2017.10.15

浦和レッズ ACL2007の舞台裏 ~藤口光紀・元代表に聞く~(下)「サポーターの力で勝ち取った優勝」

ACL決勝第2戦、平日開催にもかかわらずスタジアムには5万9034人の観客が集まった [写真]=Gety Images

 ACLに出場することは、日本から出て試合をすることを意味している。当時の浦和レッズ代表・藤口光紀はホームゲームを満員にすることとともに、アウェーではできるだけチームが万全の態勢でプレーできる環境を整えることを、優勝するための重要な柱とした。

 実はレッズの2007年ACL出場は、2006年の元日に決まっていた。この時代、天皇杯優勝チームに与えられるACL出場枠は、その年ではなく、1年後のものだった。元日に決まって3月に開幕では、準備が間に合わないからだ。

 2006年のACLにはガンバ大阪と東京ヴェルディが出場したが、レッズはスタッフを彼らのアウェーゲームに同行させてもらい、アウェイではどんなことが起こるのか、プレー環境を整えるためにどんな準備や下交渉が必要かなどを研究させた。

 2007年を迎えるとき、レッズはもうひとつの決断をした。2003年からホームタウンを中心に開催してきた普及事業の「ハートフルクラブ」を、ACLのアウェーゲームに合わせて現地で開催することにしたのだ。

 4月に上海(中国)とインドネシアで、そして8月には韓国で開催した。日本人学校だけでなく、現地の少年少女も集めたサッカー教室は大きな反響を呼び、これから試合に来る「浦和レッズ」という日本のクラブへの親近感を高めた。3回の開催で参加した子どもたちは600人にもなった。

「レッズが海外で公式戦を戦うのは初めての経験。試合の少し前にハートフルクラブが現地に行って活動することで、現地の人々に浦和レッズというクラブを知ってもらい、国際親善にも貢献するという目的でしたが、同時に、現地の気候や環境など、いろいろなことを事前にチェックできるというメリットもありました。実際に現地の人と接し、子どもたちとボールをけるのですから、先乗りが調べるなどというのと違う情報が集まりました」(藤口)

アウェーで戦うチームをバックアップするために、藤口氏はさまざまな施策を打ち立てた [写真]=J.LEAGUE

 さらに重要なアウェイ対策は、サポーター支援だった。Jリーグでは、レッズのサポーターがアウェイでもたくさん駆けつけるのは当時すでに有名だった。そしてサポーターたちは、ACLでもアウェイに行くのは当然と考えるようになっていた。

 レッズは公式のサポーターツアーを企画。旅行法上、業者に任せなければならない部分はあったが、できるだけクラブスタッフが「手作り」で企画した。

「レッズは1円も利益を出すんじゃないぞ」

 藤口はスタッフにこうクギを刺した。とにかく安く、安全に、短期間で行って帰れるようにする。その最初が3月21日のシドニーFC(オーストラリア)戦だった。2,000人を超すサポーターがこの一戦のためにシドニーに飛んだ。

「現地の新聞に『浦和レッズサポーター参上!』って大きな写真入りで紹介されたのです。うれしかったですね」

 だが「サポーター効果」はそれだけではなかった。立ち上がりに2失点を喫したレッズ。前半のうちにMFポンテが1点を返したが、その後は相手の厳しい守備に苦しんだ。後半9分、波状攻撃の末、右サイドからポンテがクロス。シドニーGKが倒れながらキャッチした。

「しかしその瞬間、シドニーのGKがぽろっと落としたんです。そこに永井がいて、左足で突っついて同点ゴールを決めたのです。それはちょうど、レッズのサポーターが陣取るスタンドの目の前でした。サポーターの声が、あのGKのミスを起こしたんだと、私は今でも思っています。あの引き分けがなかったら、ACL優勝はなかったでしょう」

「サポーターの声」が値千金の同点ゴールを導いたと藤口氏は語る [写真]=Gety Images

 だが藤口には、何よりも忘れられないことがある。

 イランのセパハンと対戦した決勝戦の第1戦は、11月7日(水)に相手のホーム、イスファハンで行われた。埼スタでの第2戦は1週間後の14日(水)。その間、11月11日(日)に川崎フロンターレとのJリーグ第31節があった。Jリーグでも首位を走っていただけに、目標の「2冠」へ向けできるだけの準備をしたかった。

