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【スカサカ!ライブ】引退した石川直宏が同級生・岩政と本音トーク、現役時の思い出は「美しくはないかな(笑)」

 番組レギュラー解説委員を務める岩政大樹(東京ユナイテッドFC)がプロデュースするインタビューコーナー「今まさに聞く!」。19日の放送では元FC東京の石川直宏氏とスタジオで直接、対談するスペシャル版となった。

 二人は学年で言えば同級生。和やかな雰囲気の中、石川が引退するに至った経緯やFC東京について、そして2018年から新たに就任したクラブコミュニケーターという役職について語った。

岩政大樹(以下、岩政) 引退されて少し時間が経ちましたけど、噂ではいろいろなところで少しゆっくりする時間も作っていると聞きました。

石川直宏(以下、石川) 知ってるね(笑)。

岩政 その中で今、現役時代を振り返って思うことはありますか?

石川 本当に出し切った、やり切ったという感覚が自分の中であって、その部分で言うと、なんかこうきっぱりというか、ひざもちょっと痛みもあるし、サッカーできる感覚という意識にももうならないから。逆に次に向けての切り替えができているかなと思います。

岩政 最後、2日連続で試合をした(2017年12月2日のJ1最終節、3日のJ3最終節)なんですよね。その後、ひざがめちゃくちゃ痛くなったとか。

石川 そう、ひざがめちゃくちゃ痛くて、水も溜まっちゃって。まあ「この後どうなってもいいや」という覚悟で臨んで。やっぱりそれだけのものをピッチで表現したかったのもあるし、その準備もした中で出し尽くしたという感覚ですかね。

岩政 半年前ぐらいですかね、引退を発表したのが。

石川 8月2日でしたね。

岩政 そこに至るまでのいろいろな、どのタイミングでとか、もちろん決断についていろいろあったと思いますけど、いろいろな発表の仕方ってあるじゃないですか。最後まで発表しないのもあるし。そこは自分でどのように考えたんですか?

石川 今回の引退のきっかけとなったケガでいうと、2015年8月にフランクフルトで親善試合があって、その時にひざを(ケガした)。2009年にも一度ひざをケガして、オペ(手術)しないでそのままやっていたんですけど、結局2015年にじん帯が完全に切れちゃって、そこからリハビリで2年半かかっちゃって。その間、J3で2試合に出たりはしていたんですけど、自分の中では2016年に、プレーできない中で選手でいる価値はないと僕は思っていたし、クラブにもその話をしっかり伝えた中で、クラブとしてはピッチに立つ姿をファン・サポーターが待ってくれているから、そこでしっかりと見せて、それから引退でもいいんじゃないかと。それで自分ではもう1年、とにかくピッチに立つことだけを考えて。ピッチに立てばたぶんいろいろな感情も生まれるし、そこの部分に自分も期待しながら。本当にリハビリはしんどかったですけど、ピッチに立ってその姿を見せるということだけを考えて。

岩政 その覚悟を自分で決めるためにもあそこで(引退を)発表して、最後に出るという。

石川 そう。だから結構なプレッシャーで、自分の中では決断して、この時もスッキリしていたんだけど、だけど自分としてもずっとリハビリしている中でプレーできない、だけどクラブ、選手に対しても責任をより持つ中で言葉として伝えたい。その時はプレーに責任を乗せるわけにはいかないんで、言葉で伝えることによって、自分の気持ちとみんなの気持ちを一つにして。で、引退をするからみんな頑張ってくれ、じゃなくて、こういう生き様でこういうふうにプレーしている選手がいるというのを、自分にもそうだしチームメートにもそうだし、スタッフやファン・サポーターに覚悟を伝えたうえで、最後に出し切ろうと。

岩政 内田(篤人/鹿島アントラーズ)選手の話にも出ていましたけど、ひざのケガってなかなか戻れそうで戻れない部分ってあるじゃないですか。ここって、何が難しいんですか? 筋力ですか? バランスとかですか?

