2017.05.11

W杯出場、海外移籍、国内復帰、数々のケガ…自身の歩みを振り返る小野伸二「自分で決断することが大事」

小野伸二
サッカー総合情報サイト

 長いキャリアを送っていれば、栄光の時間を過ごすこともあれば、逆境に立たされることもある。

“天才”とうたわれ、黄金世代の象徴的存在だった小野伸二のキャリアも、栄光と苦難の連続だと言えるだろう。

 プロ入り、W杯出場、海外移籍、国内への復帰、そして数々のケガ。

 それぞれの局面で、彼は自分と向き合い、自ら決断を下してきた。サッカーを楽しみ、世界一の選手になるために――。

インタビュー=岩本義弘
構成=池田敏明
写真=大橋泰之

小学生の頃に清商進学を決意
よきライバルに恵まれる

小野伸二

――小野選手のキャリアを振り返ると、清水商業高(現静岡市立清水桜が丘高)に進学したことが一つの大きな転機だったと思います。清商を選んだ理由を教えてください

小野伸二 小学校4年生ぐらいの頃、僕が住んでいた沼津市に清商が試合をしに来たんですよ。小学校時代に所属していた今沢サッカースポーツ少年団の高木英大監督が試合を見に連れて行ってくれたんですが、その時に僕が大滝(雅良)先生に「清商に行きたいです」って言ったんですよ。監督から「入るって言いに行ってこい」って言われて(笑)。それをずっと覚えていたんで、中学の顧問の先生には「清商以外には行かないです」と言っていました。

――当時の清商は煌びやかでしたね。

小野伸二 そうですね。僕が中学2年の時に(川口)能活さん(現SC相模原)が高校3年生で、全国高等学校サッカー選手権大会で優勝して。それを見ていたので、絶対に自分も清商に入って同じようになりたいなって思いました。

――小野選手と同じ79年生まれの選手たちは“黄金世代”と呼ばれています。その中で一番、意識していた選手は誰ですか?

小野伸二 一番、付き合いの古いタカ(高原直泰/沖縄SV)ですね。小学校6年の時に初めて出会ったんですが、衝撃的でした。正直、当時は彼に勝てるとは思わなかったです。でかくて速くてうまい。初めて見た時はコーチだと思ったんですよね。明らかにでかかったので「コーチがいるわ」と思って(笑)。でも、そのチームと対戦したらその人が試合に出てきて「え? この人コーチじゃないの?」みたいな(笑)。ボッコボコにやられました。あれは本当にすごかった。誰が見ても“怪物”でした。

――代表などで一緒にプレーする機会も多かったですよね。

小野伸二 中学3年の時にU-15日本代表のキャンプがあって、その時に初めて一緒にプレーして、そこからですね。キャンプの時はいつも僕とタカが相部屋で、お互いの気持ちがどんどん近づいていって、いつしか仲良くなっていました。一緒にやっていくうちに、彼に勝とうとか超えようという意識から、彼の良さを引き出したいという考えに変わっていきました。

――現在、コンサドーレ札幌で一緒にプレーしている稲本潤一選手と初めて会ったのは?

小野伸二 実はイナともその時に初めて会っているんですよ。ただ、そのキャンプには多くの選手が参加していましたし、タカのインパクトが強すぎて、イナのことはあまり意識していなかったです(笑)。学年が進んでいくうちに対戦する機会も増え、少しずつイナのすごさが分かっていきました。高校3年でJリーグデビューしたのを見て「すごいなあ、いいなあ」と思っていました(笑)。

――小笠原満男選手(鹿島アントラーズ)、遠藤保仁選手(ガンバ大阪)、本山雅志選手(ギラヴァンツ北九州)も、よきライバルであり、代表のチームメートでした。小笠原選手は当時、小野選手のことをかなり意識していたようですよ。

小野伸二 (笑)。満男はすごいいい選手です。高校1年の時、福島国体で僕がいた静岡県が彼のいる岩手県と対戦したんですが、その時に「うまいなこの選手」と思ったんですよね。その後は何度も対戦し、そのたびに「うまいな」と思っていました。ヤット(遠藤)のことを知ったのはプロに入ってからでした。僕はプロ2戦目で初ゴールを決めたんですが、その相手が横浜フリューゲルスで、その時にヤットがいました。ヤットもうまかったですけど、当時は彼のような中盤の選手が大勢いましたからね(笑)。モト(本山)のチーム(東福岡高校)には「勝てないな」と思っていました。いつも最終的にあいつにやられていましたから。でも、代表ではいいコンビで、ボールを預けて「行け!」って言えばどんどん仕掛けていってくれるので、パスの出しがいがありました。

