2017.12.28

【中溝康隆J連載】サッカー観戦に必要なことはすべて『ウイイレ』から学んだ

98年フランスW杯はウイイレと現実のサッカーリンクした大会でもあった [写真]=Getty Images
1979年埼玉県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。デザイナーとして活動する傍ら、2010年よりブログ『プロ野球死亡遊戯』を開始。累計7000万PVを記録し話題に。著書に『プロ野球死亡遊戯 そのブログ、凶暴につき』、『プロ野球死亡遊戯 さらば昭和のプロ野球』(ともにユーキャン)など。

◆『ウイイレ』という名の日常

 「あの頃、ひたすら『ウイイレ』やってたよなあ…」

 先日、忘年会で大学時代の同級生と久々に再会したら、そんな思い出話になった。みんな30代中盤から後半を迎え、気が付けば仕事や家族が生活の中心となった日々。年を取ったというより、大人になったのである。

 基本的に金欠で、時間だけが腐る程あったあの頃、誰かのワンルームマンションの一室にマクドナルドの1個65円のハンバーガーを手土産に集まり、朝まで燃えるウイイレ大会。ババンギタのスピード、ベルカンプのテクニック、フォルネンダーの安定度…現実とゲームを混同した海外サッカーの基礎知識はすべてそこから知った。

 恐らく、80年代に漫画『キャプテン翼』がサッカーというスポーツを日本の子どもたちに広め、90年代後半から2000年代前半にゲームの『ウイニングイレブン』をきっかけに海外サッカーに興味を持った人も多いのではないだろうか。『ファミスタ』の最強チーム“メジャーリーガーズ”から大リーグの選手を知った我々のように。

 ファミコン生まれ、プレステ育ち。マニアな友達だいたいセガ好き。俺らはテレビゲームから人生に必要なことを学んだ最初の世代かもしれない。

◆高度サッカー成長期へ

 今回のコラムでは、そのウイイレの歴史と現実の日本サッカー界の動きを振り返ってみよう。96年3月、プレイステーションゲームの『ワールドサッカーウイニングイレブン』が発売。驚くべきことに登場チームはわずか26カ国で実況は英語だった。

 翌97年6月に出た続編『ウイイレ97』にはRボタンダッシュ、スルーパス等、今も続く基本操作を確立し、実況には、95年のJリーグ版から起用されていたジョン・カビラ氏、解説に松木安太郎と早くもウイイレのベースができる。この年の11月16日にジョホールバルの歓喜でサッカー日本代表が初のW杯出場を決めたわけだ。

 98年5月には『ワールドサッカー実況ウイニングイレブン3 World Cup France 98』が世に出て、6月14日にフランスW杯で日本代表とアルゼンチン代表が対戦する。「あれが本物のバティストゥータか!」なんつって、ウイイレと現実のサッカーがリンクし始めたのである。

 さらに99年9月、2000年8月と毎年新作をリリースし続け、トルシエ監督率いる日本代表は20代前半の中田英寿や黄金世代を中心にチーム作りを進め、シドニー五輪ベスト8、その中田を欠いたアジアカップ2000では優勝を飾るニッポンの高度サッカー成長期だった。

誰もがウイイレで愛用した快足ババンギダ [写真]=Getty Images

◆サッカーバブルとウイイレ

 そして、2001年3月にはついにプレステ2で『ワールドサッカーウイニングイレブン5』が発売される。この頃、日韓W杯開催を翌年に控え、のちに「サッカーバブル」と呼ばれる現象がすでに始まっていた。

 その証拠に2001年だけで、年間4本発売のウイイレバブル(このコナミ東京チーム制作とは別にコナミ大阪制作の『実況ワールドサッカー』シリーズも各ハードで2000年に3本、01年に2本、02年に4本と新作を連発している)。

今はネットに接続して最新選手データにアップデートできるが、当時はまだ選手データを更新した別バージョンの1本で2度おいしい“決定版的”な売り方が成立していた。そりゃあゲーム業界も景気がいいわけである。

 2002年4月には『ワールドサッカーウイニングイレブン6(PS2)』、『実況ワールドサッカー2002(PS)』、『ウイ・イレ(GBA)』と3つのハードで3本同時発売の快挙。5月31日開幕の日韓W杯に向けての熱狂ぶりが懐かしい。

 今でも発売日に買った『ウイイレ6』の選手能力100段階化の衝撃とゴン中山のパッケージデザインは鮮明に覚えている。アナコンで操作していた選手たちが日本のスタジアムで実際に観戦できる奇跡。マジかよ…なんつって自分も神戸までナイジェリア代表の天才オコチャを観に行った。

 1日3試合サッカーの試合を楽しみ、空いてる時間でウイイレ6のマスターリーグで自分好みのチームを成長させていく。快速FWバーチャットを使いこなせない奴はチキン。実名リネーム作業をしない奴はヘタレという暗黙の了解。それが人生で何の役に立つのかなんて突っ込みは野暮だろう。今思えば、日韓W杯を盛り上げた陰のMVPはウイイレだと思う。

02年W杯の日本代表の快進撃によりサッカー人気が爆発、ウイイレも100万本以上を売り上げる黄金期を迎えた [写真]=Getty Images

◆日本サッカーの映し鏡

 自国開催で日本代表はベスト16に進出し、対ロシア戦のテレビ視聴率は驚異の66.1%を記録。ここからしばらくウイイレシリーズは出せば100万本以上を売り上げる黄金期を迎えることになる。

 2005年3月発売の『ウイイレ8 ライヴウエアエヴォリューション』ではついにオンライン対戦が可能に。そう言えば、いまいち打ち解けなかった隣の席の同い年の同僚と真夜中にオンライン対戦をしてから普通に話せるようになった。まさに当時の20代の男性にとって『ウイイレ』は共通のコミュニケーションツールでもあったのである。

 06年ドイツW杯でジーコJAPANが惨敗し、中田ヒデが引退して、日本のサッカーバブルも崩壊。作品ナンバリングが西暦で表示されるようになった2007年11月発売の『ウイイレ2008』からPS3がメインハードとなり、それをやるためにPS3を購入した熱心なファンも多かったが、この頃から徐々に新シリーズを追うのをやめた人も多かったように思う。

 やがてEAスポーツの『FIFA』シリーズにライセンス面で遅れを取るようになり、スマホゲームの躍進もあってユーザーの好みも細分化。気がつけば、明け方まで仲間内でウイイレ大会をやることも、同僚とオンライン対戦をすることもなくなっていた。

 2017年が終わろうとしている今、この原稿を書いている仕事場にはPS4と『ウイニングイレブン2018』がある。仕事が行き詰まった時、気分転換をしたい時、オフラインのマスターリーグを1日2試合ペースでコツコツと進めていく。なんだかんだとこのゲームをもう20年近くプレーしていることになる。

 過去作を並べて見ると、日本人選手でイメージキャラクターを務めたのは古くはゴン中山や中村俊輔、2012〜13は香川真司、2015は本田圭佑といった面々。果たして、現在の代表チームにウイイレシリーズのパッケージをひとりで飾れるようなスター選手がいるだろうか? ハリルJAPANで柱となる選手の不在を痛感する。

 今も昔も『ウイイレ』は日本サッカーを映す時代の鏡なのである。

文=中溝康隆(プロ野球死亡遊戯)

参考資料:『コンテニュー Vol.5 WE♥︎“WE”』(太田出版)

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