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香川真司の成功を願うドイツサッカー界。「ありがとう。我々は素直に君の門出を祝福する」

2012.07.20

ワールドサッカーキング 2012.08.02(No.224)掲載]
香川真司がプレミアリーグに新天地を求めた。彼に“袖にされた”ドルトムントの関係者はどんな気持ちだろうか。失望しているのはもちろんだ。ただ、監督やチームメートは「もっと高いレベルへ」という香川の意思を受け入れ、快く送り出すとともに、その成功を願っている。

Text by Thomas ZEH, Translation by Alexander Hiroshi ABE, Photo by Getty Images

 ケヴィン・グロスクロイツの失望は誰よりも大きかった。涙こそ流さなかったものの、“兄弟”との別れは彼の心をひどく悲しませたようだ。

「あいつ、行っちゃうんだよな。僕たちの楽しい毎日もこれで終わりというわけか……」

 地元生まれのグロスクロイツは幼い頃からドルトムントの熱狂的なファンとして育ち、世界的に有名な南側ゴール裏(このブロックだけで、立ち見客2万7000人を収容する)で応援を続けながらユース、そしてプロへとキャリアを伸ばしてきた選手である。そんな骨の髄まで“BvB魂”が染み込んだ彼に、「あいつほど短期間でファンの心をつかんだ選手はいなかった」と言わしめた香川真司が、マンチェスター・ユナイテッドへと移籍した。

 ドルトムントで過ごした2シーズンで、ブンデスリーガ49試合に出場。得点数21の多くがセンセーショナルな形で生まれたものであった。グロスクロイツは「ファンは真司のゴールをこの先ずっと忘れないだろう。シャルケ戦、バイエルン戦でのゴールシーンは何度見てもうっとりするよ」と思い出にひたる。

 ドルトムント史上最強のチームの仲間がステップアップのために去っていく。これをグロスクロイツはどう受け止めているのかーー。怒りや失望、虚脱感といった感情が込められた回答を予想していたが、答えは意外にもあっさりしたものだった。

「移籍は俺たちの仕事の一部だ」とグロスクロイツは言う。「プレミアリーグでプレーできるチャンスがあれば、誰だってオファーは受けるよ。俺もイングランドのサッカーは大好きだしね。もしかしたら数年後、真司と一緒にプレーしているかもしれない」

 そう、サッカー選手はクラブやファンと密接につながっている場合でも、同時に自分のキャリアを高めるために常にドライな視点を持っているものなのだ。ドルトムントを離れ、マンチェスター・Uに加入するという香川の決断も、「キャリアを高めたい」との思いから来たものだろう。

■クロップの言葉「今後の幸運を祈る」

 ドルトムントのユルゲン・クロップ監督は、チームの主軸をなす若手選手全員を2016年までクラブに引き留めるため、クラブの将来に向けた展望を提示し、共有することで、互いの関係性を強める『プロジェクト2016』を立ち上げていたのだが、最も引き留めなければならない選手の一人を早くも失うことになった。当然、ブンデスリーガ連覇に貢献した香川の退団は、チームにとっては大きな痛手となる。だがクロップは、想定外の出来事があっても慌てることなく、すぐに軌道修正のための手を打てる監督である。香川の場合は、13年夏で契約満了を迎える予定だっただけに、移籍の可能性も考慮していたはずだ。

 香川が移籍を選択したことについて指揮官は、「彼の働きには大いに感謝している」と前置きした上で、その決断についてこう説明した。

「真司の子供時代の夢、そして日本のサッカー文化を理解しなければならない。日本ではブンデスリーガの地位が低い。とにかくプレミアリーグがすべてなのだ。香川の退団はもちろんショックだが、後ろを向いている暇などない。真司には新天地でも頑張ってもらいたい。我々は彼をリスペクトしている。今後の幸運を祈る」

 クロップが意外にサバサバしているのは職業柄だけでない。今回の香川退団に、移籍劇で恒例のゴタゴタがなかったことも関係している。当初、ドルトムントのフロントは300万ユーロ(約3億円)への昇給を含めた新契約を提示し、チーム残留を働き掛けた。ドルトムントとしてはチーム随一の高給取りとなる破格の条件を出したのだが、この程度の金額ではイングランドでは大した意味を持たない。

 香川の引き留め工作でドルトムント側がどこか熱心さに欠けるように映ったのは、次の要素が絡んでいる。

①マンチェスター・Uは1700万ユーロ(約17億円)という巨額の移籍金を提示しており、その本気ぶりを想像したドルトムント側が「勝負にならない」と諦めるのも無理はない。

