柴崎のチェックに先んじてパスを出すキム・ミヌ [写真]=ChinaFotoPress via Getty Images
文=戸塚啓
これほど退屈な日韓戦は、いつ以来だろう。スタジアムで観るゲームとしては、たぶん初めてではないかと思う。8月5日、一度として身体が前のめりになることがなかった。淡々とメモを取っていた。
タフなスケジュールで戦っている選手たちに対して、退屈と言うのは失礼だろう。それは承知している。
ああっ、それにしても!
パワープレーで逆転を喫した北朝鮮戦の反省から、日本は守備に重きを置いた。前線からのプレッシャーにこだわらず、相手の攻撃を受け止めることも意図した。2試合連続スタメンのフィールドプレーヤーが5人いたことを踏まえても、現実的な選択肢である。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、「リアリストになる必要があった」と話した。アンカーポジションの藤田直之に対して、指揮官はマンツーマンで付くように指示していた。
その結果としてつかんだ1-1のドローは、ピッチに立った選手たちに何をもたらしたのだろう。彼らは何を得たのだろう。
失点はPKによるもので、決定機もそれほど与えていない。蒸し暑さが滞留するピッチで冷たい汗をかかされたのは、至近距離からのヘッドがバーを直撃した70分くらいだった。ディフェンス面では頑張った。集中を切らさずに耐え抜いた。
それが、日本のサッカーなのだろうか。
韓国がパワーとスピードに優れることを、我々は20世紀から痛感させられてきた。パワーにパワーで対抗するのではなく、個人の技術と組織力を強みとすることで、勝機を見出してきた。実際に結果も残してきた。
196センチの長身FWを起点とする韓国の攻撃は、パワフルだが分かりやすい。4-2-3-1の「3の両サイド」が、ポジションチェンジをすることはない。相手の流動的な動きによって、守備のバランスを崩されることはなかった。藤田がマンマークを遂行することで、中盤にスペースが空いてしまうことはあったが…。チャレンジ&カバーを徹底することで、対処できたはずである。
ところが、ハリルホジッチ監督のアプローチは真逆だった。
韓国戦のように辛抱強く耐えてワンチャンスに賭けるサッカーで、彼はロシア・ワールドカップへ向かっていくのだろうか。
そんなはずがない。それでいいはずがない。
たった1度の決定機を幸運にもゴールへ結びつけ、どうにか引き分けへ持ち込んだ試合を、評価できるはずがない。日本が目指そうとしているサッカーのスタイルとは、明らかにかけ離れているからだ。「勝つため」ではなく「負けないため」に現実主義者となった韓国戦が、未来につながる一戦とは到底思えない。
中2日のコンディションで体力的に不安があるなら、思い切ってスタメンを全員入れ替えればいいのだ。そのうえで、前線からプレッシャーをかける本来のサッカーを追求する。守備に重きを置くのは、プレッシャーをかけられなくなってからでいいはずだ。3人の交代枠を効果的に使って、できる限り自分たちのスタイルを維持する。
手応えをつかみたければ、トライをしなければならない。課題を明らかにしたければ、チャレンジが不可欠だ。
旧西ドイツ代表で活躍したウリ・シュティーリケ率いる韓国が、僕には眩しかった。
日本と同じように欧州組を欠く彼らも、今大会は経験の少ない選手の集まりだ。国際Aマッチ出場が2ケタに達しているのは、GKキム・スンギュ、CBキム・ヨングォン、MFキム・ミヌ、チャン・ヒョンス、FWキム・シンウクの5人だけである。中国との第1戦から、8人の選手を入れ替えている。
それでも、彼らは韓国なのだ。1対1で仕掛ける。攻撃的な姿勢を胸に抱く。メンバーが欠けているから、日程が厳しいからといったことをエクスキューズにして、自分たちのスタイルを変えることはしなかった。“韓日戦”で過去4試合勝利から遠ざかっていても、大胆に若手をテストしても、韓国らしさを失わなかった。
それでもなお、ハリルホジッチ監督は満足なのだろうか。
北朝鮮戦の反省を生かしたことで、選手たちは納得できるのだろうか。
「我々がはるかに攻撃的だった」
シュティーリケの言葉に反論する材料が、僕には見当たらない。