2017.02.10

【アジアサッカーの今】タイ/“東南アジアの盟主”からアジアの強豪へ

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かつてアジアの強豪の一角を占め、日本に勝利したこともあるタイ代表チーム。2000年代に入ってから、一時は低迷期も経験したが、最近になって急激にその力を伸ばしつつある。過去から現在にかけてのタイ代表を追いつつ、その未来の姿を読み解いていく。

文=本多辰成 Text by Tatsunari HONDA
写真=ゲッティ イメージズ Photo by Getty Images

[Jリーグサッカーキング2月号増刊「進化を遂げるタイサッカー」]

アジア上位争いへの帰還


 2016年12月17日、バンコクのラジャマンガラ国立競技場はタイ代表の史上最多5度目となる、東南アジア王座君臨に沸いた。東南アジア諸国代表が覇権を争うAFFスズキカップ決勝。インドネシアを相手にアウェーでの第1戦を1-2で落としていたタイは、ホームで2-0と勝利し、逆転で2大会連続の優勝を決めた。4万5000人を超えるファンの前で優勝カップを掲げるタイ代表の姿は、躍進する東南アジアの盟主としての貫禄を感じさせた。

 この2年ほどでタイは急激に力をつけており、昨年はその成長した姿をアジアトップレベルの戦いでお披露目する年となった。1月にはリオデジャネイロ・オリンピックのアジア最終予選を戦い、日本とも対戦。日本には0-4と完敗したものの、サウジアラビア、北朝鮮とは互角に近い内容のドローと、アジアの上位国とも対等に戦えることを証明した。さらに、ロシア・ワールドカップのアジア予選でも2次予選でイラクを抑えて首位通過、大方の予想に反して最終予選に進出している。タイがW杯のアジア予選で最終予選を戦うのは02年日韓大会以来のこと。だが、この時は日本と韓国が本大会のホスト国であったため予選を免除されており、オーストラリアもまだアジア予選に参戦していない時代だっただけに、運に恵まれた面もあった。今大会の最終予選進出は正真正銘の実力によるもので、アジアの勢力図にタイという新たな勢力が台頭してきたことを感じさせる。

 タイは元々サッカー熱の高い国だ。代表の歴史を振り返っても、2度の五輪出場(1956年メルボルン大会と68年メキシコシティ大会)をはじめ、アジア大会ではベスト4に6度進出、アジアカップでも72年に3位の好成績を収めるなど、アジアにおいて一定の存在感を示していた時代もある。Jリーグ開幕以前は日本との差もそれほどなく、84年のロサンゼルス五輪予選ではタイが日本に5-2と快勝。その試合でハットトリックを決めたタイのエース、ピヤポン・ピウオーンの名は、日本サッカーの歴史にも深く刻まれている。

 1990年代から2000年代前半にかけて、タイ代表は黄金期を迎えていた。94年アメリカW杯アジア1次予選の日本戦で17歳にして代表デビューを果たし、タイ代表歴代最多の131キャップ、70得点を刻んでレジェンドとなったキャティサック・セーナームアンを筆頭に、才能ある選手たちが同時期に登場。タイ国内では“ドリームチーム”と称され、アジアカップでも92年から07年まで5大会連続で本大会出場を果たしている。だが、その世代が代表を退くと低迷期に突入。ただ蹴るだけの退屈なサッカーに、ファンの関心は次第に「チャーン・スック(戦象)」の愛称を持つ代表チームから離れていった。

英雄の就任で低迷脱出


 2010年代に入ると、タイのサッカー界に新たな光が差し始める。国内リーグの成長によって選手のステイタスが向上し、それを背景に若い才能が育ち始めた。だが、すぐに代表強化に直結することはなく、国内リーグの盛り上がりを横目にタイ代表は輝きを取り戻せずにいた。

 その状況が劇的に変化したのは14年。90年代の“ドリームチーム”の中心選手だったキャティサックの代表監督就任が転機となった。キャティサックはそれまで代表ではベンチを温めていた、あるいは招集される機会すら少なかった才能ある若手を一気に主力として抜擢。絶対的なエースとして君臨していたティーラシン・デーンダーを除くほとんどのスタメンを入れ替える大胆な改革を断行した。今や代表の顔となった“タイのメッシ”ことチャナティップ・ソングラシンや左サイドバックのティーラトン・ブンマータンも、キャティサック監督就任によって代表での地位を確立した選手たちだ。

