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【インタビュー】内田篤人「新たなスタートライン」

2017.01.25

2016年12月8日、日本中のサッカーファンが待ちわびた瞬間が訪れた。内田篤人が戦列に復帰―。離脱から実に1年9カ月後のことだった。気が遠くなるような長いリハビリ生活を終えた今、内田篤人は何を考え、将来をどのように見据えているのか。約1時間に及ぶロングインタビューで本音を聞いた。
インタビュー=岩本義弘 Interview by Yoshihiro IWAMOTO
写真=鷹羽康博、ゲッティ イメージズ Photo by Yasuhiro TAKABA, Getty Images
[ワールドサッカーキング2017年3月号増刊「2016-2017 ブンデスリーガ後半戦ガイド」]

「本当に大変なのはこれからだと思う」

――まずは長かったリハビリ生活について聞かせてください。ピッチを離れていた期間はキャリアの中で最長だったと思いますが、リハビリの途中に「もう戻れないんじゃないか」と不安に思うことはなかったですか?

内田篤人 「戻れないかも」とは思わなかったですね。だからドイツで「内田、引退か?」という報道が出た時も、自分の中では「もっと出せ!」という感じでした。フリが大きいほうが、復帰した時のインパクトも大きいと思っていたので(笑)。

――あの記事が出た時はファンも動揺しましたけど、すぐに「この記事はおかしいぞ」という感じになりましたね。

内田篤人 僕のところに取材に来てないですからね。もちろん、記事の中に僕自身の言葉もなかったですし。でも、見出しだけが一人歩きしていたので、フリとしては「よし、よし」という感じでした。

――気持ちの面でそうした余裕があったのは、リハビリに手応えを感じていたからですか?

内田篤人 そうなんですよ。ちょうど自分の中で「あと少し」、「あとこれぐらい」という光が見えてきた時期で、心に余裕があったんです。もし、どん底の時にあんな記事が出ていたら、「なんでこんなこと書くの?」と思ったかもしれない。気持ちに余裕がないから。

――過去のインタビューで「物事に対していちいちネガティブになったり、ポジティブになったりすることはない」と話していましたが、今回のリハビリはさすがにネガティブになることもあったのでは?

内田篤人 リハビリメニューがきついとか、なかなか治らないとか、そういうことよりも、自分の決断が間違っていたんじゃないか、このやり方は間違っているんじゃないかと考えていた時期が一番きつかったですね。自分のことを信じられない自分がいる……。あれが一番つらかったです。

――自分の選択が間違っているかもしれないと思うのは、キャリアで初めてのことだったのでは?

内田篤人 そうかもしれないですね。鹿島に行くと決めた時も、ドイツに来てからも、なんだかんだで優勝を経験したり、試合に出させてもらったりしていたので。でも、今回に関しては全く光が見えない時間が長くて、「手術は間違いだったのかな?」と思ってしまった。そういう自分がいることに気がついて「なぜ自分を信じてあげられないのか?」と思っていた時が一番しんどかったです。

――心の中に2人の自分がいる感覚ですね。

内田篤人 手術しなきゃいけなかったし、自分が決めたことだと頭では分かっているのに、それを信じ切れない自分に気づいた時は泣きました。

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――そういう人生の選択や葛藤のようなものは誰もが経験するものだと思いますが、どうやってそれを乗り越えたのですか?

内田篤人 自分の中でひざの状態が良くなっていくのを感じ取れた時に「このリハビリは間違ってなかった」、「復活できるんだ」と思えた。それでまた自分を信じてあげられるようになりました。

――回復への確かな手応えがあったからこそ乗り切れたと?

内田篤人 そう。全く手応えがなくて、ずっとひざの状態が同じままだったら、さすがに「どうやっても治らないかな」と思っちゃいますよね。寝ていれば治る類のケガではなかったですし。例えば、前十字じん帯とかアキレス腱とか骨折なんかは、最初の1、2週間はこうして、次の週はこうして、そうしたらこのぐらいで復帰できる、というのが医学的に分かっているんですよ。でも僕のケガの場合はそういうものがなくて、ドイツのドクターには「手術したらオマエはもう引退だ」とまで言われましたから。だから治りが遅くなるにつれて、不安が大きくなっていきました。

――「ピッチに立てる」という手応えを得たのはいつ頃ですか?

内田篤人 徐々に、でしたね。ただ、鹿島でフィジオセラピストの塙(敬裕)さんと出会えたことは大きかったです。日本で塙さんに見てもらった後、ドイツに戻ってドイツのやり方でリハビリをしたらまた悪くなった。それでドイツで契約しているトレーナーの吉崎(正嗣)さんと塙さんとで連絡を取り合ってもらって、毎日練習後にケアをしてもらいました。

――常にひざの状態を共有しながらリハビリしていたんですね。

内田篤人 そう。そこは結構大きかったですね。

――長いリハビリ期間で心の支えになったものは何ですか?

内田篤人 友だちです。ドイツに渡ってからなかなか友だちが増えるということがなかったんですけど、リハビリで5カ月ぐらい日本にいたので知り合う人も増え、新しい友だちができた。しかも「出会うべくして出会った」と思えるような友だちです。出会いは大事だなと改めて思いましたね。サッカー関係の人ではなくて、むしろサッカーのことは全然分からないんですけど、週に3、4回一緒にご飯を食べて、笑わせてもらって。その時間だけは気持ちの面でリハビリから離れることができた。

――リハビリ施設と家の往復だけではさすがに気が滅入りますよね。

内田篤人 リハビリ施設に泊まっていた時期もありましたからね。そういう中で、ちょっと違う雰囲気を作ってくれる友だちの存在はすごく大きかった。彼らはそんなに重いケガだとは思っていなかったみたいで、松葉杖を使っていた時期も「あれ、どうしたの?」という感じで(笑)。まあ、全然治らないから徐々に心配してくれるようになりましたけど。復帰した時はすごく喜んでくれました。

――復帰した直後の周囲のリアクションはどうでしたか?

内田篤人 メールをたくさんもらいましたね。あとは何だろう? 本当に親しい人たちには「ここで復帰する」というのを事前に伝えていたので、みんな安心して見ていたみたいですけど。

――内田選手のことはカズさん(三浦知良)もすごく心配して、気にかけていましたよ。

内田篤人 そうやって待っていてくれる人がいる、ましてやカズさんに気にかけてもらえるというのは本当にありがたいですね。でも、これからはちゃんとやらないとヤバイなと思います。やっとスタートラインに立てましたけど、本当に大変なのはこれからなので。

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ワールドサッカーキング2017年3月号増刊「2016-2017 ブンデスリーガ後半戦ガイド」では、内田篤人選手が、復帰戦で感じた予想外の気持ちや、シャルケでの後半戦展望、日本代表への想いを語ります!

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