石川 ずっと追及してきて、構造上の問題もあるんで、半月板なんかは取っちゃえばなくなっちゃうし、痛みが出るのは当たり前なんだけど、より体をこう、ケガをしないというよりは、痛みの出ないような動かし方をするというか。それは無理な動かし方ではなくて、体が持っている本来の能力を引き出させるというか。どこかしらクセがあったりとか、自分はストライドが広い中でプレーすることが多くて、そういうものをやめるのも自分ではなくなってしまう怖さがあったから、それもできるけど、他のところでそこを補うという。経験という部分でのやりくりが、楽しかったのもあるし、こんなに自分と向き合ってやって来た期間はなかったなって。ずっと向き合ってきたんですけど、最後の最後に大きな壁ができて、そこを乗り越えるための自分への期待。いろいろな気持ちの中でリハビリをしていました。

岩政 そこも含めてやり切ったという感じですね。

石川 あとは去年のFC東京で言ったら、内部でもそうですけど、外から見ていても、メンバーがいても勝てないという。自分なりの原因だったり、そういう原因ひっくるめた上で、クラブコミュニケーター(以下CC)という形で就任させてもらいましたけど、コミュニケーションを図りながら、自分が覚悟を持ってプレーする。その覚悟は自分だけじゃなくて、周りにも伝えて、周りの選手の覚悟も聞いて、そこで信頼関係が生まれて、その中でチームが勝ちたいという思いがあるんだったら、お互いに厳しいことを求め合っても何の問題もないし、勝つためだったら当たり前でしょっていう。自分がプレーするためだったらそうするし、プレーする中で勝つというのが最終的な目標だから、その姿をどうにかして見せたかった。それはピッチに立つ前の段階からそれを示したかったというのがあるので。

岩政 東京に何年間ですか?

石川 16年間。2002年からなんで。まあ横浜F・マリノスの印象がみんな強かった。たぶんそういうイメージを持たれない方も今はいると思うんですけど、でもそれだけ自分がFC東京に尽くしてきたという思いがあるし、チームの顔として自分はプレーしたいと思って、プレーできない時でも「こういう選手がいるから安心だ、安全だ」という存在を目指してきたし。ただ最後、プレーで結果としてその1年間を通じてつなげることができなかったというのは、自分の中でも悔しかったし責任も感じましたね。

岩政 なるほど。そこのやはり、16年間という期間の中で、FC東京でいうと、昨年もそうでしたけど選手がそろっている中でなかなか勝てないというのがずっとあって、その中で石川さんが見ている課題というのが、そこにアプローチする自分の仮説の中で、まずコミュニケーターというところに入ってみて、クラブ内、クラブ外をつなげながら、それが点になっていくという一つの仮説があった。

石川 そう。それをなんか、自分が引退するまで、自分が12月3日、最後J3の試合に出る時まで考えていなくて。自分がこれからどうするのかと。考えるべきじゃないと思ったし、とにかくピッチに立ってやり切る。ただ、それだけ早く引退を決めたということは、次があるんじゃないかという話もいろいろ聞いたりしたんですけど、全くそういうのはなくて、全くまっさらな状態で。とにかくもうやり切った。で、何が見えるかなって振り返った時に、「このクラブはもっともっとつながり続ける必要があるな」っていう。それをきっかけとして生み出せるのは自分かなっていう。そこで初めて社長に伝えて、そういう意見を取り入れていただいて、こういう形で就任させていただいきました。

岩政 今こう実際に、まず手を付けたいなということは? まず見たいという感じですか?

石川 もう見て学んで。自分はやっぱり現場のことしか知らないので、クラブを作って行くうえではいろいろな方々が支えてくれているし、中でも仕事をしているし。やっぱり自分が伝えようとするのであれば、その立場の方の気持ちだったり、思いを知らなきゃいけないし、じゃあ何でそこで違いが生まれるのかっていう部分は、お互いの気持ちを理解していないと通じない部分があるので、そこを自分がきっかけとして繋げながら。本来ならばそういう人がいなくても成り立つ、まあ成り立つんでしょうけど、ただ鹿島アントラーズのように、そういう立場でいなくても強いクラブを作れるという強さもあるし、だからそういうきっかけに自分の中でしたい。あとはやっぱり学びたい。鹿島の良さであり、他のクラブの良さも取り入れたいし、だからとにかく貪欲に、そこは自分が学びながら、積極的に行動しながら、自分の信念と、本性に従って動いてみたい。

岩政 引退して少し時間が経つ中で、やり切ったという思いの中だと、美しい思い出のほうが多い、強いですか?

