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東洋館出版社が『メスト・エジル自伝』と『マラドーナ独白 ―1986年のメキシコW杯―』を6月15日発売

2018.06.14

 株式会社東洋館出版社は、『メスト・エジル自伝』と『マラドーナ独白 ―1986年のメキシコW杯―』を2018年6月15日に刊行する。

 以下、リリース掲載。

名将も絶賛の“魔法使い”エジルはいかにして生まれたのか

「代表チームに欠くことのできない存在。
いつもピッチに特別な瞬間をつくりだしてみせる!」
――ドイツ代表監督 ヨアヒム・レーヴ

「あの美しいパスやトラップ、得点は忘れられない。
メストのような選手は監督がつくるものではない。あれは生まれつきだ」
――マンチェスター・ユナイテッド監督 ジョゼ・モウリーニョ

「僕はシャワーを浴びながら物思いにふけっていた。あんなふうに監督に叱責されたのははじめてだ。自分の意識を揺さぶられたのもはじめてだった。あれは何だったのだろう。偉大なモウリーニョはどうして僕に赤っ恥をかかせたのか。何を伝えようとしていたのだろう。
 その夜――2012年9月30日、午後9時ちょっと前、僕は今までしたこともない大きな問いを自分に向けて発するようになった。それから何週間も自問自答した。僕は何者で、どこへ行きたいのだろう。その質問に答えるため、僕は自分の人生を振りかえりはじめた……。」

 敬愛する師、ジョゼ・モウリーニョに人生最大級の叱責を受けたエジルは、自分の人生について振り返り始めた。彼は、どのようにしてサッカー選手となり、頂点まで上り詰めたのか。まともなボール一つ買えない貧しい少年時代、トルコとドイツの二つの国籍による葛藤、プロ選手になってからぶつかった、いくつもの壁、夢にまで見たレアル・マドリード時代、W杯での激闘、そして、アーセナルへの移籍……。本書には、彼の夢、差別、挑戦、成功、挫折、栄光が生々しく語られている。

フットボールを愛する人には読み応え抜群の内容

 試合が始まる前、エジルは必ずピッチでアッラーに祈りを捧げる。そうすることで彼の神経は研ぎ澄まされ、クオリティの高いプレーを生み出すことができる。
 本書では、こうした彼の成功するための姿勢や習慣を紹介している。さらに、モウリーニョを始め、ヨアヒム・レーヴやアーセン・ヴェンゲルといった当代きっての名将たちとの交流も記述されている。
 エジルファン、アーセナルファン、ドイツ代表ファンのみならず、すべてのフットボールファンの胸を熱くする自伝となっている。

[著者プロフィール]
メスト・エジル(Mesut Ozil)
1988年10月15日、ドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州ゲルゼンキルヒェン生まれ。サッカー選手。ポジションはMF。ブンデスリーガのシャルケ04、ヴェルダー・ブレーメン、さらにはリーガ・エスパニョーラのレアル・マドリードを経て、現在はプレミアリーグのアーセナルFCに所属。高いテクニックと広い視野、類い希なるパスセンスの持ち主でアシストを量産。

小林 玲子(こばやし れいこ)
1984年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。早稲田大学院英文学修士。主な訳書に『君はひとりじゃない スティーヴン・ジェラード自伝』(東邦出版)、『人生はジャイアントキリング! ジェイミー・ヴァーディ自伝』(日本文芸社)、『クリエイターになりたい!』(柏書房)『世界一おもしろい国旗の本』(河出書房新社)などがある。

[書籍情報]
書 名:メスト・エジル自伝
著 者:メスト・エジル
翻訳者:小林玲子
判 型:四六判
頁 数:324
発売日:6月15日
価 格:1800円
I SB N:978-4-491-03537-6
発行元:東洋館出版社
URL:https://amzn.to/2sOAm6E


これは俺の真実であり、俺の記憶だ!

