2013.10.08

<インタビュー>ビーチサッカー大国からやってきた侍、茂怜羅オズ「死ぬまで日本でプレーしたい」


インタビュー・文●小谷紘友 写真●小早川 渉、瀬藤尚美

 ビーチサッカー日本代表のラモス瑠偉監督は、茂怜羅オズを「侍そのもの」と称した。

 昨年12月にブラジルから帰化したオズは、9月にタヒチで行われたビーチサッカーワールドカップで、4試合に出場し4ゴールを挙げた。日本のベスト8進出に大きく貢献した活躍は、大会MVPのゴールドボールに次ぐ個人賞であるシルバーボールを受賞したことを思えば、改めての説明は不要だろう。

 ただ、ラモス監督が「侍」という言葉を贈ったことは、何もプレー面だけが理由ではないようである。オズの言葉に耳を傾けると、彼の自己犠牲や献身性、戦いに臨む上での覚悟といった、それこそ

「武士道」に通じるような思いが、次々と浮かび上がってくる。

――帰国して1週間程経ちましたが、今振り返ってみるとワールドカップはどういう大会でしたか。

オズ 本当に最高な大会でしたね。まだちょっと悔しいですけど、本当に楽しかったです。昨年12月に帰化してすぐ、1月に出場したアジア最終予選も結構厳しくて、難しい試合もいっぱいありましたけど、やっぱりワールドカップが一番大事な大会。全然違いましたね。

――ブラジルB代表の経験があり、今回は日本代表としてプレーしましたが、国を代表するというのはどういう感覚でしたか。

オズ 本当に日の丸をつけられて嬉しかったですね。ブラジル代表と試合をした時も、相手の選手たちは子どもの時から一緒にやっていて、メンバーはみんな知っていましたが、日本が自分の生まれた国と思ってプレーしました。日の丸をつけてブラジルと試合をできたことが本当に良かったし、嬉しかったです。

――国を代表することに加えて、キャプテンで背番号10ということもあり、プレッシャーも大きかったと思います。

オズ 重圧というよりも、良いプレッシャーでしたね。ブラジルのときは背番号7でしたが、ビーチサッカーをはじめてからは、U-15世代やリオデジャネイロ選抜では常にキャプテンだったこともあり、プレッシャーは全然なかったです。もちろん、代表はもっと重要ですが、本当に楽しく、プレッシャーというよりも喜びでしたね。キャプテンで背番号10を着けさせてもらえたことは、本当にありがたく、感謝しています。日本を本当に大事に思っているので、嬉しかったですね。

――けがを抱えてプレーしてしたという話も聞きましたが、実際にはどれほどの負傷だったのでしょうか。

オズ 大会直前にあったスイス戦の1試合目で、足を蹴られてしまって。試合後に足を見てみたら、パンパンに腫れていましたね。でも、ドクターと話したら、『ワールドカップには行ける』ということで、その後1週間はしっかりとリハビリをしました。でも、タヒチに着いてからも痛みも結構あって練習ができませんでした。腫れは大分引いていたけれど、ボールは蹴れず、走れなかった。初戦のロシア戦の前日だけ少し走りましたが、試合の前に痛み止めの注射を打って、ようやく痛みがなくなったぐらいで。でも、注射を打つと感覚がなくなり、ボールを蹴れているかわからなかったですね。だから、1試合目は怖さがあって、負傷していない左足でボールを蹴っていました。2試合目からは慣れたことで、普通に蹴れました。

――ご自身のブログには「軽いけが」と書かれていたが、実際には重傷だったんですね。

オズ 試合中に足を蹴られたときは痛くはなかったが、ドクターに休んでいたほうがいいと言われ、ベンチに座って足を見たらもうパンパンで。すごい腫れていました。先生からは結構酷いと言われましたけど、僕は全然大丈夫でした。去年の7月にひざのじん帯を切ったときは大きなけがだと思いましたが、それ以外で今まで色々けがはしましたが、試合に出れないということはなかった。だから、自分にとっては軽いけがでしたよ。レントゲンを撮ってみても骨折ではないということで。なら、大丈夫です。行きますと。初めてのワールドカップには行かないとね。5、6年間ずっと頑張ってきて、自分の夢は本当に日本人になってワールドカップに出ることだった。そんな小さなけがで、出られないことはちょっと困りますからね。