②冬の移籍市場の時点でマルコ・ロイスの獲得を決めていたため、香川が抜けても後釜を探す苦労がなかった。

③香川がマンチェスター・U行きで腹を決めており、どっち付かずの対応で年俸を引き上げるような態度を全く取らなかった。

 GMを務めるミヒャエル・ツォルクも認めている。「真司は我々の提案を断った。条件交渉をしようとはせず、キャリアの向上のために移籍することだけを考えていた。その結論がイングランドだったというわけだ」
■プレミアリーグで香川を待つ課題

 香川のマンチェスター・U移籍はドイツでも大きく報道された。代表チームのスターFWルーカス・ポドルスキのアーセナル移籍ほどではないにしても、2年間しか在籍しなかった外国人選手の国外流出をこれだけ詳細に報道するのは珍しい。

 どのメディアもドルトムントでの成功から「香川はプレミアリーグでも成功する」という論調を展開している。しかし、私の意見は逆だ。そう考える理由をこれから説明しよう。

 まず、いくらブンデスリーガで頂点を極めたとはいえ、プレミアリーグはレベルが違うということだ。まずはその国のサッカー、そのチームのスタイルに順応し、その上で実力を発揮できるかどうかが問われる。ヌリ・シャヒンのケースを考えてみよう。香川の1シーズン目のチームメートであったシャヒンはリーグ優勝を手土産に憧れのレアル・マドリーへと移籍した。だが、1年を通じてほとんどベンチか観客席に座っている。レアル・マドリーで出場機会を確保するのが決して簡単ではないことは分かっていた。だが、ブンデスリーガでの活躍ぶりを見る限り、相応の出番はもらえるとドイツでは考えられていた。10ー11シーズンのブンデスリーガMVPであったシャヒンでさえ、こうなのだ。

 新天地で活躍するには実力だけでなく運も必要となる。これは理屈でも計算でもない。単に“ツキ”という言葉では説明できない、とにかく不思議な宿命、巡り合わせが吉と出るか凶と出るかでキャリアは大きく変わる。

 私が不安に思う点を列挙する。

①選手として、また人間として、ドルトムントのように素早く、そして温かく受け入れてもらえるだろうか? アレックス・ファーガソンは香川に大きな期待を寄せているようだが、それをうのみにしてレギュラーが確約されたと思うようではあまりにも甘い。ここで問題となるのはクロップの性格との対比である。気さくで接しやすいクロップと、権威に溢れるファーガソンはまるで違うタイプだ。香川は監督との接し方でこれまでにない苦労を味わうかもしれない。

②チームスピリットとプレーのシステムの差異。ドルトムントはブンデスリーガの中では極めて戦術的なチームだったが、香川はその中で多くの自由を与えられていた。マンチェスター・Uではそうはいかず、自己犠牲ばかりを強いられる可能性も否定できない。その場合にどれだけ自分の力を発揮できるかは未知数だ。またリーグごとのサッカースタイルの違いもある。プレミアリーグはこの10年で洗練されたとはいっても根底には「キック&ラッシュ」の文化があり、縦にスピードのある、とにかくハイペースな試合展開が好ま
れる。テクニックと緩急の効いたプレーで勝負するタイプの香川は、順応に手間取るかもしれない。

③マンチェスター・Uのファンの大多数が、昨シーズンの不振を挽回するには、もっと補強が必要だと考えている。ファーガソン監督も「攻撃陣の補強は終了」とは考えていないだろう。香川が本領を発揮するのは4ー2ー3│1システムの2列目だろう。だが、移籍市場はまだ開いている。香川以上の実力と実績を持つ攻撃的MFが入ってきたら、ファーガソンはその選手に開幕スタメンの座を与えるだろう。あるいはワールドクラスのFWが加入すれば、その選手がルーニーと2トップを組み、トップ下のポジション自体がなくなることにもなりかねない。
 このように、マンチェスター・Uのような完成したチームでは、大金を投じて獲得した選手を“オプションの戦力”として起用することもあるのだ。これは完全に“巡り合わせ”と言うべきもので、香川自身の実力や努力とは関係ないところで決まる。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 マンチェスター・Uへの移籍が決まったことで、香川は大きくステップアップした。ただ、あのチームで成功を手にするのは簡単ではない。フル出場を続けようが、5試合連続でゴールを奪おうが、最終的な結果が伴わなければ評価の対象にはならない。その結果とは単なる勝利ではなく、タイトル獲得である。それも、国内と欧州の両方で。真のビッグクラブともなると、ここにしか価値を認めないのだ。

 ただ、ブンデスリーガのファンの香川に対する心情は一つだ。「ありがとう。我々は素直に君の門出を祝福する」である。小柄な日本人はそれだけ愛されていたのだ。

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【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men’s JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING @SoccerKingJP』の編集長に就任。

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