2014.06.19

【ギリシャ戦プレビュー】盾を減らさず、矛を隠せ。「スーパーサブ・ドログバ」を模倣せよ

長友佑都
前日練習で長谷部(右)と話す長友(左) [写真]=Getty Images

 毎週、週替わりのテーマで議論を交わす『J論』。今回は「初戦敗北。ギリシャ戦に向けた日本の採るべき術策は何か?」と題して、第2戦に向けた日本代表の選択肢を探っていく。今回は日本の現時点での低コンディションを受け入れつつ、「では、どんな策があるのか?」を探り、同時にこの一戦の意味を問い直す。第1戦の結末を踏まえて、日本が狙うべき可能性とは?

■しなかったのではなく、できなかった

 日本は自分たちのサッカーができたのか?

 コートジボワール戦の敗因を巡って、様々な意見が出ていることと思う。しかし”日本が日本のやりたいサッカーをできていなかった”ということについては、誰も異論がないはずだ。

 では、日本は自分たちのサッカーをしなかったのか? それともやらせてもらえなかったのか? ”しなかった”のなら、すればいい。答えは簡単だ。しかし私には”やらせてもらえなかった”ように見えた。

 ザックジャパンの強みはもちろん攻撃にあり、その中でも特に”本田圭佑や香川真司が近い距離感で細かくボールを動かせる”ことが最大の武器だと思う。彼らが相手を食い付かせるからこそ、1トップや岡崎慎司は裏を取れて、点も奪えるのだ。

 しかし6月15日の日本は、本田の素晴らしい一発こそあったものの、二手目、三手目を矢継ぎ早に繰り出すコンビプレーは少なかった。特に後半は攻撃面では何もできていなかった。一言でいえば、前線へのフォローが乏しかったからだ。そこはカウンターやセットプレーの迫力不足にも繋がっていく。日本が押し込んでボールの近くに人を掛けているからこそ、奪われた直後の素早いファーストディフェンスがハマるのだ。高い位置で仕掛けるからこそ、好位置のFKやCKも奪える。しかしコートジボワール戦では、前線の厚みの乏しさが、あらゆる部分に負の波及効果を生んでいた。

■足が止まったという重さ

 その理由が単に初戦の緊張なら、勇気の不足なら、”ギリシャ戦に向けて気合を入れろよ!”で話は済む。簡単だ。しかし後半のクオリティダウンを見ると、日本代表にはもっと深刻で単純な現象が起こっていたように思う。つまり、足が止まっていたということだ。

 日本は各年代の代表を通じて、暑熱下でのフィットネス勝負を得意にしている。現に南アフリカにおける戦いでは、走力が日本の大きなアドバンテージになっていた。だからブラジルでも……というのが私の期待だった。確かにレシフェは雨で、暑さもそれほどではなかったようだが、それにしても日本があそこまで動けないとは!

 チームが守備的に戦おうとして守備的になるのなら問題はない。しかし15日の日本代表は”攻撃的に戦おうとして、守備的になる”という最悪の状況になっていた。もちろんコートジボワールの攻撃は強力で、守るべきときは戻って守らなければいけない。しかしザックジャパンは守った後に、出て行くことができなかった。全体のプレーエリアが低くなったことは、攻撃につながる「いい奪い方」ができなくなることをも意味していた。

 どんなサッカーでも、スタイルでも、走れて損をすることはない。W杯のような短期決戦では、どうコンディションを合わせるかが、勝負を分けるポイントになる。初戦の日本は前線守備で相手をハメ込めなかったし、相手を翻弄して剥がすようなキレのあるプレーも少なかった。

 何よりボールの保持率が異常に低かった――。

 それは問題が単なる戦術、采配に留まらないことの証明だ。あの試合だけを見た人ならば、「日本代表選手の能力不足」という結論があり得るかもしれない。しかし僕らは、ザックジャパンのトップパフォーマンスを知っている。1-2という結果は何とか受け入れられるとしても、あれだけ「日本のサッカーができない」という事態は、完全な想定外だった。

