2017.11.22

世界と戦うために…秋田豊氏が語る現役時代のトレーニング/第1回

海外サッカー専門誌の編集を務めた後にフリーとなり、ライター、エディター、スペイン語の翻訳&通訳、フォトグラファーとマルチに活動を展開中。

力強いヘディングとフィジカルコンタクトの強さ、そして強烈なリーダーシップを武器に、鹿島アントラーズ日本代表の最終ラインに君臨してきた秋田豊氏。外国人FWとも対等に渡り合ったその激しいプレーは、学生時代から取り組んでいたフィジカルトレーニングの賜物だったという。

現役引退後、秋田氏は指導者や解説者を務める傍ら、今年から『株式会社サンクト・ジャパン』という会社を立ち上げてその代表取締役を務めている。「サンクトバンド」というトレーニング用ゴムチューブ・ゴムバンドの販売に携わっているのだ。秋田氏の屈強な肉体を作り上げてきた現役時代のトレーニング、そして「サンクトバンド」の効果的な活用法を伺った。

――まず、プロになる前の経歴を教えてください
秋田 豊 少学2年生の時にサッカーを始めたのですが、実はもともとやりたかったわけではなかったんです。最初は野球をやっていたんだけど、サッカー部の監督に誘われて両方やり始めました。中学でも野球をやろうと思っていたけど、サッカー部のレベルが高かったのでサッカー部に入りました。気づいたらサッカーに熱中していて、そこで全国大会にも出場することができました。高校進学時は愛知高校の監督に誘っていただいてサッカー部に入り、全国高等学校サッカー選手権大会にも出場し、系列の愛知学院大学にサッカーの特待生で進学しました。

――鹿島アントラーズ加入の経緯を教えてください。
秋田 豊 愛知学院大の監督と住友金属(後の鹿島アントラーズ)の強化部の方が知り合いだった関係で、毎春、鹿島に合宿に行っていました。そのたびに住金の方から「うちに来い」と誘っていただいていて、その縁で1993年に鹿島アントラーズに加入することになりました。

――Jリーグ開幕当初は、右サイドバックを務めていたと記憶しています。
秋田 豊 そうですね。最初はレギュラーではなかったんですが、チームが93年4月にイタリアに遠征に行った時、クロアチア代表とトレーニングマッチをしました。僕は出ていなかったんですけど1-7で負けてしまったんです。そこで守備へのテコ入れが必要だということで、ジーコに「やってみろ」と言われて、コーチングやポジショニングを教わりながらやるようになりました。そしてインテルと試合をしたところ、1-1で引き分けることができたんです。そこが分岐点になりましたね。

――純粋なサイドバックというより、サイドバックのポジションにセンターバックがいる、という感覚でしょうか。
秋田 豊 そうですね。変形の3バックみたいな感じ。あと、レギュラーメンバーにケガをさせないため、という狙いもあったらしいです。僕が控え組にいて紅白戦をやると、マッチアップしたレギュラーのFWにケガをさせてしまう恐れがあると(笑)。それを避けるためだった、といううわさもあります(笑)。

――屈強でパワフルな選手というイメージでしたが、いつごろ培われたものなのでしょうか。
秋田 豊 大学3年の頃に、愛知高校の同級生が2浪で愛知学院大に入ってきて、「パワーリフティングをやる」と。僕は当時、オリンピック代表候補から落選し、自分がどこに向かっていけばいいかと悩んでいた時期だったんですが、その友人から「一緒に体づくりをやろう」と誘われて、二人で毎日、筋力トレーニングをやるようになりました。当時からヘディングは強かったんですが、世界で戦える体づくりを目指して、他の人だったら1日で音を上げてしまうようなハードトレーニングをしていました。

――プロ入り後も、激しいフィジカルトレーニングをしていたのでしょうか。
秋田 豊 はい。みんな目が点になっていましたね。「何やってんだあいつは?」って(笑)。試合の翌日にクラブハウスで筋力トレーニングをやっていたら、ジーコから「何をやっているんだ! 試合翌日は疲労を回復させる日なのに、そんなにトレーニングをして!」と怒られた記憶があります。でも、他の選手よりも筋量が多かったので試合をしても疲れにくかったですし、回復しやすかったので、翌日にフィジカルトレーニングをしても平気だったんですよね。

――そのフィジカルトレーニングが、後の日本代表での活躍にもつながったということですね。
秋田 豊 それがなかったら、今の自分はないと思います。もちろんやりすぎは良くないですが、しっかりとベースを作ったことで、37歳まで現役生活を送れたし、外国人選手とのフィジカルコンタクトも怖いと思わなかったです。僕がフィジカルコンタクトをして、「こいつは強烈だな」と思ったのは一人だけです。

――それは誰ですか?
秋田 豊 中田英寿です。ヒデが20歳、僕は27歳ぐらいで一番脂が乗っていた時期だったんですが、代表のトレーニングキャンプで、「跳ね飛ばしてやろう」と思って腰と腰でバーンとぶつかり合ったところ、僕のほうが打撲したんですよ。「こいつは凄いな」と思いました。後で聞いたら、彼もやはり試合前日でもウェートトレーニングをやっていて、その理由が世界で戦うことを目指していたから、ということでした。

――現役時代は様々な思い出があると思いますが、特に印象的だった出来事は何でしょうか。
秋田 豊 やっぱり日本で初めてのFIFAワールドカップ出場を決めることができた(98年フランス大会)こと、実際にW杯のピッチに立てたこと。これはずっとサッカーをやってきて、本当に良かったな、と思いましたね。あとは、ジュビロ磐田との対戦の中で、中山雅史さん(現アスルクラロ沼津)と何度もマッチアップできたことは、自分の中での財産だと思います。

――引退後は指導者としても活動されましたが、難しさを感じた部分はありますか?
秋田 豊 最初は「できないわけがない」と思っていました。自分は現役時代、ピッチに立ちながらチームの苦しい状況を改善することを目指して戦っていましたし、どうすれば相手の弱点を突き、自分たちの特徴を出せるかは、十分に理解しているつもりでした。しかし指導者は全く別もので、選手をうまくコントロールして動かすこと、選手たちの心をつかむことについては難しさを感じました。特に苦労したのは、選手たちのメンタリティーをどう変えるか。試合に勝てず、自信をなくしていった選手たちのメンタルを、どうポジティブに変えていくかという部分が、自分にとっての課題でした。

――今は解説者のイメージが強いですが、その他にどのような活動をされているのでしょうか。
秋田 豊 解説者以外には、『株式会社サンクト・ジャパン』の代表取締役を務めています。今年1月に立ち上げた会社なんですが、マレーシアで生まれた「サンクトバンド」というトレーニング用ゴムバンド、ゴムチューブの正規販売代理店をやっています。

インタビュー・文/池田敏明
写真/兼子愼一郎

世界と戦うために…秋田豊氏が語る現役時代のトレーニング/第2回 

 

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