石川 いや、美しくはないかな(笑)。でも、それが自分らしい生き方だったと思うし、自分の生き様としては、何かいろいろなことが、例えば自分の中ではケガが多くて、ケガのたびに「タイミング悪くケガしちゃったね」とか言われて、自分の思いを汲んでくれる人も多いんですけど、自分の中ではケガをしない選手がやっぱりトップの選手だし、どんな状況、どんな監督の下でも出続けるのが一番の選手で、ただ自分の中で、ケガをしてそれを乗り越えようとするパワーがとてつもなくあるなっていう。それは例えばケガだけじゃなくて試合に出られないとか、リバウンドメンタリティーじゃないけど、そういう苦しい時にいかに自分らしくいられるかという、そこがサッカー人生の中での一つのテーマだったかなって。それを、みんながみんな持ってということじゃなくて、そういう選手がいる、自分が持っているものを生き様として常に出せる。それが別にカッコイイとかじゃなくて、それが当たり前だよっていうのを選手にも伝えたいし。それを包み隠せなかったから。自分は不器用だったと思うし。

岩政 一方で思い返して、「あの思い出はよかったな」って思い返すことって?

石川 みんなが思うのは、ゴールを取っていた2009年のシーズン(24試合15得点)は、あの時は周りから見れば、「何が起こったの?」ってみんなたぶん。

岩政 すごかったじゃん。試合やれば、(シュートを)打てば入るっていう感じだった。

石川 という感じで思われていたんだけど、自分の中では2002年にFC東京に来て、原(博実)さんの攻撃的なサッカーで、ウイングとしてプレーして、その中で自分の中で少し物足りないな、クラブとしても物足りないな、しっかりボールをキープして繋ぐことができて、迫力ある攻撃もできるし守備もできるという考えに自分もなって、クラブもそういう監督を呼んできたし、チャレンジもしたんだけど、自分の中で城福(浩)さんとの出会いで自分が求めていたこととクラブが求めていたこと、なおかつ周りの選手たち、攻撃の形を作る選手たちの中でイメージが一致したというか。そういうことがあって積み重ねがあったからこそ自分はあのプレーができたと思っているし、何かそういうつながりというか継続というか、変化しながら進化していくことが形として生まれたのが2009年でした。

岩政 自分の中で柔軟性を持って取り組めた。

石川 それができたし、求められていたし自分も求めたし。すべてがそういう形で一致したというか。

岩政 あの時シュートをバンバン決めていて、すげースパンスパン力を抜いて蹴っていたじゃないですか。あれって自分で気づいたものってあったんですか?

石川 まずはシュートを打つ前までにパワーを残しておくということで。だいたい全力でプレーしてプレーしていると、最後のところで力がなくなっていて、集中が切れちゃってシュートを打った結果、正確なシュートが打てないみたいな。それだったら、自分のシュートから逆算して、周りにうまく使ってもらいながらとか関係性を築きながら、最後は自分が仕留めるよっていう。そこの関係性は自分だけじゃなく周りにも求めたし、そういうものが形になった。

岩政 そこまでの形を作って、石川さんとしてはフィニッシャーに変わっていったと。

石川 そう。そのために、あの時FWで平山(相太/現ベガルタ仙台)が出ていた時は、セカンドストライカー的にちょっと落ちてきてくれて、ボールキープしてくれてそのスペースを使うとか、お互いの関係性をみんなが理解した上でプレーできていたかなって思いますけど。

岩政 そういう経験も含めてさっきの「つなげる」というフレーズが出てくる。

石川 そう。さすがです(笑)。それなんですよ結局。途切れたくないし、でもそういうのって不思議で、自分がそういう信念を持ってやっていると、いろいろなものがつながってくる。だから今回、自分がこういう形で思ったのも、今までのつながりがここでそういう判断をさせたし、たぶんこの判断がきっと今後につながると思うし、つなげたいと思っているんで、そこは自分の中で湧いてくる思いに正直に従って、言葉にして伝えてっていう。

岩政 これからのことは、遠くのことというよりつながっているものをどんどんやっていきたいという感じですか? それとも一番遠くのところも見ているんですか?

石川 今まで見ていたけど、結局なかなかうまくいかないことが多くて、それすら考えるのが自分の中でちょっと難しくなったというか。でも目の前のことをしっかりクリアして積み上げたら、こういうものが待っているよっていうのがいくつも見えたから。たぶん感覚的には(岩政と)似ているんじゃないかっていう。あまり先のことというよりは、目の前のことを積み上げて行く中で、やって来たことがすごいしっかりとして、目の前のことがクリアできるっていう、たぶんスタンスも一緒だし考え方も一緒なんじゃないかって少し思ってますけど。

岩政 どこにつながっていくか、楽しみにしています。

石川 楽しみですよ。

 1月26日(金)21時から放送の『スカサカ!ライブ』では、Jリーグキャンプ情報やトライアウト特集、2018女子サッカー界の展望などを放送する予定となっている。

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