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28歳で指導者の道を選んだ手倉森監督…ブレない采配に影響を与えた3人の恩師たち

2016.01.27

U-23日本代表を6大会連続の五輪出場に導いた手倉森誠監督(中央) [写真]=Getty Images

 リオデジャネイロ・オリンピック出場権を懸けた大一番でも、指揮官にブレはなかった。

 リオ五輪アジア最終予選、イラクとの準決勝。手倉森誠監督はイランとの準々決勝で起用しなかったMF南野拓実(ザルツブルク/オーストリア)を先発させ、右足股関節痛から復帰したばかりのFW鈴木武蔵(アルビレックス新潟)、左ふくらはぎ痛で前日練習を回避したMF遠藤航(浦和レッズ)もスタメンに送り込んできた。

 一方で、大島僚太(川崎フロンターレ)の出場が予想されたボランチには、イラン戦で120分プレーした原川力(川崎)をそのまま起用。中でも驚かされたのが、ディフェンスリーダーである岩波拓也(ヴィッセル神戸)をサブに回したことである。

 指揮官が明かす。

「ラインコントロールでの牽制の仕方は(岩波に代わって先発した奈良)竜樹(川崎)が一番メリハリがある。(植田直通/鹿島アントラーズも含めた)3人で高め合っているところだから『ローテーションするぞ』と岩波に伝えた。もちろん決勝は岩波で行くつもりですけど、二つのポジションを3人でローテーションしていて、いい経験にもなるし、いいコンビネーションも作りたい。だから岩波には準決勝は我慢してくれと」

 手倉森監督は常々、「選手を成長させたいから多くの選手を使う」と語り、今大会に向けても「23の武器を選んだ。そのすべてを有効に使いたい」とも語っている。U-23日本代表がこの2年間で2度対戦し、ともに敗れている相手に対しても、その信念を貫いたというわけだ。

 そして久保裕也(ヤング・ボーイズ/スイス)と原川のゴールでイラクを2-1で下し、リオ五輪への出場権を獲得した。苦難の道が予想された最終予選を5連勝で勝ち抜き、6大会連続オリンピック出場へと導いた指揮官の原点は、いったいどこにあるのか――。

 見た目は貫禄たっぷりの手倉森監督だが、実は解説者として現地に来ていた中山雅史さん、アビスパ福岡をJ1復帰に導いた井原正巳監督と同級生。1967年生まれの48歳だ。

 双子の弟、浩さんとともに青森県の五戸高から86年に住友金属(現鹿島)に入社し、93年のJリーグ開幕を鹿島の一員として迎えたが、翌年にNEC山形(現モンテディオ山形)に移籍している。

 その2年後の95年に28歳で現役を退き、指導者に転身すると、2008年にベガルタ仙台で指揮官に就任するまで、7人の監督の下でコーチとして働いている。

 そのすべての監督から多くを学んできたが、とりわけ最初にサポートした3人の監督から受けた影響が大きいという。

 最初の一人は山形、大分トリニータで一緒に働いた石崎信弘監督(現山形監督)だ。かつて手倉森監督はこんなふうに語っていた。

「石さんはとてもまじめ。トレーニングも緻密に計算していて、最初に決めたスケジュールは絶対そのとおりにやり抜く。その計画性や信念に、プロの監督とはこうあるべきなんだと思った」

 実は、28歳の手倉森監督に引退を勧告したのも、この石崎監督だった。将来のJリーグ入りを目指し、翌年から「モンテディオ山形」とチーム名を変えることが決まっていた95年のシーズン中に「コーチにならんか」と声を掛けられたのだ。

「ショックでしたよ、突然だったし。選手兼任でもいいっていう話だったけど、それは断った。中途半端になったら周りに失礼だから。で、選手を続けたいって言ったらどうなるんですかって聞くと、『だったらクビや。ワシ、使わんもん』だって(苦笑)」

 さらに石崎監督の「今辞めれば、同世代の誰よりも経験を積めて、良い指導者になれるぞ」という言葉に背中を押されたという。

「確かにユース代表でチームメイトだった井原やゴン(中山)はクラブでも代表でも第一線で活躍しているけど、俺はJFLでもがいている。この先、選手として陽の目を見ることはもうないだろう。でも、今から指導者の道に進めば、彼らが引退する頃には俺は相当な経験を積んでいるはずだって、自分に言い聞かせて、現役の未練を断ち切ったんだ」