「俺がイングランド相手にゴールを2本決めたことを、あれからどのアルゼンチン人も手にしたことのないW杯を高々と掲げたことを、誰も忘れないだろう。だから、改めてあの大会について話をしようと思う」
 あの英雄がついに口を開いた。
 伝説とも言われる1986年のメキシコW杯。誰もがフットボールに熱中し、マラドーナに酔いしれたあの年。
アルゼンチン代表は、奇跡と言われたW杯優勝はどのようにして成し遂げられたのか。マラドーナとアルゼンチン代表は、どのような日々を過ごしてきたのか。マラドーナ本人の言葉で生々しく語られる真実とは……。

神の手は、五人抜きはいかにして生まれたのか

 フォークランド戦争の傷もまだ癒えぬときの対イングランド戦。マラドーナは、手を使って先制点を生み出した。いわゆる神の手である。
「みんな、後ろを、ピッチのほうを見たくなかったんだと思う。ゴールを無効にされるのが怖くて。俺のところに来たエル・チェチョは訊いてきた。『手でやったんだろう? 手でやったんだよな?』俺は答えた。『口をつぐめ。俺は喜びつづけるから』。俺はすぐに親父と義父がいる観客席に目を向けた。俺が拳を突き上げて見せると、親父たちも同じように応えてくれた。ゴールを取り消されるんじゃないかとずっと不安だったが、結局無効にはされなかった」
 そして、彼の代名詞となる五人抜き。その超絶プレーが生まれる瞬間、彼は何を考えていたのか。
「あのプレーはエンリケのパスから始まった。そう、冗談じゃなく、エンリケのパスがベースだったんだ。もし50センチでもパスがずれていたら、どうなっていただろう? ああいう形でボールを受けられず、ああいう形で体を翻せずに、ベアズリーと哀れなリードをかわすことはできなかったかもしれない。あの一度の体の回転で、俺は二人を抜いた」

そして、メッシのこと

 マラドーナは、メッシと、そして未来のアルゼンチン代表のことについても語っている。
「今ならメッシは、W杯ロシア大会に行って、カップを掲げることができるだろう。彼に言ってやれるのは、個人でその準備をしろ、ということだけだ。俺がメキシコ大会の前にダルモンテ教授とやったように、自分でロシア大会のために準備をするんだ。」
 アルゼンチンが再びW杯を掲げるときは来るのか――。
 本書を読んで、ロシアW杯に臨むのも一興ではないだろうか。

[著者プロフィール]
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ(Diego Armando Maradona)
1960年アルゼンチン、ブエノスアイレス生まれ。史上最高の選手としてその名を挙げる者も多い、伝説のサッカープレーヤー。貧困地区ビジャ・フィオリートで育ち、ピッチ内外でのマラドーナ流――何かと論争を呼ぶが、まるで魔法のような大胆かつ才能あふれるプレーと行動――をはぐくむ。そうして強力な対戦相手にも、〝FIFAの腐敗〟と彼が考えるものにも挑み、勝利した。同様に、コカイン中毒を克服するため、おのれとも戦った。アルヘンティノス・ジュニオルスを皮切りにボカ・ジュニオルス、FCバルセロナでプレーしたのち、SSCナポリに移籍し、セリエAとUEFAカップで優勝を果たした。アルゼンチン代表としてもユース時代から活躍(1979年Wユース選手権日本大会で優勝)、1986年W杯メキシコ大会でフル代表チームを優勝に導いたほか、1990年イタリア大会では準優勝し、1982年スペイン大会、1994年アメリカ大会にも出場した。2010年南アフリカ大会では代表監督を務める。イングランドやブラジルといった伝統的強豪チームとの対戦で勝利したときの記憶に残るプレーの数々によって、世界でも数えるほどしかいない生きた伝説たちの中でもまさに頂点を極めたと言える。

宮﨑 真紀(みやざき まき)
英米文学・スペイン語文学翻訳家。東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業。おもな訳書にロサ・リーバス&ザビーネ・ホフマン『偽りの書簡』(東京創元社)、ジョルディ・ヨブレギャット『ヴェサリウスの秘密』(集英社)、ルイーズ・グレイ『生き物を殺して食べる』、ルーカ・カイオーリ『スアレス 神憑』(以上、亜紀書房)、マイケル・グラント、ロブ・ロバートソン『名将の軌跡 名サッカー監督はスコットランドから生まれる』(共訳、ソフトバンク クリエイティブ)など。

[書籍情報]
書 名:マラドーナ独白―1986年のメキシコW杯―
著 者:ディエゴ・アルマンド・マラドーナ
翻訳者:宮﨑真紀
判 型:四六判
頁 数:312
発売日:6月15日
価 格:1800円
I SB N:978-4-491-03544-4
発行元:東洋館出版社
URL:https://amzn.to/2LJdufY

By サッカーキング編集部

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