 イスファハンから定期便を使うと、帰国は金曜日になってしまう。そこでクラブチームとしては異例のチャーター便を使うことになった。某日系航空会社と交渉したが、繁忙期で空いている機材がなく、ようやくジャンボ機を1機確保できた。ジャンボ機なので、チームだけでなく、メディアとサポーターも乗せることにした。

 ただイスファハンの空港にはジャンボ機が着陸できないため、ジャンボ機は成田とドバイの往復とし、ドバイ-イスファハン間の往路は小型機を2機チャーター、復路は小型機を3機チャーターし、帰国時には、深夜にドバイから飛んで木曜日の夕方に成田到着の予定だった。往路は、チームはUAEで事前合宿を行い、定期便を使って2日前に入り、メディアとサポーターはこのジャンボ機でドバイまで来て、ドバイから小型のチャーター機2機に分乗してイスファハン入りした。

 16時キックオフの試合は1-1で終了し、チームとメディア、サポーターは小型チャーター機3機に分乗してドバイに向かった。だがどうしたことか、そのうちの1機、サポーターを乗せた便が待っても待ってもドバイに着かない。ようやく入ってきた情報で、機材の故障によりイスファハンに戻ったことがわかった。

 藤口は決断を迫られた。サポーターだけを残して行くわけにはいかない。だが当時の成田空港は22時までしか着陸できず、到着まで待ったら、チームの調整は1日短くなってしまう。何のためのチャーター便だったのか――。

 そのとき、藤口はサポーターの声を聞いた気がした。

「行ってくれ!」
「とにかくチームを行かせてくれ!」

アウェイ・セパハン戦には400人を越えるレッズサポーターが駆け付けた [写真]=J.LEAGUE

 旅行会社の担当者と役員を含むクラブスタッフ2人をドバイに残して遅れてくるサポーターの世話を頼み、藤口は予定どおりチャーター機を飛ばせる決断を下した。チームは無事木曜日に大原で練習することができた。

 藤口はそのまま成田空港に残った。遅れていたサポーターが金曜日の朝に別便で到着することがわかったからだ。だが1機では乗せきれず、成田着の便だけでなく、中部国際空港、関西国際空港到着便で帰国するグループもいた。藤口は両空港にもスタッフを派遣し、少しだけ豪華な弁当を用意してサポーターを出迎えるよう指示をした。

 11月9日金曜日の朝、成田空港に1日遅れでサポーターが帰ってきた。出迎えた藤口の姿を認めたサポーターが、開口一番こう言った。

「チームは無事だったんですか?」

 藤口は言葉を失った。自分が置き去りにされたことなど文句も言わず、チームのことだけを心配し続けていたサポーターたちに、本当に頭が下がる思いがした。

 成田でサポーターを出迎えた後、藤口は東京駅に向かって、中部国際空港や関西国際空港から新幹線で戻ってくるサポーターを迎えた。彼らもまた、何も文句は言わなかった。ただ、藤口を見ると、寄ってきて抱擁を交わした。

「あの優勝は、本当にサポーターの力によるものだったと思います。93年にJリーグが始まったころ、負けても負けても、大ブーイングをした後でも、次の試合には前の試合以上の声援を送ってくれたサポーターの力を、ACL優勝という舞台で改めて感じたのです」

 ホームでもアウェイでもサポーターとともに戦い、チーム、クラブスタッフ、そしてサポーターが心をひとつにしてつかみ取ったのが、2007年のACL優勝だった。

インタビュー・文=大住良之

【プロフィール】
藤口光紀(ふじぐち・みつのり)

 広島経済大学経済学部スポーツ経営学科教授、広島県サッカー協会副会長。2006年6月~2009年4月、浦和レッズ代表。
 1949年群馬県勢多郡粕川村(現前橋市)生まれ、68歳。慶応義塾大学を経て1974年に三菱重工に入社、日本サッカーリーグで127試合に出場し、27得点。切れ味鋭いドリブル突破でチャンスメーカーとして活躍した。日本代表Aマッチ26試合出場、2得点。1982年に現役引退後、慶応大学ソッカー部監督を務め、1993年から浦和レッズで事業広報部長などを歴任した。

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