 二人目は99年に石崎の後任として山形を率いた植木繁晴監督(現上武大学サッカー部監督)である。

「植木さんはゲームを読むうまさのある人だった。0-2から逆転を狙うような、ギャンブル的な采配を何度も見せて。采配に幅があって、若い俺には格好良く見えたね」

 選手の人心掌握にも長け、コーチの手倉森監督に怒らせておきながら、優しい言葉で場を和ませたり、逆にいきなり怒鳴ってみせたりもする。

「植木さんからは、監督は役者である必要もあるって学んだ」

 三人目は、大分で出会った小林伸二監督(現清水エスパルス監督)だ。

「小林さんは組織的にも、戦術的にもチーム作りに長けた監督だった。ミーティングもシンプルで分かりやすい。あと、個を伸ばすトレーニングも考えていて、ビデオなども作ってあげる。実際に高松(大樹)や松橋(章太)がみるみる成長していって、見ていてとても勉強になった」

 こうした監督評と、手倉森監督がU-23日本代表で見せたチーム作りや采配――限られた時間で逆算したチーム作り、毎試合メンバーを入れ替える大胆な起用、勝負どころを見極めた選手交代、ダジャレを交えたミーティングや個別のコミュニケーションなど――を照らし合わせれば、確かに影響を受けている部分があることは伺える。

 その小林監督とは2002年のシーズンオフ、ロンドンまで足を運び、アーセン・ヴェンゲル監督率いるアーセナルの練習を視察した。また、S級ライセンスを取得した直後の2006年12月にバルセロナを訪れ、フランク・ライカールト監督のトレーニングを勉強したことからも分かるように、手倉森監督はもともと攻撃的なサッカーの信奉者だ。そもそも現役時代はトップ下を主戦場としたゲームメーカーでもあった。

 だが、2008年に監督に就任した仙台は2004年にJ2に降格して以来、4年続けてJ1復帰に失敗していた。2年後、念願のJ1復帰を決めたが、絶対にJ1に上がらなければならない、絶対にJ2へ降格してはならないという戦いの中で手倉森監督はリアリスティックなチーム作り、そして弱者が強者を倒すための戦い方を身につけていった。

 今回のU-23日本代表を構成する選手たちは、2012年U-19アジア選手権、2014年U-19アジア選手権でいずれも準々決勝で敗れ、「アジアで勝てない世代」だった。ただでさえ国際経験が少ない上に、予選方式もこれまでのホーム&アウェイ方式から一発勝負のトーナメント戦へと変更され、困難な戦いが待ち受けていることが予想されていた。

 イラク戦後のミックスゾーンで、指揮官が語る。

「僕自身、難しいプロジェクトに対して選ばれたんだろうなと。難しいからこそやりがいがある。彼らは決してポテンシャルが低いメンバーじゃない。アンダーの代表で悔しい思いをしたからこそ伸びしろがあると信じて、昨日もそういう話をしました。自分が万年J2にいた仙台を5年でACLまで導けたのは、悔しい思いをしている連中に可能性を感じたからだと。選手たちはその気になってやってくれた」

 悔しい思いをしていた選手たちと、そのハートにあの手、この手で火をつけた指揮官。U-23日本代表と現在の日本サッカー界の置かれた状況を考えれば、手倉森監督はこのチームを率いるのに適任だったと言える。

 試合後、五輪への出場権を獲得したことによる達成感と、プレッシャーからの解放感で、多くの選手が涙を見せていた。

「監督は泣けましたか」と訊ねられた手倉森監督は「いや、優勝してから泣こうと思っている。秋葉(忠宏コーチ)が号泣するからもらい泣きしそうになっちゃったけど」と言って笑いを誘った。

 ここまでくれば、指揮官の涙が見たい。決勝の相手は韓国に決まった。今大会で様々なハードルを乗り越えてきたU-23日本代表にとっては、14年のアジア大会準々決勝で敗れたリベンジを果たすための、またとないチャンスとなる。

文=飯尾篤史

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