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【サッカーに生きる人たち】スペインリーグ初の日本人オーナーとして挑戦した3年間|坂本圭介(株式会社イープラスユー 代表取締役)

インタビュー・文=大峯あつし(スポーツデジタルメディア編集講座2期生)
写真=兼子愼一郎

日本人ブームで熱狂するスペイン

 今シーズンのリーガ・エスパニョーラは、いまだかつてないほどの注目を浴びている。日本代表FW久保建英が世界最高峰のメガクラブであるレアル・マドリードへ電撃移籍し(今シーズンはマジョルカへレンタル移籍)、乾貴士は名声を上げたエイバルへ復帰。2部では岡崎慎司(ウエスカ)や香川真司(レアル・サラゴサ)、柴崎岳(デポルティーボ)らがスペインの地へ集結している。

 現在の“スペインブーム”に先立つこと7年前、スペインで初めて日本人のクラブオーナーが誕生していたことを知っているだろうか。スペイン南部のカタルーニャ州、バルセロナの北にほど近い小さな街で、坂本圭介さんは当時2部のサバデルを所有していた。指宿洋史(現・湘南ベルマーレ)が10-11シーズンに所属し、3部から2部へと昇格したチームと言えばピンとくる方もいるだろう。坂本さんは、2012年にサバデルの株式の過半数を取得し、オーナーになった。

「実は、僕自身はサッカーをやってきていないんですよ。学生時代はバスケットボールをやっていました。でもせっかくやるんやったら、世界的に盛り上がっているサッカーじゃないかと思って、サッカーを選んだんです」

 話せばコテコテの関西弁で。失礼を承知で言うと、第一印象は物腰の柔らかい語り口で、まさに“大阪のおっちゃん”だった。関西弁の“おっちゃん”社長は、スペインリーグで唯一の日本人オーナーとしてどのような経験をしてきたのだろうか。

“禁断”のビジネス転換でチャンスをつかむ

 坂本さんは、初めからクラブチームのオーナーを目指して事業を始めたわけではないという。大阪市立大学工学部を卒業後、商社や通信機器メーカーを経てコンサルタントとして独立。外資系通信機器メーカーの日本法人社長に就任すると、ナスダックへと上場させた。その後、「全く違う分野で新たなチャレンジを始めたい」という思いで、2011年に株式会社イープラスユーを設立した。ヨーロッパの有名クラブの育成機関として、各種スポーツ事業のコーディネートやアカデミー事業の企画・運営などを行っている。スポーツ業界に来たのは、これまで勉強一筋だった自身に対し、幼少期からスポーツでプロを目指す人に強い憧れがあり、支援したいと思ったからだという。

 2012年夏に日本で初めて開催された「レアル・マドリード・ファンデーションキャンプ」は、子供向けの短期間のサッカースクールだ。坂本さんはその誘致を一から担い、まずは子供のためのサッカースクールとして、レアル・マドリードの日本でのキャンプ誘致を始めた。だが、そのきっかけは、レアル・マドリードの宿敵だった。

「実は、バルセロナから日本でスクールを開きたいというお話をいただいていたんです。だけど、話が進んでいくうちにバルサ側の内部で権力争いが始まってしまって……。契約書も交わしていたのに、急に『監督を派遣できない』と言われました。信じられないですよね。すでに集めていた通訳やスタッフをクビにするわけにはいかないので、レアル・マドリードに話を持っていきました。周りからは『普通、そこ行くか?』って言われましたけど(笑)」

“禁断の移籍”にも等しい“禁断のビジネス転換”により、発掘された日本の逸材がいる。下部組織から順調に昇格を続け、現在はフベニールC(U-17)に所属する「ピピ」こと中井卓大だ。もしバルセロナが日本でキャンプを開催していたら、「バルサのピピ」が誕生していたかもしれない。

