2016.06.01

マーケティングのプロがグランパスを変革する/前編「三重苦の中で学んだ“志高く”という信念」

サッカー総合情報サイト

インタビュー・文=坂本 聡
写真=三浦 誠

「運動会とか水泳大会の前は、お腹が痛くなる小中学生だったんですよ」

 そう言ってハハハと笑ってみせる。中林尚夫さんは面白い人だ。トヨタ自動車で海外マーケティングのプロとしてキャリアを積み、韓国トヨタのCEOまで務めた。一方で、運動の経験はほとんどゼロ、「サッカーのサの字も知らなかった」という。その彼が今、名古屋グランパスの取締役専務として、クラブをゼロから変革しようとしている。

「変革」は一つのキーワードと言っていいだろう。クラブの規模で言えばJリーグ有数のビッグクラブにもかかわらず、グランパスはこの数年、順位表の中位をさまよい、観客動員でも伸び悩んできた。そんな状況を打破するために、2014年、中林専務はグランパスに赴任した。「変革」のスタートだった。

 彼はグランパスの何を変えようとしているのか? そこに迫る前に、話題は多岐に及んだ。スマトラのトラックに始まり、韓国トヨタでの戦い、アーセン・ベンゲルとの会話……。中林専務は淀みなく、マシンガンのように言葉をつないでいく。意外なエピソードに驚き、巧みな話術に笑い、鋭いロジックに感銘を受けているうちに、あっという間に予定の1時間が経過していたのだった。

 ここにすべてをお伝えできないのが残念ではある。それでも、中林専務の魅力は十分に伝わるのでないだろうか。彼の言葉には明確な論理があり、ユーモアがあり、根底には揺るぎない信念が感じられる。だからこそ、この人がグランパスをどう変えていくのか、期待せずにはいられない。

「次こそはニューヨークかロンドンかと……」


――中林さんは2014年から名古屋グランパスに出向されましたが、その前はトヨタ自動車でキャリアを積まれました。まずは、その時代のお話から聞かせていただけますか?
中林尚夫 もともと車が大好きだったんですよ。小学生の頃から自動車の雑誌をずっと読んでいまして、トヨタに限らず、車は何でも好きでした。夢はニューヨークやロンドンで、自動車のマーケティングのヘッドになること。だから自動車会社に入ったんです。

――最終的に韓国トヨタのCEOを務められたということは、その夢に近いキャリアになったわけですね。
中林尚夫 ところがね、私が最初に海外マーケティングで担当したのはインドネシア、スマトラのトラックだったんですよ。ショックでした(笑)。今でも思い出しますよ。ジャカルタに行けと言われましてね。1980年代の話ですけれども、直行便がないからマレーシアからシンガポールに飛んで、そこからジャカルタに行くわけです。スカルノ・ハッタ空港に着いたら、暗いし、南国特有の丁子(ちょうじ)たばこの臭いがするし、外は煙ってるしね(笑)。何かと思ったら焼き畑農業の煙なんです。焼き畑って学校で習ったでしょう?

――はい。教科書で読んだことはあります。
中林尚夫 そういうところにトラックを売りに行ったんですよ。それが最初はつらくてたまらなかったけど、だんだん面白くなってきましてね。現地の販売会社の方と一緒にスマトラ、ジャワ、カリマンタン、スラウェシ……いろいろと行きました。一番端はアチェというところの、さらに奥地。当時は本当に何もない、トイレもないようなところでした。もう泣きそうになって、東京に電話して「もう帰っていいですか」と(笑)。でも、そういう探検隊のようなことをしていく中で、私はインドネシアの2億人の国民を自動車で幸せにしたいと思うようになった。そうやってインドネシアのプロになっていったんです。

――インドネシアの他には、どんな国を担当されたんですか?
中林尚夫 もともとスマトラでトラックを担当する前も企画部門にいましたから、いろいろな国を担当しました。オーストラリア、南アフリカ、あるいはペルー、ベネズエラだとか中南米。台湾もやりましたね。アメリカとヨーロッパ以外はほとんど担当しました。

――それは、簡単に言えば世界各国にトヨタの車を売るお仕事、ということですよね?
中林尚夫 自動車を輸出するための仕組み作りですね。私はプライシングスタッフとして、現地の小売価格を調べて、分析して提案する仕事を長くやっていました。例えばF.O.B.(本船渡し価格=貿易の際、貨物を船に積み込むまでの経費を含めた取引価格)を1万円上げたら、小売価格を何%上げなきゃいけないか。そういったことを瞬時に暗算して、交渉でズバッと提示するんです。私が今でも数字に強いのは、そのときに鍛えられたからですね。そういった素地があったので、次こそはニューヨークかロンドンかと思っていたんですが……。

