2008年8月16日、トッテナム戦を観にロンドンのスタジアムを訪れた時、盲導犬を連れた年配の女性を目にした。
その3日後、電車でリバプールに行くと、あの時の女性を駅でまた見かけた。おそらくリバプール市民である目の見えない彼女は、前週、トッテナムと戦うチームを応援するために、盲導犬とともにはるばるロンドンへと駆けつけていたのだ。試合を「見る」ことはできなくても、「感じる」ことはできる。同じ空間にいる幸せを感じられる、ということだ。リバプールというクラブにはそれだけの魅力がある。
「その女性を見て、リバプールのサッカーってやっぱり素晴らしいんだ! とあらためて感じたんです」
目を輝かせてそう話すのは田丸由美子さんだ。現在はリバプール・サポーターズクラブ日本支部の代表として活動している。父親のロンドン勤務で幼少期の3年間をロンドンで過ごし、日本に帰国後、大学では親しみのあった英文学を学んだのち大学院を出た。現在は都内の大学で英語の非常勤講師として働く。そのかたわら、土日はフリーランスのカメラマンとしても活動し、主に結婚式の撮影をしている。
「リバプールを好きだというこの思いを誰かと共有したい」
サッカーを知ったのはロンドンで過ごした3年の間ではなく、02年の日韓ワールドカップだった。W杯の影響か、日本でも日々の生活にサッカーが溶け込んでいた。
「それまでは全く興味がなかったんですが、テレビをつけるとどのチャンネルに変えてもサッカーの試合をやっているじゃないですか。なんとなく見ていたつもりが、海外の選手のスピードやテクニック、そして迫力に目が離せなくなりました」
サッカーの魅力にとりつかれると、すぐに衛星放送番組を契約した。ファンタジスタと呼ばれる多くの選手の華麗なテクニックに魅了された。どのチームにも地元出身のクラブを象徴するような選手がいることへの面白さも覚えた。
数あるクラブの中でとりわけリバプールに注目したのは04-05シーズンだ。伝統ある名門クラブが新たなステージに挑む過程に心を引かれた。
「当時キャプテンを務めていたスティーヴン・ジェラードに代表されるパワフルで情熱的なプレーが、テクニシャンと呼ばれるスペイン人選手との融合で“リバプールのサッカー”が変化したんです。俄然面白くなったプレミアリーグ、そしてリバプールというクラブに魅力を感じましたね」
リバプールがクラブワールドカップで来日した05年、「リバプール・サポーターズクラブ日本支部」の存在を知った。興味はあった。だが、なぜかなかなか最初の一歩を踏み出せなかった。
「でも、誰かとリバプールの話をしたい、リバプールを好きだというこの思いを誰かと共有したい、という気持ちがすごく強まってきて、やっぱりファンがたくさん集まるところへ行ってみたいと思ったんです」
まるで家族同士のようにリバプールへの愛情を語り合う空間。迷うことなく入会を決めた。現在、リバプールの公式サポーターズクラブは世界78カ国に245支部存在する。リバプール・サポーターズクラブ日本支部は、1995年2月に現会長の平野圭子さんによって創立された。
メディアが伝えることのないことを自分たちが伝えていく
田丸さんが入会したのは07年。10年頃からは観戦チケットを取りまとめる担当になり、スタッフとして深くかかわるようになった。田丸さんはこう説明する。
「11年の震災で前の代表の方が活動できなくなってしまい、新しい代表を選ぶことになりました。大学には夏休みや春休みの長期休暇がありますし、非常勤という勤務形態で比較的活動のための時間を作りやすかったことから推薦されました。決して簡単な仕事ではありませんが、自分がやっていかなければ、と思いましたね」
代表になったことでより責任感が強まった田丸さんは、サポーターズクラブが抱えていたいくつかの問題を解決すべく動き出した。
14-15シーズンから、サポーターズクラブに入会するにはリバプールFCのオフィシャルメンバーシップに登録していることを条件とした。「クラブとの直接的なつながりを感じてもらい、リバプールの経営を支えている意識と実感を持ってもらえるはず」と考えたからだ。
また、より多くのファンに入会してもらえるよう、年会費を4000円から1000円に下げ、年会費の半分はクラブの公式チャリティ「LFCファウンデーション」や元選手が運営するチャリティへ寄付することに決めた。慈善活動をサポートすることでクラブとの関係を深めていくという狙いがある。
さらには、現地観戦したいファンの問い合せには極力答え、満足してもらえるプランをtwitterやFacebookを通じて提案している。それがクラブ事情に精通する自分たちの務めだと考えている。