 クラブチーム買収の話は、スクール事業を展開するためにスペインと日本を往復する日々を繰り返しているなかで舞い込んできた。

「キャンプの準備をしている時に、たまたまサバデルというチームが売りに出ていると聞いたんです。あまり運営費がかからず、放映権を前提に回していけるという話だったので、買っちゃおうと。当時、2部の放映権料が約250万ユーロだったんですが、1部に昇格すれば約2100万ユーロまで上がるということで、うまくいけば利益をたくさん出せるし、チャレンジする価値があると思いました」

 こうして2012年6月、約200万ユーロ(約2億8000万円)でサバデルの株式を取得し、日本人初のクラブオーナーとなった。しかし、信頼していた人物から裏切られ、前オーナー時代から19年間も続いていた地方税の未納、社会保険の脱税発覚による罰金といった過去の“負の遺産”が次々と判明することになる。

「正直、ふざけんなよと思いました。お金がない時に、身内だと思っていた役員から融資してもらったら金利を10パーセント上乗せされていた……なんていうことばかりで。経営陣は現地にいるスペイン人が半数だったので、今思えば前任のスタッフを切り離し、すべて入れ替えてスクラップ・アンド・ビルドをしたほうが良かったのかもしれません。それでも前に進むしかありませんでした」

 それまで外資系の企業を通じてアメリカ文化を理解していた坂本さんは、ビジネスにおけるスペイン文化があまりにも違うことに衝撃を受けた。語り尽くせないほどの摩擦を数多く経験したという。サバデルでオーナーとして携わった3年の間には、成績不振による監督交代(13-14シーズン)や、3部降格(14-15シーズン)を目の当たりにした。

「このビジネスは競馬のギャンブルに近いんです。予算がないのに、監督交代のために2億円の資金が必要になるなんて想定外ですよ。こういうチャレンジをすると、誰かが助けてくれるだろうと思っていました。スペインで初めての日本人オーナーというだけでも、十分にエポックメイキングじゃないですか。甘く見ていました。メディアも全く取り上げてくれませんでした」

“失ったモノ”と“得たモノ”

 3部に落ちると放映権による収入がなくなるということもあり、坂本さんはフロント経営から身を引くことになった。

「トップチームからは退いてますが、下部組織の育成チームとは関係を継続しています。子供たちを本場のサッカー文化に触れさせることを目的として始めたので、今は現地でホームステイをしながらサッカー留学ができるような環境作りに重点を置いています。もともと、“外国にいる親戚のおっちゃん”になりたかったんです。異国の地に子供が1人で行くのって大変じゃないですか。でも、『親戚のおっちゃんがおるで』と言われると、行ってみようかなという気持ちになる。現代サッカーの本場であるスペインでそういう位置づけにしたかった。僕の経験上、ど真ん中で挑戦して揉まれないと本当の流れが分からない。何ごとも本流で経験することが大事やと思います」

 私財を投入してクラブチームのオーナーになった結果、経済面では何一つ恵まれなかった。では、坂本さんにとって、オーナーとしての3年間の挑戦は失敗だったのだろうか?

「僕の中では、まだ通過点です。この経験があったおかげで、今はスペインと日本の橋渡しとしての役割ができている。例えば、ヴィッセル神戸のアンドレス・イニエスタの周りのスタッフは、ほとんどうち(サバデル)の関係者ですし、サガン鳥栖のルイス・カレーラス元監督も、以前はサバデルの監督ですからね。何か深いご縁を感じます」

 近年、Jリーグにスペイン人の監督や選手が多く在籍し、そのパイプ役としてサッカー界に貢献できていることは、サバデルでオーナーを務めたからこそだという。

「今、僕の会社の年商は5億円です。これをなんとか100億円の企業にしたいと思っています。実現した時にはもう一度、リーガでチャレンジしたいです。今度はもう少しうまくやりますよ。LFP(スペインプロリーグ機構)の一員として、会議の中で『どんな内容が議論されているのか、誰が発言権を持っているのか』ということを知っている日本人は私しかいませんから(笑)」

 今、日本では、久保建英のリーガ・エスパニョーラでの一挙手一投足に沸いている。次はそのサッカー大国スペインで、再び日本人がオーナーとして旋風を巻き起こす時を期待したい。

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