――インドネシアだったと(笑)。
中林尚夫 それはそれで楽しかったですけどね(笑)。今でも多くの友人と交流しています。

「我々はどこにも負けないんだ」


――インドネシアから帰ったあとは、どんなお仕事をされていたのでしょうか?
中林尚夫 台湾やシンガポールに会社を作ったり、新興国に同一車種を導入するIMV(イノベーティブ・マルチパーパス・ビークル)のプロジェクトに関わったりしました。そのときの役員が、今のグランパス会長でもある豊田章男社長なんですよ。

――なるほど。そこからのお付き合いなんですね。
中林尚夫 そのときは新興国向けの輸出の仕組みを作りました。だけどやっぱり、本能がうずくわけですよね。先進国でやりたい。ニューヨークやロンドンで力を試したい、もっと大きくなりたい。ずっとそう思っていました。そんなときに経団連のミッションで、韓国に次世代の若手リーダーを派遣するプロジェクトがありまして、当時の上司が「中林、お前ヒマだろう。韓国に行ってこい」と(笑)。2000年10月に初めて韓国に行きました。それが韓国に関わったきっかけです。

――その流れで、CEOとして現地に赴任されたわけですか?
中林尚夫 はじめは東京から韓国の担当をしていたんですが、あまりうまくいかない時期があったんですね。「現地に行ってやってくれ」と言われて、それじゃあ私が何とかしてやろうと。韓国で手柄を立てて、出世してやろう、くらいに思っていたんですよ(笑)。ところがね、2010年の1月4日に赴任して、それから1週間か2週間で、リコール(回収・無償修理)の嵐が吹き荒れたんです。

――覚えています。大騒ぎになりました。
中林尚夫 それから円高になりました。私が行く頃は1ドル=115、6円だったのが急激に円高になって、1ドル=75円台まで上がったんですよ。トヨタのレクサスという車がF.O.B.で1台5万ドルくらいとすると、1円の円高になると5万円の減益。それが30円の円高となると150万円の減益です。利益がみんな吹き飛んでしまうわけですよ。

――大変な事態になってしまったわけですね。
中林尚夫 そして、政治的に日韓関係が悪化した時期でもありました。リコール、円高、完全アウェイという、まさに三重苦でしたよ。それまでは曲がりなりにも販売が伸びていたのに、お客様がショールームに誰も来なくなってしまった。しかし、そんな中でトヨタについて来てくれる人が、社員、そのご家族、関係会社の方を合わせて3,000人もいらっしゃったんです。だから、この人たちを守っていくためにどうしようかと。それが私の韓国トヨタでの戦いだったわけですね。

――その苦しい戦いの中で、得たものは何でしょうか?
中林尚夫 私の経営の根幹にある言葉は「志高く」なんですよ。「手柄を立ててやろう」なんてセコいことを考えていてはダメなんです。今でも思い出しますが、亡くなった父がよくアドバイスしてくれましてね。「日本のことは気にするな。韓国のお客様のためにやれ」と。韓国にもトヨタを愛してくれている人が3,000人いる。その人たちの生活を守るんだと。そのためには志高く、韓国でナンバーワンのネットワークを作ろうと思いました。お客様品質ナンバーワンになるんだ、我々はどこにも負けないんだと。そう思った瞬間に、いろいろなことができるようになっていったんです。

――韓国トヨタ時代、一番印象に残っていることは何でしょうか?
中林尚夫 それはもう、リコールで徹底的に叩かれたことですね。豊田社長も大変ご苦労されましたけれども、私もとことんやられました。社長が韓国に行こうかと言ってくれたときに、私はテレビ会議で「今来たら大変なことになります。今は私が背負います」と言いました。そのときは本当にそう思っていたんですよ。それが一番の思い出。苦い思い出ですけれども(苦笑)。

――すると、一番のいい思い出は何でしょう?
中林尚夫 その完全アウェイの中で、外国メーカーとして初めてカー・オブ・ザ・イヤーを取ったこと。韓国のカー・オブ・ザ・イヤーは日本と少し違って、自動車の評価だけじゃないんですね。自動車にまつわる文化的な活動、マーケティング活動、もろもろの企画すべてを高く評価してくれて、満場一致で韓国トヨタのカムリが2013年のカー・オブ・ザ・イヤーに輝きました。本当に涙が出てきました、あのときは。

株式会社名古屋グランパスエイト
取締役専務 中林尚夫(なかばやし ひさお)

1982年 トヨタ自動車入社。海外企画、海外営業・マーケティング部署を歴任。
2010-2013年 韓国トヨタ社長兼CEO
2014年 株式会社名古屋グランパスエイト着任

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