――本山選手は、小野選手のことが大好きですよね。

小野伸二 「シンちゃん」って呼んできますからね(笑)。昨年、北九州と試合をした時には「試合が終わったら一緒にご飯食べに行こうよ」と言われて、一緒に行きましたからね。いまだに僕らの関係は変わらないですね。あまり連絡は取り合わないんだけど、どこかで意識しているし、試合結果はチェックしますし、活躍してほしいと思うし、みんなが頑張っているのは刺激になります。

「世界一の選手」を目指し
W杯出場、海外移籍を経験

小野伸二

――プロ入りする時、打診も含めていくつぐらいのJリーグクラブからオファーがあったのでしょうか。

小野伸二 詳しくは把握していません。当時は清水エスパルスに行きたいという気持ちが本当に強く、その方向で自分の意思を固めていたんですよね。ただ、浦和レッズは毎日、練習を見に来てくれて話もしてくれて、強い熱意を感じていました。それでもエスパルスに行く気持ちを持っていたんですけど、当時はクラブの状況があまりよくなかった時期というのもあって最終的にレッズに加入することになりました。

――その時はどのようなキャリアを思い描いていたのでしょうか?

小野伸二 「世界一の選手になりたい」というのが当時の目標でした。世界を見ていたかどうかは分からないですけど、世界一うまい選手になりたいと思いながらプレーしていました。

――レッズに加入してすぐに活躍し始め、順風満帆なサッカー人生を送っていたと思います。プロ入りしてから、目指すものは変わりましたか?

小野伸二 レッズに加入する前に日本代表の1998年フランス・ワールドカップへの出場が決まっていて、高校を卒業する時に大滝先生から「これを目指せ」と言われて。当時はまだ日本代表にも選出されていなかったんですけど、デビューしてからは代表を意識するようになり、韓国とのアウェーゲーム(98年4月1日)に向けての代表チームに僕と市川大祐(現エスパルス普及部スタッフ)を選んでいただきました。Jクラブと代表とではプレーの質が全く違うのを感じましたし、「こういう環境でずっとやりたいな」という思いが強くなりました。

――そして実際にフランスW杯のメンバーに選ばれ、ジャマイカ戦では後半途中から出場しました。ピッチに立つ前、どんなことを考えていましたか?

小野伸二 特に何も考えなかったですね。ただ来たボールに反応していただけです。もちろんそれまでの2試合でピッチに立てなかった悔しさはあったので、与えられた時間で楽しもう、みたいなところはありました。

――もっと長い時間プレーしたかったという気持ちもあったと思います。

小野伸二 実を言うと、2試合目のクロアチア戦で出れるチャンスがあったんですよ。「ウォーミングアップしろ」って言われたんですが、僕はベンチにいる時は足を楽にしておくためにスパイクの紐をほどいているので、結ぼうとしたら「準備ができてないやつはいらない」と言われて、ウォーミングアップさせてもらえなかったんですよ。出れたかは分からないですけど、それがあったから余計に悔しくて。プレーしたのはロスタイムも含めて10分ちょっとでしたけど、非常にいい経験になったと思います。

――01年夏にオランダのフェイエノールトに移籍しましたが、この決断を後押ししたものは?

小野伸二 日本でも常に高い意識を持ってトレーニングしていれば世界に近づけると思っていたんですけど、移籍する半年前の01年1月に1週間、フェイエノールトのキャンプに参加させてもらって、練習相手も試合相手も外国人という環境が自分にとってすごく新鮮だったんですよね。1月のオランダって寒いし、どんよりしていて暗いし、そこが最初は気になったんですけど、クラブが話を進めてくれて。ヒデさん(中田英寿氏)が98年にペルージャに移籍して、デビュー戦で2ゴールを挙げた試合なども見ていて、「海外ってすごいんだろうな、行って活躍したいな」というのはずっと思っていたので、決まった時にはもう「行って頑張ろう!」って。

――レッズがJ2に降格した99シーズンのタイミングで移籍するという決断もあったと思います。

小野伸二 いくつかのクラブから話は頂いたんですけど、当時は移籍しようとは思っていなかったですね。とにかく1年でJ1に復帰させるんだっていうことしか考えなかったし、迷いは全くなかったですね。

――06年1月にレッズに復帰し、08年1月には再びヨーロッパに渡ってドイツのボーフムと契約しました。この移籍はどのような経緯で決まったのでしょうか。

小野伸二 当時、僕はレッズで試合に出たり出なかったりという状況で、モヤモヤしたものを抱えていました。そんな中で、今の代理人が海外からの話を持ってきてくれたんです。最初に練習参加に行ったものの、足首の状態があまり良くなかったので1時間ぐらいしかプレーできず、「これで決まるわけがないな」と思っていたんですが、移籍ウィンドウが閉まる数日前に「もう一度来てくれ」と言われて行ったら、正式契約することになって。僕自身も「決まっちゃったんだ」と驚きました(笑)。

