2014.01.13

カルチョに挑んだサムライの系譜…本田デビューでセリエA10人目の日本人選手誕生

サッスオーロ戦でセリエAデビューを果たした本田圭佑 [写真]=Getty Images

 ついに、ミランの本田圭佑が誕生した。日伊を巻き込んだ本田移籍をめぐる狂騒も、8日に行われた加入会見でひとまず終焉を迎えた。期待と好奇と疑心が入り混じった視線も、今後はピッチ上で本田の見せるプレーに注がれていく。

 綺羅星のごとくスターが並び、名実ともに世界最高峰に君臨したセリエAも今は昔。八百長や暴力、人種差別が蔓延して、リーグの名声は地に落ちた感もあったが、さすがは世界に冠たるメガクラブである。ルート・フリットやデヤン・サビチェヴィッチ、ズボニミール・ボバン、マヌエル・ルイ・コスタ、クラレンス・セードルフといった希代の名手達が背負ってきたミランの背番号「10」にかかる期待は、ケタ外れとなっている。

 1994年9月4日、三浦知良がジェノアの一員としてセリエAのピッチに立ってから約19年半。ついに日本人選手が、奇しくもカズのデビュー戦の相手だったミランの救世主が如く迎え入れられるところまで上り詰めた。セリエAに所属する日本人選手は、本田でちょうど10人目。日本を代表する選手達が挑戦してきた歴史は、日本サッカーの成長曲線をそのまま表すかのようである。

 サッカー界の酸いも甘いも噛み分けてきたカルチョに挑んだ、サムライ達の系譜を振り返りたい。

三浦知良
1967年2月26日生まれ
1994-95 ジェノア 20試合・1得点

アジア人選手初のセリエAプレーヤーとしてジェノアに加入したが、商業的な価値を目的とした補強と見られ、ジェノアーニの批判の的に。好奇の目を向けるメディアや日本人への偏見を持つ指揮官の存在、更にはミランとの開幕戦で鼻骨を骨折する不運もあり、十分な活躍を披露できず。前年のアジア年間最優秀選手賞に輝いたが、「アジア人選手」のハンディを跳ね返せずに、わずか1得点でイタリアを去った。

■中田英寿
1977年1月22日生まれ
1998-99 ペルージャ 33試合・10得点
1999-00 ペルージャ 15試合・2得点
1999-00 ローマ 15試合・3得点
2000-01 ローマ 15試合・2得点
2001-02 パルマ 24試合・1得点
2002-03 パルマ 31試合・4得点
2003-04 パルマ 12試合・0得点
2003-04 ボローニャ 17試合・2得点
2004-05 フィオレンティーナ 20試合・0得点

ユヴェントスとの開幕戦で2得点を挙げ、鮮烈なセリエAデビューを飾った。人種に関係なく、実力での選手起用を求める会長の存在もあり、早々にレギュラーポジションを確保。カペッロ監督の強い要望により加入したローマでは、「トッティの控え」という位置づけながらスクデット獲得に貢献した。その後に所属したパルマやフィオレンティーナでは不慣れなポジションでの起用も影響し、本領を発揮できずに終わった。

■名波浩
1972年11月28日生まれ
1999-00 ヴェネツィア 24試合・1得点

中田が大ブレイクを果たした直後の入団だったこともあり、大きな注目が集まった。しかし、前年にインテルからのレンタル移籍で大活躍したレコバの後継者としての期待に応えることはできなかった。中田を上回るテクニックの持ち主と言われながら、残留を争うチームでは実力を証明できず、中盤で守備を強いられるシーンが多く見られた。環境に恵まれず、わずか1シーズンでヴェネツィアを去っている。

中村俊輔
1978年6月24日生まれ
2002-03 レッジーナ 32試合・7得点
2003-04 レッジーナ 16試合・2得点
2004-05 レッジーナ 33試合・2得点

