2014.06.12

青山敏弘の原風景。ザンビア戦のロングパスの背景には、逆境の日々がある

強烈なミドルシュートも魅力の青山敏弘【写真】=Getty Images

 毎週、週替わりのテーマで議論を交わす『J論』。今週は「W杯初戦。J論的注目選手&注目ポイントはここだ」と題して、各書き手がコートジボワール戦、そしてW杯に向けた注目選手と注目ポイントを説いていく。ここでは一躍先発候補に名前もあがる広島MF青山敏弘について。ザンビア戦でも見せた大久保嘉人への鮮烈なロングパスの原型はどこにあったのか。そして彼自身の原点となったあの出来事。それらすべてを背負って成長してきた青山という人間を、プロ入り時から丹念な取材を重ねてきた広島の番記者・中野和也が“J論流に”解き明かす。

■すべてはあのゴールから始まった

「彼は、どういう選手なの?」

 カシマスタジアムの記者席で僕の斜め前に座っていたベテラン記者が、問いかけてきた。

「彼」とはほんの数分前、強烈なミドルシュートでJリーグ初得点を記録していた広島の背番号23のこと。その選手のJ1出場回数はまだ6試合目であり、1ヶ月前にはU-21日本代表初招集を果たしながらも負傷で離脱していた。東京を中心に取材している記者が彼の詳細をよく知らないのも、無理はない。

「高校選手権岡山県大会決勝の、幻のVゴールを決めた選手ですよ」

「え?そうなの?」

 声のトーンが変わった。

 2-0で広島が完勝した後、記者控室では他の多くの記者たちから次々と質問を受けることになった。

「本当にあの幻のゴールの選手なんですよね」

「はい」

 翌日(2006年8月27日)の新聞各紙には「青山敏弘」という名前が大きく躍動することになった。当時の川淵三郎日本サッカー協会会長が謝罪する事態にまで発展した、2002年11月20日・高校選手権岡山県大会決勝での「誤審」の当事者がヒーローとなった、その物語性が注目されたのである。考えてみれば、青山敏弘のドラマは全て、あのゴールから始まっていると言っていい。

■2002年11月20日、岡山にて

 ”それ”が起きたのは、1-1の同点で迎えた延長前半のことだった。ペナルティボックスの外にこぼれてきたそのボールを、走り込んできた作陽の2年生、青山がダイレクトで叩く。パワーにあふれた右足から放たれたボールは、すさまじいスピードを伴って水島工GKの指をはじき、ゴールネットの奥の支柱に当たって、そのままゴールから飛び出してきた。

 誰がどう見ても完璧なスーパーゴール。当時の延長戦はVゴール方式だったため、この一発で作陽の全国大会行きが確定した、はずだった。だが、試合終了を告げる主審のホイッスルは鳴らず、こぼれてきたボールをキープしたGKはそのままボールを前に出し、プレーは再開されてしまった。

「もちろん、ゴールだと確信していたから、ベンチに向かって走ったんです。『今年は俺の年だ』なんて思いながら(笑)」(青山)

 だが、野村雅之作陽高監督は、勝利を確信してベンチに座り込んだ青山に「試合は続いているぞ。行けっ」と指示をした。

 なぜだ。ファウルでもあったのか。でも、それなら笛が鳴っているはず。何が起きたんだ。
 そんな疑惑が胸の中を渦巻き、気持ちが整理できないまま、青山はピッチに戻る。

「あのゴールは、自分も見えていなかったんです」

 野村監督の述懐である。

「あの時、ウチの選手が一人脳震盪で倒れていたし、僕は交代を考えながら、ピッチから視線をそらしていたんです。その時、わっと歓声があがり、気づいたらボールがネットから飛び出していた。ベンチの人間に聞いても『ゴールかどうかわからない』と言うし、主審も副審も何事もなかったように走っている。一方で青山や選手たちは、ゴールだって言ってこっちに走ってくるんです。でも僕には『ゴール』という確信がないから、喜びきれない(苦笑)。後で聞いたら、副審はあまりに綺麗にシュートが入ったから、(必要ないと思って)『ゴール』のアクションをしなかったらしい。主審は主審で、おかしいなと思いつつも副審がスーッと戻ったから、ゴールではなかったと感じて自分も戻ったらしいんですね。みんな、どこかがチグハグだった」

 シュートを撃った青山は、ずっと不思議な気持ちで戦っていた。おかしい、おかしい。そう思いながらも、勝利を目指して走った。彼だけでなく、誰もが釈然としない状況を抱えながら試合は進み、PK戦で作陽は敗退。事態はそこから選手たちの手元を離れ、大きな騒ぎへと発展していくことになる。

