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本田圭佑、ラツィオ移籍破談の真相。日本人ジョカトーレが“永遠の都”を訪れる日

2012.03.12

『カルチョ2002』 3月号

 破談に終わった本田圭佑のラツィオ移籍。ラツィオが本田の獲得に最後までこだわった理由、移籍交渉が合意に至らなかった訳、現地でその動向を追い続けたイタリア人記者がその真相を語る。

Text by Alvaro MORETTI Translation by Minato TAKAYAMA Photo by Getty

 2001年の春、ローマの一員としてスクデット獲得を体験した中田英寿の後継者と言える日本人ジョカトーレが、同じ“永遠の都”のライバル、ラツィオに移籍する──。このところのラツィオの好調ぶりも重なり、本田圭佑の動向はイタリアでも大きな関心を集めていた。

 当然、日本でもこの移籍の行方は大きな話題となっていたことだろう。南アフリカ・ワールドカップとアジアカップでの成功を契機に、ヨーロッパで活躍する日本人選手は急増している。だが、本当の意味でカンピオーネと呼べる選手はそれほど多くないはずだ。本田は“カンピオーネの風格”が感じられる数少ない選手の一人である。実際のところ、私が彼のプレーを見たのは10試合ほどにすぎないが、彼が他の選手とは違う何かを身にまとっていることは、確かに感じられた。

 しかし、ラツィオとCSKAモスクワの移籍交渉は二転三転する。我々ローマに拠点を置くメディアも、日本からやって来た記者たちも、錯綜する情報の中で“何が正しいのか”を判別する作業に追われていた。それでも、メルカート最終日の1月31日の早朝、ローマの新聞には楽観的な見出しが並んでいた。本田のラツィオ移籍は、「ほぼ決定事項」として報じられていたのである。

 イタリアのカルチョメルカートは1月31日の19時をもって終了する。“運命の一日”のはじまりだった。だが、それは違った。CSKAモスクワとラツィオとの交渉は既に決裂していたのだ。

明け方のインターネット会議で二転三転の獲得交渉に決着

 イグリ・ターレの名前を聞くと、多くの人は現役時代の彼、すなわち動きはややぎこちないが、高さと強さを備えた大型センターフォワードの姿を想像するだろう。だが、2008年夏に現役を引退した彼は、そのままラツィオのフロントに転身。クラウディオ・ロティート会長の片腕として、ラツィオのメルカート担当を務めている。

 そのイメージは現役時代とは大きく異なる。7カ国語(ドイツ語、イタリア語、ロシア語、英語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語)を自在に操るスポーツディレクターに、かつての武骨さは感じられない。

 そのターレが今回の移籍交渉における主役である。彼はモスクワに飛び、CSKA首脳陣に“誠意あるオファー”を提示した。もっとも、受け取った側の見解が割れていたため、彼はローマに戻り、その後はロシア国籍のFIFA代理人が何度もローマとモスクワ間を往復することになった。

 実際、ラツィオのオファーとはどういったものだったのか? ロティート会長とターレが本田獲得のために準備した移籍金は1100ユーロ(約11億円)と出来高の約400万ユーロ(約4億円)。これを3年間の分割で支払う、というのがラツィオ側の提示した内容である。

 冬のメルカートは夏に比べて規模が小さい。6月末が決算期となるサッカークラブは、シーズン終了時点の決算状況に合わせて夏に大きな予算を組むのが普通で、冬のメルカートでの大盤振る舞いなどほとんどなく、レンタル移籍などの無難な取り引きが大半を占める。これが、冬のメルカートが「応急処置の移籍市場」と呼ばれる理由だ。

 そんな中、ロティート会長が示した総額1500万ユーロ(約15億円)というオファーは、並外れたビッグディールだった。移籍期限終了後、ターレは「我々は今回のメルカートで最も高額のオファーを出したのに……」との言葉で落胆を表した。彼らにとって、CSKAがこの条件を受け入れないのは想定外のことだった。

 メルカート終了を24時間後に控えた30日の夜、ロティート会長は“CSKAのある重要な人物”から、「CSKAは移籍に納得するための材料を必要としているだけで、移籍金と出来高の比率を彼らに有利な形で変えてやれば、本田の譲渡を認める」とほのめかされていた。そしてロティート会長は、明け方の4時にモスクワとのインターネット会談に臨み、移籍金1300万ユーロ(約13億円)プラス出来高200万ユーロ(約2億円)という新たなオファーを提示したのだ。

 アッピア街道のヴィッラ・サン・セバスティアーノにある豪奢なオフィスにいながらにしての移籍交渉で、ロティートとターレは「これで交渉がまとまるはず」と踏んだのだが、CSKAサイドはそれでも首を縦に振らず、今度は分割払いの条件に注文を付けてきた。移籍と同時に800万ユーロ(約8億円)を、そして残りを今年12月末までに支払うよう求めたのである。

