サッカーゲームキングジャック6月号
2013.10.03

日本人初、9歳の中井卓大がレアル下部組織と契約合意…夢をつかむまでの軌跡を辿る

 もはやレアル・マドリードでさえも、日本サッカーにとって遠い存在ではないのかもしれない。

 9月28日、滋賀県の小学校に通う中井卓大(9歳、小学4年生)が、日本サッカーの新たな扉を開いた。レアル・マドリードの練習場で行なわれたカンテラ(下部組織)の最終テストに参加すると、得意のドリブルとテクニックを思う存分に発揮し、見事合格を勝ち取ったのだ。

 レアルのカンテラの責任者、ロベルト・マルティネスから手渡された証書にはこう書かれていた。

「今回、レアル・マドリード・カンテラの練習に参加してくれてありがとう。素晴らしい才能を披露してくれたことに心から感謝致します。そして、レアル・マドリードのカンテラにようこそ。入団おめでとう!」

 日本人選手がレアルのカンテラに入団するのは初めてのことである。

 中井が最初にチャンスを得たのは、2012年夏に日本で初開催された『レアル・マドリード・ファンデーションキャンプ』だった。子供たちを対象にした、短期間のサッカースクールだ。

 ただし、このレアルのキャンプは、通常のサッカースクールと異なる点があった。

 一般的にヨーロッパのクラブが日本でサッカーキャンプ事業を行なうときは、クラブのOB、もしくは提携するアマチュアクラブで教えている人間がアルバイトとして来日することが多い。チームエンブレムが入ったジャージを着ていれば、その人物が正規雇用の指導者かは、日本人の目には判別できないからだ。クラブの下部組織で実際に教えている“真の指導者”が来日するケースは稀だ。

 だが、『レアル・マドリード・ファンデーションキャンプ』の日本誘致を交渉した坂本圭介(のちにスペイン2部のサバデルのオーナー兼会長に就任)は、そういうごまかしを認めなかった。レアル側に真の指導者の派遣を粘り強く要求。その結果、レアルのカンテラの現役の監督とコーチが来日し、中井ら子供たちの指導にあたることになった。

 この本物へのこだわりが、思わぬ効果を発揮する。

 カンテラの監督とコーチが、レアルの分析フォーマットに基づいて、キャンプの優秀選手に対して“評価カルテ”を作製。日本のキャンプに参加した子供たちの一部が、レアルのスカウト網の土俵に上がったのだ。

 坂本はこう説明する。

「スカウトは多数の子供を同時に見るので、なかなか目に留めてもらえません。けれど、選手の長所や短所をあらかじめ知ってもらえていると、それを指標にして見てもらえる。レアルに正式な評価カルテを作ってもらえたことに、大きな意味がありました」

 それから約1年が経ち、次のチャンスが訪れる2013年4月、中井は他の子供たちとともにレアルの練習場で開催された『チャレンジキャンプ in スペイン』に参加。そのとき中井ら子供たちの評価カルテが、レアルのカンテラの指導者とスカウトたちに配布された。もし事前に情報がなければ、中井は「背が低い選手」としてしか認識されなかったかもしれない。

 さらに坂本は、別ルートからの援護射撃も忘れなかった。

 坂本は自らがオーナー兼会長を務めるサバデルの関係者を通じて、他のクラブのスカウトたちにこう伝えた。

「中井というおもしろい選手がいますよ。レアルも興味を示していますが、彼らが獲得しなかったら、ぜひあなたのクラブにどうですか?」

 スカウトの世界は狭く、当然、この情報はレアルのスカウトの耳にも入る。事前の根回しの結果、『チャレンジキャンプ』では自然とレアルのスカウトたちの目が中井に集まった。

 そのチャンスを、中井は逃さなかった。異国のピッチでも普段通りの力を発揮。ついに最終テストに招かれることが決定した。

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 9月末、中井が再びレアルの練習場を訪れると、まずはメディカルチェックが行なわれた。育てるに値する逸材かどうか、あらゆる角度からチェックされるのだ。

 練習で用意されていた背番号は9。中井は1トップ、もしくはトップ下のポジションに入り、カンテラの選手たちとともに汗を流した。そして冒頭で触れたように、見事、最終テストをクリアしたのだった。

 もちろん、本当の勝負はここからだ。

 レアルのカンテラでは1年に1度選考があり、その厳しい競争を勝ち抜かなければならない。まだ9歳の少年にとって、トップ昇格までは長い長い道のりが待っている。

 まず中井が所属するのはレアルのアレビンB。10月12日に始まるリーグ戦で、その第一歩を踏み出す。

 すでにバルセロナのカンテラで、久保建英(12歳)が活躍している。スペインの2大メガクラブの両方の下部組織に、日本人選手が所属する時代になったということだ。

 近い将来、世界中が注目するレアル対バルサのクラシコで、日本人対決が実現することも決して夢ではなくなった。

文●木崎伸也