「メディアは伝えることのない、だけど知っておかなければならないことを伝えていくのがサポーターズクラブとしての大事な役割です。最近ではプレミアリーグのチケットの高騰により、若い世代がチケットを買えないという問題が出てきています。アンフィールドの目の前に住む50代夫婦が、『僕たちチケットが高いから試合へはもう行っていないんだ』と話したことがあります。リバプールで生まれ育った人たちがこのような状況に陥っていることにものすごく衝撃を受けましたね」
こうした環境にあって、田丸さんは、海外のファンにはチケットを高い金額で販売し、地元のファンには安い金額で販売するべきではないかと考えた。こういった意見を代表してクラブに直接伝えるというのも大切な仕事の一つだという。
リバプールFCの一員であることは、家族の一員であること
田丸さんが本拠地アンフィールドでの初観戦を体験したのは、日本支部に入会したのと同じ07年だ。その日、この夏、加入したばかりのフェルナンド・トーレスのゴールシーンで感じたことがあるという。
「トーレスにとってはアンフィールドデビューゲームだったんですが、彼がジェラードからのパスをトラップした瞬間から、スタジアム全体に、『今から俺たちは歴史的な瞬間を目撃することになるぞ』『新たなエースの誕生を目にすることになるぞ』という空気が一瞬にして広がったんです。ゴールを決める直前、サポーターが息を飲んで見守っている。トーレスが得点を入れた後の歓喜もすごかったけど、その前の4万5千人のファンが一斉に息を飲んだ瞬間が忘れられないですね」
こう話した後、“Being a part of Liverpool FC is like being part of a family.”という考え方があることを教えてくれた。
「リバプールFCの一員であるということは、家族の一員であるようなことだ」という意味だ。
実際、“家族愛”を感じるシーンは少なくない。現地に行くと、初めてで何も分からない外国人のリバプールファンを、地元のファンは全力で助けてくれる。まさにリバプールの代名詞である“You’ll never walk alone”という言葉そのものだ。リバプールファンは決して孤立することなく、国境を越えて家族さながらに寄り添い合っている。
「ファンはみんな家族。困っていれば助けるのが当たり前」
リバプールには日本語の公式サイトが存在しておらず、試合以外の情報はあまり日本人に知られていない。そのため、英語による情報を日本語で発信し直さなければならないが、田丸さんを始め、運営するスタッフはすべてボランティアで取り組んでいる。つまり“無償”だ。田丸さんにも英語講師とカメラマンという本業がある。一日中リバプールの情報発信にかかわっていられるわけではないが、英語に堪能な田丸さんの業務量は決して少なくない。それでも、田丸さんの表情はどことなく明るい。
本業の合間をぬって、“無償”でリバプールの昨日、今日、明日を伝える――そこには揺ぎない“家族愛”がある。
「現地リバプールのマージーサイド支部の定例会に出席した時、まるで町内会みたいな雰囲気で地域の人たちがリバプールについて談議していました。杖を持った老人たちが立ち上がってリバプールの話をする姿に、リバプールFCがどれだけ生活の一部になっているのかを身をもって感じましたね。私たちはチャリティ活動やSNSを通じて世界中のリバプールファンと思いを共有できますし、サポーターズクラブでは、ウェブサイトやSNSで正しいチケットの購入方法を発信しています。私たちが発信している情報のおかげでチケットを購入することができ、無事に現地観戦することができたという声をファンから聞くと、この活動をやっている意味をすごく感じますよね」
本業との“三足のわらじ”は決して簡単ではない。それは自分自身がよく理解している。だが、田丸さんの口調に暗さはない。
「リバプールのファンはみんな家族ですからね。家族が困っていれば全力で助けるのが当たり前。リバプールFCというのは、そういうクラブなんです。現地リバプールにいる時に困ったことがあると、地元のファンたちはみんなすごく親身になってくれて、全力で助けてくれます。リバプールのファンであれば、彼らにとっては海外のファンだって家族なんです。だから私自身も困っているファンには同じように接していきたいですし、『リバプールFCファミリー』というこの素晴らしい伝統を、日本のファンに身をもって伝えていきたいんです」
そう話す田丸さんはどこかうれしそうで、この言葉は、中途半端ではない責任感と、純粋にリバプールが好きだという熱い思いがあふれていた。
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インタビュー・文=近藤七華(サッカーキング・アカデミー/現フロムワン・スポーツ・アカデミー)