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最後の選手権制覇と得点王獲得は叶わず…新天地・名古屋での成長を誓う小屋松知哉

2014.01.16

決勝戦は無得点だった小屋松知哉 [写真]=平山孝志

 この冬最大級の寒波に見舞われた2014年1月11日の東京・国立競技場。1か月前の高円宮杯プレミアリーグ参入戦で5-1と圧勝している星稜(石川)に、高校サッカー選手権準決勝という大舞台で0-4という予期せぬ大敗を喫した瞬間、京都橘(京都)のキャプテンマークを巻く背番号10・小屋松知哉の目から涙がこぼれた。小柄なアタッカーの選手権制覇への挑戦は、2年連続で叶わぬまま終わりを告げた。

「立ち上がりが悪くて飲まれてしまった。まさか相手がマンツーマンでついてくるとは思わなかった。うまく外せた部分もあるんですけど、周りを生かしきれなかったのは自分の力不足。最後の試合で点が取れなかったのも心残りです。沢山の人に応援してもらったのに結果が出せなくて、申し訳なさが大きかった」と18歳のFWは淡々と振り返った。

 ちょうど1年前の選手権で、1学年上の先輩・仙頭啓矢(現東洋大)との強力2トップで見る者を釘付けにした小屋松。だが、同じ聖地で行われた決勝で、伏兵・鵬翔(宮崎)に苦杯を喫し、その悔しさを胸に1年間、自己研さんを続けてきた。まだ歴史の浅い京都橘が2013年関西プリンスリーグ1部2位、プレミアリーグ昇格という大躍進を遂げたのも、頭抜けた得点感覚と戦術眼を持つキャプテンがいたからに他ならない。

 彼自身もU-18日本代表として南野拓実(C大阪)や松本昌也(大分)らともにAFCU-18選手権(マレーシア)を戦うなど、高いレベルの経験を積み重ね、一回りスケールアップした。
 
 こうした成果が今回の選手権でも確実に出た。とりわけ小屋松が異彩を放ったのが、1月5日の準々決勝・市立船橋(千葉)戦だった。昨夏の高校総体覇者を相手に、彼は高度なテクニックと的確な状況判断、際立った得点センスを見せ付ける。相手が2枚3枚と寄せてきてもギリギリまで引きつけて味方をフリーにしたり、再び自らが持ち込んだりと、格の違いを示した。事実上の決勝戦ともいわれた大一番で2点をたたき出したのも見事だった。米澤一成監督も「これだけプレッシャーのかかる試合で普段通りの仕事をするのは簡単なことじゃない。それをやってのけるのは大したもの」と絶賛していた。
 
「周りを生かしながらプレーできるようになったところはこの1年間で成長したところかな」と本人も言うように、ピッチ全体を見渡し、チーム全体を掌握しながら攻撃を組み立てる力も身に着けた。J1屈指のビッグクラブである名古屋グランパスが食指を伸ばすだけの選手だということを、小屋松は改めて実証したのである。

 残念ながら、星稜との準決勝には勝てなかったが、彼の機転の利いた的確なプレーは多くの人々の印象に残ったことだろう。マンマークされるのは傑出したタレントの証。かつて中村俊輔や小野伸二も高校時代はすっぽんマークに苦しんだことがある。しかし彼らもプレーする環境が変わることで、そういうマークをうまくいなしながら戦えるようになった。小屋松も今後、そうなっていくだろう。
 
 当面のテーマは新天地・名古屋で出場機会を得ることだ。新指揮官の西野朗監督は若手には厳しい傾向があるだけに、強烈なインパクトを残さなければハードルをクリアするのは難しい。
 
「プロになれば僕が一番下になりますし、いろんな選手のいいところを盗みたい。自分の持ち味を出しながらプレーすることも大事だと思います。前の選手は沢山いますし、競争も激しいですけど、橘やユース代表で学んだことを生かして、もっと自分が成長できたらいいかなと思います」と小屋松は早くも未来へ目を向けた。

 Jリーグ発足から20年が経過し、高校から直接プロになる選手は年々少なくなっている。小屋松のように中学時代まで全く無名だった存在に至っては極めて稀だ。しかし今のザックジャパンの軸を担っている本田圭佑(ミラン)や長友佑都(インテル)、岡崎慎司(マインツ)らも同じように高校で地道に力をつけて20歳前後にブレイクした。高校サッカー出身者にはそれだけの底力があるのかもしれない。

「高校は周りがうまい選手ばかりじゃないので、その中でどういうチームを作っていくかという部分があります。それにJリーグの下部組織より大きな応援がある。部員数も多いですし、その中で責任を持ってプレーしないといけない。人としてどういう振舞をすべきかも学びましたし、濃い3年間だったと思います」と小屋松も言うように、多くの人に支えられてきたことを力にして、本田や長友らの背中を追いかけてもらいたい。

文/元川悦子

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