 ラツィオにとって、これは厳しすぎる条件だった。イタリアのクラブで今回のメルカートに500万ユーロ(約5億円)以上の出費をしたクラブはない。財政難は何もイタリアに限ったことではない。他の国でも、それなりに大きなオファーでは分割払いが主流になりつつあるのだ。

ラツィオがさらに譲歩してもCSKAは新たな要求を出しただろう

 CSKAの広報部長、セルゲイ・アクシオノフは1月30日に次のようなコメントを発表していた。「ターレ氏のモスクワ訪問で本田の移籍に関する状況が変わったわけではない。両クラブはまだ合意に達していない。本田を獲得するには1600万ユーロ(約16億円)が必要で、ラツィオがその金額を提示することはほぼ不可能だろう」

 アクシオノフは特に悲観的ということではなく、非常に現実的な見方を述べていた。左ひざ半月板の手術からリハビリ中の選手とはいえ、日本代表のスター選手を“安売り”することへの反対意見がクラブ幹部の間で多いことを、彼は知っていたのだろう。

 移籍が成立しなかった今、我々はこう考える。「ラツィオの提示額は低すぎたのではないだろうか?」。だが、数カ月も戦線離脱している選手に対して、分割払いとはいえ1300万ユーロ(約13億円)を提示したのだから、条件としては非常に良かったはずだ。

 現在のメルカート事情を考えれば、CSKAの要求はあまりにも法外だった。結局のところ、CSKAには本田で“商売”をする必要がなかったということだろう。そのために、CSKA首脳陣内部での意見の不一致はいつまでたっても解消しなかったのだ。

 31日の19時の移籍期限ぎりぎりまで交渉を続けて、両クラブが合意を見いだす可能性はなかったのか──。それもなかった。インターネット会談が決裂した時点で、ラツィオは最後の一日を別の選手の獲得に費やすことを決めたからだ。

 ターレは、移籍金の分割払いの回数が問題であるとの意見をこう否定している。「我々のオファーは、金額も支払い方法も適切だった。もし我々がさらに譲歩しても、CSKA側はまた新たな要求を出してきただろう」

 つまり、合意などあり得なかったというわけだ。31日の15時半(イタリア時間)に、CSKAは本田残留を発表したが、その時には既に、ラツィオ側は新たなターゲット獲得に懸命になっていた。ビジャレアルのブラジル人ストライカー、ニウマールの獲得に動くも失敗。結局、移籍期限終了の直前にチェゼーナにレンタル移籍されていたイタリア人MF、アントニオ・カンドレーヴァを獲得した。条件は無償レンタルである(実質的に戦力外だったシモーネ・デル・ネーロとの交換トレード)。

エルナネスとクローゼの成功がラツィオを本田に執着させた

 ラツィオは本田にこだわりすぎた。放出する気のないCSKAにいつまでも付き合うことで貴重な時間を無駄にして、十分な資金があったにもかかわらず、有効な補強ができなかったのである。ニウマール、ルカス・ポドルスキ(ケルン)、マルコ・パローロ(チェゼーナ)、そしてアンジェロ・パロンボ(サンプドリア→インテル)といった獲得候補の中には、エディ・レーヤ監督がフロントに要請した名前もあったはずだ。

 メルカート終了の翌日、スタディオ・オリンピコで首位のミランを2−0で破った試合後、レーヤ監督はフロントの不始末をなじった。「ロティート会長から大型補強を約束され、私はそうなるものだと期待していた。ところが、メルカートが終了してみれば前半戦より戦力が落ちている。中盤の選手層の薄さは深刻だよ」

 CSKAの態度を見誤ったのは、ラツィオ首脳陣の大きな過ちだった。だが、本田に固執したのは、彼にそれだけ大きな期待を寄せていたからだとも言える。

 ラツィオは本田をセリエAのスターにする計画で準備を進めていた。クラブが破綻危機に陥り、ロティートが新たなオーナーになってから、ラツィオはかつての金満体質に別れを告げ、プロヴィンチャのクラブの予算規模でのやりくりを続けてきた。そんな忍耐の年月を経て、ようやく選手補強にそれなりの予算を割けるようになったのは、ここ2年ほどのこと。そこでエルナネス、ミロスラフ・クローゼといった“ビッグネーム”を獲得したことが、チームの成績にダイレクトに反映した。そんな状況だったからこそ、“ケチ”で有名なロティート会長も今回の大型投資にゴーサインを出したのである。

 レーヤ監督も、中盤の指揮をエルナネスと本田に任せるような戦術を考えていた。最近はトンマーゾ・ロッキとクローゼを2トップで起用する4-4-2を採用しているが、ラツィオの本来のシステムは4-2-3-1である。ここでカギとなるのが、ボールを前線に運び、クローゼにラストパスを送る3人の攻撃的MFの出来。エルナネスを中心に、右にアルバロ・ゴンザレス、左にジブリル・シセを置く配置は、序盤戦は機能していた。

