 2002年以降はPSVやロシアのアンジ・マハチカラ、さらにオーストラリア、ロシア、トルコ、オランダ、中国U-21代表等を率いたヒディンク。2020年夏にキュラソー代表監督に就任したが、新型コロナウイルスに感染したこともあり、稼働できた期間は短かった。同代表は2022年ワールドカップの北中米カリブ海2次予選で敗退。ヒディンクは昨年9月に、34年間も続けてきた監督業からの引退を発表した。11月で76歳となる同氏は、監督として現場に復帰する可能性はないと断言している。
 

■ベスト8:アメリカ/ブルース・アリーナ(70歳)

ブルース・アリーナ
 
 現役時代はGKとしてプレーをし、1996年のアトランタ五輪でアメリカU-23代表を率いたブルース・アリーナ。米国サッカー史上で最も成功を収めた指導者の一人だ。1996年1月にD.C.ユナイテッドの初代監督に就任し、1年目でMLSカップとUSオープン・カップの2冠を達成。アメリカ代表監督には1998年10月に就任し、2002年のワールドカップでベスト8入りを果たした。グループ最下位に終わった2006年のW杯後に退任して以降は、MLSのクラブで監督を務めていたが、2016年にユルゲン・クリンスマンの後任としてアメリカ代表の指揮官に復帰。14試合連続無敗という好調なスタートを切り、2017年のゴールドカップも制していたが、同年10月。翌年のワールドカップ出場権を獲得できずに辞任に至った。
 
 その後しばらくは現場から離れていたアリーナだが、2019年5月にブラッド・フリーデルの後任としてMLSのニュー・イングランド・レボリューションの監督に就任。2021年のMLSではイースタン・カンファレンスを制覇。MLSカップではプレーオフ準決勝でニューヨーク・シティに敗れたが、クラブ史上初めて「サポーターズ・シールド(ウェスタン・カンファレンスも含め、レギュラーシーズンで最も優秀な成績をおさめたクラブ)」に輝き、自身4度目のMLS年間最優秀監督にも選出されている。
 

■ベスト8:スペイン/ホセ・アントニオ・カマーチョ(67歳)

ホセ・アントニオ・カマーチョ
 
 数々の名プレイヤーを輩出したレアル・マドリードにおいて、クラブ史上屈指の名ディフェンダーと評されるホセ・アントニオ・カマーチョ。現役時代、同クラブで公式戦577試合に出場し、リーグ制覇9回を含む17個の主要タイトルを獲得。スペイン代表としては、1984年のユーロ準優勝に貢献した。引退後はラージョ・バジェカーノで監督業をスタートし、1998年夏にレアル・マドリードの監督に就任。しかし首脳陣と衝突し、一試合も指揮を執ることがないまま辞任に至った。同年9月にハビエル・クレメンテの後任としてスペイン代表監督に就任したが、日韓W杯で優勝候補の一角だった“無敵艦隊”はベスト8でPK戦の末に韓国に敗れて敗退。カマーチョは大会後に代表チームを去った。
 
 2004年5月には“銀河系軍団”と呼ばれたレアル・マドリードの監督に再就任するも、わずか4カ月で辞任。以降、ベンフィカ、オサスナ、中国代表の監督を歴任し、3年半ほどのブランクを挟んで、2016年12月にガボン代表の指揮官に任命された。翌年にホームで開催されたアフリカ・ネーションズ杯での好成績が期待されたが、ピエール・エメリク・オーバメヤンを擁する同国はグループステージで敗退。2018年9月にネーションズ杯予選ブルンジ戦を1-1で引き分け、その3日後の親善試合でザンビアに敗れた翌日に解任された。ガボン代表を率いた17試合でわずか2勝しか挙げられなかったカマーチョは、以降、監督業から遠ざかっている。
 

■ベスト8:イングランド/スヴェン・ゴラン・エリクソン(74歳)

スヴェン・ゴラン・エリクソン
 
 2001年1月、イングランド代表はスウェーデン人指揮官、スヴェン・ゴラン・エリクソンを新監督として迎えた。1999-2000シーズンにラツィオにスクデットをもたらした他、ローマやフィオレンティーナ、サンプドリアとセリエAで手腕を発揮済みだったエリクソンは、イングランド代表史上初の外国人監督として名前を刻むことに。2002年と2006年のワールドカップに加えて2004年のユーロと、指揮を執った国際主要大会は全てベスト8に終わった。
 
 イングランド代表を退任した後はマンチェスター・Cの監督を1年務め、メキシコ代表とコートジボワール代表を率いたがいずれも短期政権に終わったエリクソン。レスターを率いた後は2013年から2017年にかけて中国の3クラブで指揮を執り、2018年10月にフィリピン代表監督に就任。翌年1月に退任して以降、監督業から離れている。2009年にノッツ・カウンティ(当時4部)でフットボール・ディレクターを務めた他、昨年9月に行われたユニセフ(国際連合児童基金)への寄付金を募るチャリティマッチ『サッカー・エイド』でイングランド代表側の監督を務めるなど、同国との関わりが深いエリクソン。今でも英メディアにも頻繁に登場しており、プレミアリーグやスリー・ライオンズを率いていた時の興味深いエピソードの数々を披露している。
 

■ベスト8:セネガル/ブルーノ・メツ

ブルーノ・メツ
 
 ウェーブのかかった長髪をなびかせ、映画俳優のようなルックスでスーツ姿が様になっていた“白い魔術師”。選手としては主に母国フランスのクラブでプレーをし、最後に所属したASボーヴェで監督キャリアをスタート。その後も現役時代を過ごしたリールやヴァランシエンヌ等で指揮を執り、2000年にセネガル代表監督に就任。2002年のワールドカップでは、開幕戦でディフェンディング王者のフランスを倒し、世界を震撼させた。ベスト16では延長の末にスウェーデンを制し、セネガルを準々決勝に先導。極東の地でセネガル旋風を巻き起こした。
 
 W杯後にUAEのアル・アインの監督に就任し、同クラブを2002-03シーズンのAFCチャンピオンズリーグ王者に導くことに成功。その後もカタールのアルガラファ、サウジアラビアのアル・イテハド、UAEとカタールの代表と、中東で指揮を執り続けたメツ。最後に監督を務めたクラブは、UAEのアル・ワスルとなった。2012年7月にディエゴ・マラドーナの後任に指名されたメツだったが、癌が発覚して3カ月後に辞任。それから1年後の2013年10月に59歳でこの世を去っている。

(記事/Footmedia)

By Footmedia

「フットボール」と「メディア」ふたつの要素を併せ持つプロフェッショナル集団を目指し集まったグループ。

SHARE

LATEST ARTICLE最新記事

SOCCERKING VIDEO