――移籍を決断したのは、06年ドイツW杯での悔しい経験も影響したのでしょうか。

小野伸二 海外から日本に戻ってプレーしていたら、「やっぱり海外でやりたい」という気持ちが高まってきたんですよ。環境面などいろいろ考えると、自分には海外のほうが合っているな、と感じる時もあるので、もう一度チャレンジしてみようと思いましたね。

――ボーフム時代は“戦っている感”がより強かったですね。

小野伸二 そうですね。僕がオランダにいた時とドイツにいた時では、ブンデスリーガのレベルが全く変わっていましたからね。フェイエノールトにいた時は、まだドイツよりオランダのほうが高いレベルにあったんですが、08年にボーフムに移籍した時にはレベルが逆転していて、全く違うリーグになっていました。練習も試合も、非常に刺激が多かったですね。

成功も失敗もすべて自分に返ってくる
自分で決断することが大事

――その後はエスパルス、オーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズを経て、14年1月にコンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)に移籍しました。この決断には驚かされました。

小野伸二 オーストラリアですごくいい2シーズンを過ごすことができて、「まだまだシドニーにいたいな」っていう気持ちが正直、すごくあったんですよ。ただ、契約が一度、満了を迎え、クラブもオーナーが替わるタイミングで、新しいオーナーが決まる前にコンサドーレから契約の話をいただいて。当時、僕は各クラブ1人ずつ契約が認められているマーキープレーヤーだったんですけど、その選手を誰にするかの決定権はオーナーにあって、新しいオーナーがどの様な決定を下すかは分からなかったですが、コンサドーレから非常に熱心に誘って頂いていましたし、チームをJ2リーグからJ1に上げるチャレンジもまた楽しいかな、と感じていたので移籍を決めました。

――移籍するまで、札幌の街との縁はあったんですか?

小野伸二 ヨーロッパにいた頃、札幌市内にグラウンドを借りて自主トレをしていました。レッズでチームメートだった田畑(昭宏)さん(現浦和レッズ育成スカウト・育成コーチ)や河合竜二さんもコンサドーレにいたので、プライベートで北海道に遊びに来ながら試合を見て、というのも何度かありました。

――20年目のシーズンを迎えていますが、プロ入りした当時はここまで長く現役を続けると思っていましたか?

小野伸二 先のことはあまり考えない性格なので、いつまで続けられるかは気にせずにやってきました。でも、これだけのケガをしながらよく続けているよな、という感覚はありますね(笑)。

――確かに、ケガとの戦いは小野選手の側面の一つだと思います。

小野伸二 そうですね(笑)。これだけ手術してなお現役を続けている人はいないと思います。

――カズさん(三浦知良/横浜FC)も「明日のことしか考えていない」と言っていました。

小野伸二 将来のイメージって、ざっくりとは持っていますけど、結局は今日ができなかったら明日はないですし、今日100パーセントやらない人は明日も100パーセントは絶対にできないじゃないですか。だから日々のトレーニングを大事にしなきゃいけないという気持ちは若い頃から抱いています。

――キャリアの中で、ご自身の成長に大きな影響を与えてくれた人は誰ですか?

小野伸二 少年団の高木監督ですね。高木監督がいなかったら少年団でサッカーをしていなかったかもしれないですから。中学時代はいろいろな方に支えられていました。僕が進学した中学校にはサッカー部がなかったんですが、入学する1年ぐらい前にサッカー部を作ってくれたんですよね。高校に入ってからは、大滝先生の影響力が大きいですね。

――大滝先生は小野選手にとってどんな存在ですか?

小野伸二 サッカーはもちろん、人間性など、いろいろなものを教えてくれました。サッカー選手の小野伸二としてはもちろん、人間・小野伸二としても成長することができました。

――では、今までのキャリアの中で一番大きな決断は?

小野伸二 プロ入りする際に、レッズを選んだことですね。エスパルスに行ってたら、日本代表入りやフランスW杯出場はなかった気がするんですよね。当時のエスパルスは中盤の選手層が厚かったですからね。レッズの層が薄かったわけではないんですけど、エスパルスに行っていたら、違う人生だったかもしれないですね。

――これまでに下してきた自分の決断は、正しかったと思いますか?

小野伸二 成功も失敗もすべて自分に返ってくるので、他人任せにせず、自分で決断することが大事だと思っています。それで成功するか失敗するかは、自分次第じゃないですか。僕はあまり他人に相談しないタイプなんですよね。こうするんだっていうのは、だいたい自分の中で決まっているんですよ。

小野伸二

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