――ただ、負傷を抱えながらも4試合で4ゴールを奪いましたが、印象に残っている得点とかはありますか。

オズ 大事なゴールはコートジボワール戦の2点目ですね。延長戦で、3-3となった同点ゴール。あれは一番大事でした。でも、一番気持ちよかったのはブラジル戦ですね。僕はPKともう1点取ったはずなんですが、2点目はオウンゴールという判定になってしまって。でも、2点目は一番気持ち良かったですね。

――母国のブラジル相手に点を取るということは、どういう思いだったんでしょうか。

オズ ブラジルは一番強い。ビーチサッカーだけでなく、サッカーやフットサルでも。だから、一番大事だった。そこで大活躍すれば世界中の人が見てくれる。やっぱり、ブラジル戦での得点は気持よかったですけど、勝ちたかったし、もっと点を取りたかった。

――前回大会はコーチとして参加しましたが3連敗でした。一方、今回はベスト8に進出しましたが、2大会でチームに何か違いはありましたか。

オズ 前回のチームも強かったが、グループリーグはウクライナ、メキシコ、ブラジルと一緒で、相手も強かった。その中で、正直言えば勝てると思っていましたけど、全敗だった。前回はコーチで外から見て、今大会はみんなとプレーしていますが、今回は僕がフィクソとして後ろで守って、他の3人が前で自分のプレーができるようになった。守りに戻らないといけないというよりも、より攻撃に行ける。僕が後ろでみんなのために守ることで、みんなが自分のプレーができる。それが一番変わったことだと思う。

――実際にワールドカップでプレーしてみて、優勝したロシアやブラジルとも接戦を演じましたが、世界との距離は遠かったか、それとも近いと感じたのでしょうか。

オズ 同じレベルだと思いましたね。

――全く変わらない?

オズ 全く変わらないです。でも、例えばロシアは日本戦で4ゴールを決めましたけど、こっちのミスも多かった。ロシア戦はミスで失点してしまった。そこの修正は、まだまだ日本が足りないところ。相手は強いということと、集中している。ビーチサッカーでミスが多いことは許されない。ただ、ロシアは体力があったが、上手いとは言わない。日本がミスをするまでは、いい試合でした。世界でも日本は強いと思うし、ロシアやブラジルにも負けないくらいで、同じレベルだったと思う。それはブラジル戦を見てくれれば、わかると思う。でも、やっぱり勝たないとわかってはくれない。だから、いつも他の選手たちとは『日本はいつもいい試合をしているけど、勝っていない』と話している。だから、悪い試合をしても、勝ったら日本の強さをわかってくれる。だからこそ、結果が一番大事だと思います。


――ミスの数や集中力に差があるということですが、そこの差はどのようにすれば埋まっていくものなのでしょうか。

オズ 海外で強いチームと試合をやったほうがいいと思います。負けても試合をしたほうがいいと。僕は来日する前はドイツに住んでいて、ロシア代表とも試合をやって、当時も何人かは今と同じメンバーがいましたが、そのときは僕のチームが7-2で勝ってロシアは強くはなかった。だけど、ロシアはそれから色んな国に行ってスペインやポルトガル、ブラジルと何度も試合をしたことで、負けもしたが強くなってきた。そういうことも日本代表もやっていったほうがいいと思います。ヨーロッパに行って、ポルトガルやイタリア、ロシアと試合をしていけば、絶対に強くなると思いますね。それと、日本人選手がロシアやブラジルといった海外のリーグでプレーすることですね。

――海外遠征の話が出ましたが、今回のワールドカップ前にもポルトガル遠征を行い、ポルトガルやスペイン、イタリアと対戦しました。今大会で2位だったスペインにも勝っていますが、そういう経験が今回の好成績に繋がった面もあるのでしょうか。

オズ そうですね。ああいう形でやったほうがいいと思います。遠征で、1試合目はポルトガルに1-6で負けましたが、次のスペイン戦は4-2で勝ちました。最後のイタリア戦は良い試合で、2-3で負けてしまいましたが、あれを続けたら、日本もどんどん強くなると思います。今回はポルトガルに行ってワールドカップを戦ったが、半年も試合をしなければ、力は落ちてしまう。例えば遠いところでなくても、3カ月に1回でも試合ができればいいでしょうね。