 だが、シーズンが進むにつれて、シセが脱落する。左サイドでカウンターの起点となり、縦へのスピードを生かした突破からチャンスメーカーとして機能していたにもかかわらず、得点が伸びなかったことでメディアに批判された。順調にゴールを量産するクローゼと比較されたことにも苦しんだようだ。結局、シセはクラブ側と話し合った上で、わずか半年での退団を選択する。

 この時点で、「3」の左サイドをこなす主力級の選手を補強する必要が生まれた。昨シーズンまでこのポジションを務めたステーファノ・マウリは長期離脱中で、まだ復帰の目処が立たない。レーヤの希望は、このポジションで使える上、エルナネス欠場時にその代役を務められる選手だった。そうして浮上したのが本田だったのである。

 フロントはシセが望むままに退団を許可した。そして、その代役となる選手の獲得は果たせなかった。普段は温厚なレーヤが怒りを爆発させたのは、こんな経緯があったからだ。今はベテランのロッキが好調だから結果が出ているが、レーヤからすれば4−4−2は攻守のバランスが悪い。クローゼ、エルナネスという2大エースの力を最大限に引き出すためにも、4-2-3-1で戦いたいのだ。だが、中盤に故障者が続出し、シセも抜けた。今後は苦しいやりくりを強いられるはずだ。

カンドレーヴァの獲得は「本田を待ちながら」の獲得

 ラツィオの目論みが外れたのと同時に、本田の目論みも外れたと言えるかもしれない。バルセロナでリハビリ中だった彼は、いつでもローマに飛べるように、数日間プライベートジェットをスタンバイさせていたそうだ。ラツィオ移籍が実現すれば、背番号10が与えられる予定だった。かつてロベルト・マンチーニやエルナン・クレスポが付けた栄光のナンバーである。本田は、ラツィオが考えている200万ユーロ(約2億円)の年俸と50万ユーロ(約5000万円)の出来高という条件を受け入れ、2016年までの4年半の契約にサインするつもりであることを明らかにしていた。ターレがモスクワを訪問した後、イタリアの新聞には「僕はラツィオを望んでいる」というケイスケの発言が載った。最後まで、移籍交渉がなんとか成立するように努力し続けたのも彼である。

 本田のラツィオ移籍が正式に発表されるのを待っていた在イタリア日本人報道関係者が大いに落胆したのは言うまでもない。1月27日から29日にかけての週末、ラツィオがいつも新加入選手のメディカルチェックを行うことになっている『パイデイア』病院の外では数多くの日本人記者が待機していた。31日、ローマから約30キロ北に離れたラツィオのトレーニングセンター、フォルメッロで行われたレーヤ監督の記者会見にも大勢の日本人が押し寄せたが、その日の明け方に移籍交渉が破談となっていたというニュースは、その時点ではまだ出回っていなかったのだ。

 ターレは、非常に落胆した表情でCSKAのやり方に遺憾の意を述べた後、今後の動きについて注目すべき発言をしている。「シーズン終了後に、改めて本田を獲得するチャンスがあると思っている。本人がラツィオに来たがっているんだから、可能性はある」

 ラツィオが本田の獲得にまだ執着していることは、カンドレーヴァの獲得からもうかがえる。以前ウディネーゼやユヴェントスでプレーし、イタリア代表歴もあるカンドレーヴァだが、今回はレンタルでの獲得。4-2-3-1の「3」における左サイドか中央でプレーする選手だが、これはまさに本田のポジションだ。そのカンドレーヴァを半年間のレンタルで獲得したことは、「本田を待ちながら」というロティートとターレの意向が反映された結果だろう。

 ロティートには戦力面以外にも本田に期待することがある。彼はラツィオを、イタリア国内だけでなく、国外でも人気のあるクラブにしたいと願っているのだ。クローゼの獲得と、彼の活躍は、ドイツにおけるラツィオの知名度を飛躍的に高めた。ドイツではもう何年もセリエAの放送がなかったのだが、今シーズンになって、クローゼが在籍するラツィオの試合だけが中継されている。ロティートはこの流れを継続し、拡大したいと思っているのだ。

 ロティートは本田が“ラツィオの中田”になり、来シーズンのラツィオをスクデット争いを演じられるレベルにまで高めてほしいと願っている。同時に、ローマを訪れる数百万の日本人観光客が、オリンピコを観光名所のリストに加えることを目論んでいる。商業主義と言うなかれ。単にスポンサー欲しさで日本人選手を獲得するならともかく、クラブのネームバリューを高め、スタジアムに多くの観衆を集めようというのは、サッカークラブの経営者とすれば至極真っ当な目標である。今回、本田獲得の夢は1カ月で終わってしまった。だが、そのプロジェクトはすぐにまた動き出すだろう。

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