2002年の日韓W杯メンバー落選を経験した後、レッジーナに加入。本来とは異なるポジションでの起用や指揮官からの冷遇、度重なる負傷も経験したが、苦境に屈しない忍耐力で苦難を乗り切った。当初はセリエAの激しいタックルに晒され故障に苦しんだが、厳しい当たりへの対処法を会得すると、持ち前のテクニックと創造性を発揮。日本では得がたい貴重な経験を積んだレッジーナでの3年間は、後のキャリアに大きな影響を及ぼしている。

■柳沢敦
1977年5月27日生まれ
2003-04 サンプドリア 15試合・0得点
2004-05 メッシーナ 21試合・0得点
2005-06 メッシーナ 7試合・0得点

「屈強なセンターフォワード」を求める指揮官たちの下で、満足な出場機会を得るには至らなかった。苦しい状況が続く中、日々の練習でスピードやテクニックをアピールすると、指揮官から「サイドMFとしての適性がある」と評価される皮肉な結果を招いた。周囲の理解を得られないまま3シーズンを過ごし、2005-06シーズン終了後に控えるW杯を見据え、2006年2月にメッシーナとの契約を解除。ノーゴールでイタリアを後にしている。

■小笠原満男
1979年4月5日生まれ
2006-07 メッシーナ 6試合・1得点

2006年夏にシーズン終了までのレンタル移籍でメッシーナへ。日本人トップクラスの技術力を誇りながら、チーム状況の悪さが災いし、本領発揮には至らなかった。イタリアサッカーに馴染む時間を与えられず、シーズンのほとんどをベンチ外で過ごすこととなった。鹿島で示していた存在感は鳴りを潜め、わずか1年での帰国を余儀なくされている。

大黒将志
1980年5月4日生まれ
2006-07 トリノ 7試合・0得点
2007-08 トリノ 3試合・0得点

2006年のドイツW杯終了後、自身の夢と語っていたセリエA挑戦が実現。鋭い動き出しとPA内での得点感覚を持ち味とするが、「ストライカーは大柄でフィジカルに優れるもの」という偏見を打ち破ることができず。2シーズンの在籍でわずか10試合の出場にとどまるなどベンチ暮らしを強いられ、無得点のままイタリアを去ることになった。なお、2006年は現日本代表指揮官のザッケローニ監督の下でプレーしている。

森本貴幸
1988年5月7日生まれ
2006-07 カターニア 5試合・1得点
2007-08 カターニア 14試合・1得点
2008-09 カターニア 23試合・7得点
2009-10 カターニア 27試合・5得点
2010-11 カターニア 12試合・1得点
2011-12 ノヴァーラ 18試合・4得点
2012-13 カターニア 5試合・0得点

18歳でカターニアのプリマヴェーラに所属し、ユースチームでゴールを量産。活躍が認められてトップチームに引き上げられると、セリエAデビューとなったアタランタ戦で初得点を挙げた。目標とする選手にトレゼゲの名を挙げるように、相手DFを弾き飛ばしてゴールに迫る“イタリア的”なストライカーで、自らの地位を確立。2010年1月にマキシ・ロペスが加入して以降は出場機会が減ったが、7シーズンに渡ってのセリエA在籍は、日本人選手としての最長記録。

長友佑都
1986年9月12日生まれ
2010-11 チェゼーナ 16試合・0得点
2010-11 インテル 13試合・2得点
2011-12 インテル 35試合・2得点
2012-13 インテル 25試合・0得点
2013-14 インテル 17試合・4得点

2010年の南アフリカW杯での活躍が評価され、チェゼーナにレンタル移籍。開幕からレギュラーの座を確保し、主力選手として活躍した。2011年1月に完全移籍を勝ち取ると、シーズン前半戦での活躍が認められ、インテル加入が実現。同年7月に5年の長期契約を結んだ。豊富な運動量と抜群のスピードを備え、一対一で強さを発揮。また、フレンドリーな性格でチームメートやインテリスタの心をつかみ、今ではチームに不可欠な選手となっている。

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