――日本への愛情の深さを感じますが、日本に最初に来られたのは何年前で、きっかけは何だったんでしょうか。

オズ 6年前の2007年の4月に来ましたね。元々ブラジル代表の選手が、僕が今所属しているレキオスにいて、僕にオファーが来たことが始まりでした。それまでは日本人になりたいと考えたことはなかったですが、日本の文化などが大好きになって色々勉強もしました。日本代表の選手たちと一緒に練習し、みんなと『ワールドカップに行きたい』という話をしていくうちに、僕も日本人になりたいという気持ちを持ち始めました。そこから、ラモスさんなど、色んな人に相談しましたね。

――帰化申請が通るまでに、ブラジル代表などの強豪国や強豪チームの誘いがあったと聞きますが、それでも日本に残った最大の理由はなんだったんでしょうか。

オズ 心からの思いで、日本が大好きで自分の中では死ぬまでは日本で住みたいと。ブラジルに帰りたいという気持ちもなく、ブラジル代表などになりたいという考えもなかった。日本が大好きで、日本のためにプレーしたいと思ってブラジル代表などの誘いは断りましたね。たまにロシアとかイタリアのリーグでプレーしたりもしましたけど、日本のビーチサッカーのために日本でプレーして、日本でビーチサッカーがメジャーになって欲しかったし、日本から離れたくなかったですね。

――ラモス監督もブラジルから日本に帰化していますが、どのような印象をお持ちでしたか。

オズ ラモスさんが4年前にビーチサッカーの監督に復帰して、ラモスさんの親友が僕の友達だったこともあり、『日本代表に入りたいからラモスさんを紹介してもらえないか』と聞いたら、すぐに紹介してもらえて、『合宿に来い』と言われて。それで、4年前に東京で合宿した時に呼ばれて僕の気持ちを伝えたら、毎回合宿に呼ばれるようになりました。そして、国籍がもらえるまで『コーチをしてくれ』ということで、前回のワールドカップにコーチとして行きました。

――長い付き合いだと思いますが、ラモス監督の知られていない一面もあったりしますか。

オズ 本当に優しいですね。友達とかにも、『ラモスさんはいつも怒っている』とよく言われていて、僕も最近のニュースを見たら、ラモスさんがすごい怒った顔をしていた(笑)。試合中あまり見ることはないけれど、怒っている顔は慣れていますからね。でも、本当に優しいんですよ。外からは怒っているように見えるけれど、話をすると本当に優しい。選手たちのために色々考えているし、たぶん自分の事よりも、みんなのことを考えてくれています。本当に感謝していますね。

――本当は優しいラモス監督も、グループリーグ第3戦のコートジボワール戦後に激怒していたという話も耳にしましたが(笑)。

オズ (思い出し笑いをしながら)あの日は選手たちと話していなかったですね。試合前に、コートジボワールに勝ったら準々決勝に行けるということがあったんですが、試合が始まると相手も勝ちに来て、チャンスはいっぱいありましたが外してしまい、相手も強いから失点してしまった。難しい試合にしてしまったことで、怒られましたね。試合が終わってラモスさんに挨拶しに行きたかったんですけど、どこにいるか分からず、ホテルに帰ってからも誰とも話していなかったですね。一緒に食事をしても話すこともなく、すごい怒っている感じでしたね。

――では、次のブラジル戦には、どういう形で臨んだのでしょうか。

オズ ラモスさんは次の日、普通に朝ご飯を食べて、みんなに冗談を言ったりしていましたよ。ラモスさんは試合の日だけ怒るということをよくやるんですが、次の日のミーティングでは、コートジボワール戦は難しい試合にしてしまったということや、自分たちのミスの話もしました。だけど、次のブラジルに勝ったら準決勝に行けると。目標はベスト4だったこともあり、もう1試合と言われましたね。コートジボワールには勝ったけれど、ラモスさんはまだ嬉しくない、まだまだ行けるということを見せたかったんだと思います。