 ところが、この「事件」最大の当事者である青山は、自身を「被害者」などと捉えていなかった。

「自分のシュートが注目されたことに、ちょっと嬉しさも感じていましたね(笑)」

 そしてこのシュートは実際、彼の運を拓いた。

「素材として青山のことはチェックしていたが、『幻のゴール』を見た後は、その関心の度合いが変わった。あれだけ美しく決めて、あれだけきれいにボールがネットから跳ね返ってくるのは、彼のシュートが強力だった証明だったから」と語るのは、青山をプロの世界へと誘った広島の足立修スカウトだ。

「特に気に入ったのは、その後の彼ですね。あの幻のゴールによって、サッカーをやめてしまった選手もいる。水島工は選手権出場辞退も考えたほどだった。それほどの『事件』だったのに、青山はこの事態を自分の力に変えていった。翌年の春休み、彼と再会した時には自信に満ちていましたね」

 実際、高校3年生になって臨んだ国体で彼はセンターサークル付近から「僕が見たゴールの中で、最も”ものすごい”ゴール」と李忠成からも絶賛されるスーパーシュートを叩き込み、李や梶山陽平、関口訓充らを擁した優勝候補の東京都選抜を沈めて、成長を印象づけた。

 人生とは、常に苦境を背負う旅である。順境な時など、数えるほどしかない。栄光をつかんだとしても、その直後には、つらい出来事が口を開けて待っているものだ。特にプロフェッショナルの世界は、ジャンルはどうあれ、毎日が戦いであり、苦境の連鎖である。

 そういう中で成功をつかむためには、その苦境をエネルギーに変えることができるメンタリティーが絶対に必要となる。そして足立スカウトは、日本サッカー界を揺るがした「大誤審」の渦中にいた男の中に、成功の必要条件である「リバウンド・メンタリティ」の存在を確認した。「間違いない」と確信した彼は、青山の獲得を心に決め、クラブに進言する。「それでも、まさかW杯に出場する選手に成長するとは、想像もしていなかった」と名スカウトは振り返っている。

■寿人と築いた縦パスの妙

 実際、足立スカウトの見立てに狂いはなかった。

 まるで与えられなかったチャンス。前十字靱帯断裂や半月板損傷など、何度も繰り返された負傷離脱。J2降格。北京五輪代表落選。

 普通であれば、何度も心が折れて人生を投げ出してしまうような試練を、青山は自分の力へと変えた。長期リハビリの間に細かった肉体を鋼のように鍛え上げるなど逆境を具体的な力に変えることができたのは、間違いなく彼の才能である。

 特に興味深いのは、代表選出の決め手となった縦パスが、J2という逆境での1年間で磨き抜かれたことだ。

 J2降格によって、それまでホットラインを確立していた駒野友一という最高の相棒を失った佐藤寿人は、一方でコンパクトな振りで速いボールを出せる青山の才能に着目していた。

「僕が広島に移籍した2005年、キャンプでの紅白戦で一度、素晴らしいパスをトシからもらったんです。その時から、『彼とは合うな』と感じていました。仙台時代にいい関係を築けていたシルビーニョのように、ワンステップでDFの背後へロングパスが出せる選手だと思ったんです」

 佐藤は練習から何度も何度も、厳しい要求を青山に突き付けるようになった。

「ボールを受けて顔を上げたのでは遅いんだ!」

「俺だけでなく、相手にとって危険な場所を見ろ!!」

 エースの厳しい要求に応えようと、青山は判断とキックの質を磨き続けた。その結果、J2降格となる2007年まで青山が記録した佐藤へのアシストは通算わずか『1』だったのに、翌年は6つのアシストを記録。現在、佐藤への累計19アシストは、駒野のアシスト数『12』を抜いてダントツだ。ザンビア戦で大久保嘉人に供給したロングパスの背景には、J2という苦境の中で佐藤と共に培った「年月の重み」が存在する。

「僕は常に、あの『幻のゴール』を背負って、プレーしている。やり場のない先輩たちの怒り、仲間たちの憤り、腹立たしさ、無念さ。あらゆる感情を背負ってピッチに立つ。その覚悟は、持っているつもりです」

 16歳にして直面した強烈な逆境は、今も青山敏弘という男の原点であり、力の源泉である。そして彼は、縦パスと並ぶもう一つの武器である、あの時のような強烈なミドルシュートをまだ日本代表で披露していないことも、付け加えておく。

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