 そこからタイ代表の快進撃が始まるのに、そう時間はかからなかった。キャティサック監督就任直後の仁川アジア大会でベスト4に進出すると、その年末には東南アジアチャンピオンを決めるAFFスズキカップで12年ぶりに東南アジア王者の座に返り咲いた。さらに翌年には、「東南アジアのオリンピック」と呼ばれ、U-23代表で争われる東南アジア競技大会でもキャティサックが指揮して難なく優勝。グループリーグから7戦全勝で24得点1失点という圧倒的な戦いぶりは、東南アジアのレベルを越えようとしているようにさえ見えた。

 その勢いは五輪予選、W杯予選とアジアレベルの戦いにもつながっていく。まずはリオデジャネイロ五輪でアジア最終予選進出を決めると、続いてロシアW杯のアジア予選でも順調に勝ち点を重ねていった。無敗で首位通過を決めた2次予選では、中東の強豪・イラクに対してホーム、アウェーともに2-2のドロー。イランのテヘランで開催されたアウェー戦では後半ロスタイムに追い付かれて惜しくも勝ち点3を逃したが、限りなく勝利に近い戦いを見せた。東南アジアレベルでは圧倒的なポゼッションで細かいパスをつないで攻めるスタイルのタイだが、上位国に対してはしっかり守備から入っての戦い方もある程度できることを示した。

 快進撃を続ける代表チームに、国民の関心も復活。低迷期にはW杯予選ですら空席が目立ったラジャマンガラ国立競技場のスタンドに、毎試合4万人を超える観衆が戻ってきた。若い才能が躍動するタイ代表はいつしか“ドリームチーム2”と呼ばれるようになっていった。


悲願のW杯初出場へ


 ロシアW杯アジア最終予選、タイは前半の5試合を終えて1分け4敗の最下位に沈んでいる。格上の国々を相手に、懸念されていたディフェンス面のもろさが露呈する場面も多く、経験値を含めた総合力でタイがグループ最下位に位置するのは事実だろう。

 だが、一つひとつの試合を丁寧に見ていけば、タイは最終予選においても少なくともアウトサイダーでないことはすぐに分かる。結果的には0-1の敗戦に終わった初戦のサウジアラビア戦も84分に与えてしまった微妙な判定によるPKで敗れたが、試合はむしろタイのペースで進んでいた。前半戦を首位で折り返した中東の強国を相手に、タイはアウェーで勝利を収めてもおかしくない内容の試合を演じているのだ。勝ち点3を手にしても不思議ではなかったサウジアラビア戦が一転して勝ち点0に終わったことで、タイのリズムは崩れた。続くホームの日本戦、そしてUAE、イラクと続いた中東のアウェー2連戦をいいところなく連敗してしまったのは、経験不足による未熟さだろう。だが、最終予選初の勝ち点獲得となったホームでのオーストラリア戦では、アジア王者を相手に最後まで攻め続け、再びそのポテンシャルを感じさせた。二つのPKでどうにか2-2の引き分けに持ち込んだオーストラリアは試合後、勝ち点1を得られたことに安堵しているようにも見えた。

 ロシアW杯にタイが初出場を果たす可能性は極めて低いだろう。だが、22年カタール大会、さらにその先を見据えれば、タイがアジアの代表としてW杯の舞台に登場する日が来ても不思議はない。今、タイでは経済の成長と国内リーグの発展によってその土台が着々と整えられているところだ。

 育成の環境にもはっきりと変化が見られる。タイではこれまで育成年代のチームを有するクラブはほとんどなかったのだが、各クラブがアカデミーを所有する方向へ向かっており、昨年から本格的に育成年代のリーグ戦がスタート。加えてレスターのタイ人オーナー、ヴィチャイ・スリヴァッダナプラバによる、タイの若い才能をレスターで育成する計画や、Jリーグアジアアンバサダーを務める木場昌雄が行っているJクラブへのサッカー留学など、海外を絡めた興味深い動きも見られる。タイでは古くからサッカーや国技のセパタクローが生活に根づいており、わずかなスペースさえあれば気軽に足でボールを扱って遊ぶ習慣がある。これまで足元の技術に優れたタイの才能たちはそういった文化を背景に生まれてきたが、育成環境が整えばさらに安定的に質の高い才能が輩出されることになるだろう。

 さらに、タイ人選手の海外移籍もこれから盛んになりそうな気配がある。14-15シーズンにはタイ代表のエースであるティーラシン・デーンダーがスペイン1部のアルメリアでプレー、今年7月にはチャナティップが北海道コンサドーレ札幌に加入することも発表されている。多くの選手が海外で経験を積む流れができれば、タイ代表がさらにアジアトップレベルに接近するのは間違いない。その先には悲願のW杯初出場も見えてくることだろう。

 タイ代表がアジアの強豪を目指す戦いは始まったばかりだ。

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