――日本におけるビーチサッカーの普及についてもお伺いしたいのですが、ブラジルを訪れた際にはビーチで誰もがビーチサッカーをやっていました。

オズ それは大事ですね。日本はやる場所が少ないですね。例えば、湘南のビーチはあるけれど、あそこはゴールを片付けないといけない。リオデジャネイロのコパカバーナビーチには、端から端までゴールがありますし、他にもビーチバレーのネットなどが全てタダで使えます。そこは日本の足りない部分ですね。沖縄にもビーチはあるけれど、やる場所やゴールはない。ブラジルでは学校が終わったり、仕事の合間やご飯までの間にもビーチに行くし、11人制のサッカーもビーチでやっています。多くのビーチでのスポーツの1つとしてビーチサッカーがあればいいし、プロ選手ではなくても遊びでやる場所が増えて欲しいですね。

――今回のワールドカップで、初めてビーチサッカーを見たという人もいたと思いますが、そういう視聴者はどういうプレーに注目すれば楽しめるのでしょうか。

オズ オーバーヘッドはもうちょっと見せたかったですね。今回はチャンスが無くてできなかったですが、本当はやりたかったですね。あとは、スコップシュートという、ボールの下に足を入れて、ボールを上げてシュートするというのはサッカーやフットサルにはないので、みんなも今まで見たことなかったから、あれはどうやってやるのかと聞かれましたね。でも、やはりオーバーヘッドは見せたかったです。

――シュートを砂の山にわざと当てたりもしますよね。

オズ そうですね。GKの前で一回バウンドさせると、ボールはどこに行くかわからなくなるので。力は必要なく、GKの前でバウンドさせることを狙っています。それはFKが一番効果的だと思います。

――最後の質問になりますが、シルバーボールを取った際、『正直言えば優勝したかったし、ゴールドボールを取りたかった』と語っていましたが、今後の目標はあったりしますか。

オズ 次回のワールドカップでは、やっぱりメダルを取りたいですね。今回のブラジル戦では負けましたが、色んなニュースが流れていました。ただ、ブラジルに勝っていればもっと報道されて、ビーチサッカーは変わっていたかもしれない。例えばなでしこジャパンが優勝したみたいに、やっぱりメダルを取らないといけませんね。だからこそ、次のワールドカップに向けてはしっかり練習をして、日本代表も新しいメンバーを迎えて、ベスト4ではなくて優勝までいきたいです。それと、シルバーボールではなくて、次はゴールドボールと得点王を持って帰りたいですね。難しいけれど、自分のことには自信を持っているし、正直に言うと今回のワールドカップはベスト4が目的でしたが、ゴールドボールを取りたかった。でも、ベスト8でシルバーボールをもらえたことはすごいと思いましたよ。今までは決勝まで行かないチームの選手ではもらえなかったですから。ベスト8で初めてもらえたことは嬉しかったですね。


 ラモス監督が「世界一のフィクソ」と絶賛し、世界選抜でもプレーした経験のあるオズの元には、今年も多くの強豪チームからオファーが多く届いた。しかし、彼はワールドカップを控え、日本でのプレーを選択した。それどころか、自身に届いた誘いに対し、他の日本人選手を紹介する働きかけまで行っていたという。

 5年間の日本在住という帰化条件をクリアしただけに、日本への愛情の深さは言うまでもない。世界一のビーチサッカー大国からやってきた侍は、これからも日本の水先案内人として、期待を遥かに越えるような働きを見せてくれるだろう。

 一方で、願いもある。

 帰化直後の1月に行われたアジア最終予選では、日本を準優勝に導き、ワールドカップの出場権獲得に大きく貢献した。ただ、ラモス監督が「オズがいなければワールドカップに出場できなかった」と語り、実際に大会MVPに選ばれる大車輪の活躍には、昨年夏に負ったひざのじん帯断裂が完全に治っておらず、ドクターに止められながらも強行出場していたという裏側があった。

 シルバーボールに輝く華々しい活躍を見せた今回のワールドカップでも、実際は満身創痍の状態だった。大会直前のスイス戦で負った負傷も、本人は「軽いけが」と煙に巻いたが、骨挫傷を負った右足甲は靴も履けないほど大きく腫れ上がっていたという。

 今大会における日本の躍進は、オズの献身なしでは語ることは決してできないだろう。だから、次回こそは万全の状態で大会に臨み、思う存分プレーして欲しいと願ってしまう。

 ビーチのカレンダーは、サッカーよりもめくられスピードが少しばかり早い。次回のワールドカップは2年後、ポルトガルの地で行われる。