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日本サッカー殿堂、故・松丸貞一氏や鬼武健二氏ら4名の掲額が決定

日本サッカー殿堂への掲額が決まった鬼武健二氏(写真は2010年のもの) [写真]=Getty Images

 日本サッカー協会(JFA)は、第12回日本サッカー殿堂に故・松丸貞一氏、下村幸男氏、二宮寛氏、鬼武健二氏の4名を掲額することを決定した。7日に公式サイトで発表している。

 故・松丸貞一氏は1930年代から40年代にかけて日本サッカー発展の中心的役割を担った慶応大学の監督として関東大学リーグ4連覇、OBも含む慶応BRBを全日本選手権(現天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝4回に導き、土台を築いた。その手法として、ドイツ流サッカーで新風を吹き込んだ、時代を象徴する人物。戦前は、技術指導の中心的な存在として日本サッカー界をけん引し、戦後は初代審判委員長として、審判委員会の体制作りや審判員の技術向上に尽力するとともに、国際審判員としても活躍した。

 下村幸男氏は1965年からスタートした日本サッカーリーグ(JSL)において、監督として優れた手腕を発揮し東洋工業を4連覇に導いた。さらに、70年にも5回目の リーグ優勝を果たし、天皇杯も3回優勝するなど功績を残した。1978年からは日本代表の監督も務め、指導者としての実績を重ねた。JSLでは総務主事を務めるなど運営面においても功績が大きく、日本サッカー界の発展を支えた功労者の一人である。

 二宮寛氏は1967年から三菱重工の監督をつとめ、JSLの最多勝率60.1パーセントを記録し、三菱の黄金時代を築いた。日本初の南米遠征や選手の海外留学など、当時では革新的な活動を実施するなど、クラブ強化の側面から日本サッカーの成長を推し進めた。また、ドイツサッカーとのパイプを切り開き、日本代表監督時代には奥寺康彦氏のケルン移籍の橋渡し役になった。

 鬼武健二氏は1967年から78年までヤンマーの監督を務め、日本サッカーリーグ174戦で93勝を記録した最多勝監督。ヤンマーの黄金時代を築くとともに、ブラジル出身の選手をチームに溶け込ませて新しいスタイルを構築した。2006年に第3代Jリーグチェアマンに就任。ACLサポートプロジェクトの立ち上げによるJクラブのレベルアップ、イレブンミリオンプロジェクトによる集客施策、環境改善につとめ、日本サッカーの発展に多大な貢献をした。

 今回の4名が加わり、日本サッカー殿堂に掲額される総数は72名となった。なお、掲額式典は9月10日(木)17:00より「JFAハウス 日本サッカーミュージアム内ヴァーチャルスタジアム」で開催される予定。

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