 もちろん左サイドの守備が崩れた、香川真司や長友佑都のプレーが悪かったという”局面”の説明は可能だろう。とはいえ、選手が11人いれば、全員が最高ということは望めないものでもある。状態のいい選手が、状態の悪い選手をカバーする。それがチームだ。そして誰かが悪くても、日本代表には日本のサッカーをする責任がある。

■矛を減らすのではなく、矛を温存する策を

 ともあれ、我々は6月20日に向けて切り替えなければいけない。次戦の相手・ギリシャは0-3でコロンビアに敗れた結果、内容のどちらを見ても、コートジボワールより勝機のある相手だ。逆に言うと日本にとっては勝利を求められる、引き分けでは足りない試合になる。選手たちのミッションはゴールと勝ち点3を奪うこと――。それはすなわち、高い位置に枚数をかけていく本来のサッカーを取り戻すということだ。

 選手の入れ替えはあり得るだろう。とはいえ、5日間でできることはそう多くない。たとえば「南アフリカ大会のような守備的な戦術を採るべきだったのでは?」という意見があるかもしれない。しかしそんな反省は大会が終わってからすることで、大工事に入る時間はもう残っていない。

 今までチームが積み上げた関係性は、できるだけ維持しなければいけない。となれば入れ替えは1人か2人だろう。例えば香川をスタメンから外すことで左サイドの守備が強化されるかと言うと、それは違う。香川より守備力の高い選手は何人もいるけれど、あの”スペシャリティ”を持つ選手は他にいない。そして香川と本田が上手く絡めれば、2人で2人以上の相乗効果が生まれる。「盾を増やす代わりに、矛を減らす」ということは避けなければならない。

 一方で、香川や長友をベンチに置くというオプション自体は”アリ”だと思う。それは出来の悪かったことによる懲罰ではなく、切り札を取っておくというポジティブな発想だ。清武弘嗣、酒井高徳といった、相応のレベルに達した人材もいる。終盤の運動量に懸念が残るなら、なおさら”90分から逆算して選手を起用する”発想が必要になるはずだ。たとえば長友が後半20分から出てきたら、相手にとっては最高に嫌な使われ方だろう。長友なら攻めに出る場面でも、守り切りたい場面でも、どちらでも生かすことができる。

 コートジボワールがドログバという稀有なタレントの投入でどう変わったか――。それと同じことを今度は日本もすればいい。

■この苦境は絶好のチャンスだ

[3-4-3]の布陣でサイドの数的有利を作る、という発想も否定はしない。コートジボワール戦を見ても、相手はまず本田を潰しに来る。そして本田が消されると、日本の攻撃は機能しなくなる。布陣変更によって攻撃の中央偏重を脱してサイドに起点を作り、同時に相手のサイド攻撃を防ぐ――という考えはロジカルなものだからだ。確かに今まで準備を重ねて機能しなかったものが本番でうまくいくかは疑問だが、時間を限った使用も含めて、考えていいオプションだと思う。

 最悪の事態は選手たちが仲間や自分たちのサッカーを疑い、チームが自滅してしまうことだ。海外の指導者、選手が敗戦時にしばしば判定や不運といった外的要因を強調するのは”自分たちを守るため”なのだろう。つまり敵を外に作ることで、負の感情を内側に向けないというマネジメントだ。しかし、長谷部誠に率いられたサムライたちに限って、そういう小細工は不要だろう。結束は保たれると信じている。ザッケローニ監督も他人を攻撃して自分の責任を回避するといった手段を採らない誠実なメンタリティを持つ監督だ。

 最後に話をコンディションに戻そう。選手の身体の中身をのぞく術はないのだが、体調の波を考えれば、下がったものは必ず上がる。つまり”最悪”だったコートジボワール戦より悪くなることはないはずだ。

 初戦の失望は確かに大きい。しかしすんなり勝ち上がるよりも、逆境を克服して勝ち上がるほうが感動的なことを、我々は1997年のW杯フランス大会予選、2004年と2011年のアジアカップで知っている。この試練は日本代表が人々の気持ちをつかみ、本当の意味でサッカーが国民的スポーツとなる絶好のチャンスでもあるのだ。

文・大島和人

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