2013.04.18

「止める、蹴る、走る、その反復」実兄・彰弘氏が語る遠藤保仁のベースとは

サムライサッカーキング5月号 掲載]

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インタビュー・文=細江克弥 写真=Getty Images

淡々としているように見えるのは完全に血筋

 僕たち兄弟が生まれた鹿児島県の桜島は、当時から非常にサッカーが盛んなところでした。

 サッカーに対しては町ぐるみのサポートがあり、特に運動能力が高い子供は誰もが自然にサッカーを始めていました。子供の数は決して多くありませんが、当時としては珍しく、野球よりもサッカー人気のほうが圧倒的に高い。そういう環境で生まれ育ったことで、僕たち兄弟もサッカーに熱中しました。
 
 2歳上の兄・拓哉と、4歳下の弟・ヤット。僕たち3兄弟はいつも自宅の庭で、学校に行く前の時間を使って毎日のように2対2のミニゲームをやっていました。対戦相手は近所に住んでいた仲の良い兄弟。上の子が兄と同学年、下の子が僕の一つ年下でした。「2対2」と言ったのは、主にこのミニゲームに参戦していたのが僕と兄で、年の離れたヤットはいわゆる《味噌っカス》として端っこで見ていたり、ちょっとだけ参加したり……そういう感じだったので、少し悔しい思いをしていたのかもしれません。ただ、僕が兄に「負けたくない」と思っていたように、ヤットも僕や兄に対して同じ思いを抱いていたと思います。今思うと、少し年齢が離れていたことが逆に彼の反骨心を煽ることになったのかもしれません。
 
 ヤットとは4つも学年が離れていたので、自宅の庭以外で一緒にサッカーをやった記憶が実はあまりありません。ただ、男兄弟ですからケンカはたくさんしました。例えば、遠藤家には自転車が1台しかなかったので、よく奪い合いがありましたね。でも、ヤットは小さかったので相手にならない。つまり、いつも僕や兄に先を越されて、アイツはほとんど自転車に乗れなかったんです(笑)。
 
 両親がケンカの仲裁に入るようなことはありませんでした。2人とも「自分たちで解決しろ」というタイプで、表立って怒鳴り散らすようなことも、子供のケンカに口を挟むようなこともない。とはいえ、内に秘めた意志の強さを持っている人たちなので、僕ら兄弟も確実にその血を受け継いでいると思います。感情をあまり表に出すことなく淡々とプレーしているように見えるのは完全に《血筋》ですね。
 
《ヤットのルーツ》についてはよく聞かれるのですが、特別な何かに大きく影響されたとは思いません。
 
 あえて一つ挙げれば、僕ら兄弟は指導者に恵まれたと思います。中でも桜島で僕らにサッカーを教えてくれた藤崎信也先生は、ヤットのプレースタイルを確立する上で非常に大きな存在でした。
 
 藤崎先生の練習は、とにかく基礎の繰り返しでした。止める、蹴る、走る。その反復。この時期にサッカー選手としてのヤットの《ベース》ができ上がったことは間違いないと思います。
 
 思えば当時は、日本全体で指導者のレベルがグッと上がった時期だったと思います。藤崎先生は実は《先生》ではなく、自分の時間を削ってまで子供たちにサッカーを教えてくれていたボランティアのコーチでした。桜島のサッカー少年たちは皆、藤崎先生に育てられたようなものです。僕自身も含めて、先生にはすごく感謝しています。
 

ヤットはピッチで最も良い選択肢を選ぶことができる

 また、中学生の時にJリーグの開幕を迎えたヤットは、プロの世界を意識しやすい時代に育ったとも言えるかもしれません。そういった環境の中でブレることなく目標に向かって成長し続けてきたことがヤットの性格的な強さだと思います。藤崎先生からはいつも「勝つこと」の大切さを教わっていたので、親譲りの部分もあるにせよ、負けず嫌いな性格は幼少期からのサッカー環境によって養われたのかもしれません。思えば、そういった性格は鹿児島県の《土地柄》でもある気がしますね。
 
 それから、兄も僕もヤットも、鹿児島実業高校では松澤隆司先生(現総監督)に非常に厳しく指導していただきました。そうした厳しさの中で「いかに効率良くやるか」を学べたことは大きかったと思います。松澤先生は子供たちの自主性も尊重してくださるので、自分たちで考える力、アイデアを生む力は必然的に養われました。僕やヤットだけでなく、先輩のゾノさん(前園真聖)や僕と同学年の城(彰ニ)も含めて、鹿実で育った選手たちは皆、ピッチの中で《考える力》を持っていると思います。
 
 学生時代はほとんどなかったのですが、僕がプロになった頃から少しずつ、ヤットのプレーを意識的に見るようになりました。藤崎先生からは「ヤットはこういうプレーをする」、「一つ下のポジションが合っているかもしれない」ということを聞いていたのですが、当時はまだ、僕も自分のことで精いっぱい。だから、ヤットがどういう選手なのかについては、彼が高校生の頃に知ったというのが本当のところです。ヤットがプロの世界に入ってきてからの関係は、兄弟ではなく《ライバル》。一人のサッカー選手として向き合ってきたので、弟とはいえ「負けたくない」という強い気持ちを持っていました。
 
 ヤットのプレーを客観的に見られるようになったのも、僕が現役を引退してからのことです。そうした視点で彼のプレーを見ると、改めてその能力の高さに気付かされますね。ヤットは常に、ピッチで最も良い選択肢を選ぶことができる。その背景にはやはり少年時代に培った《ベース》があると思うので、藤崎先生に教わったことの大きさを実感しています。サッカー選手としてのヤットを形成しているのは、自分の思ったところに止める、蹴るという基本技術だと改めて思います。
 
 兄弟としての関係は大人になってからもそれほど変わらず、特別なことがなければ連絡を取り合うようなことはありません。僕は今、育成年代の指導者としてサッカーと関わっているので、相変わらずヤットのプレーも客観的な目で見るようにしています。ただ、教えている子供たちからは「サインをもらってきて」とか「PKの蹴り方を教えて」と言われることもあるので(笑)、ヤットが与える影響の大きさも日々実感していますね。ただ、PKについては、いつも「あれはヤットにしか蹴れない」と言って実演を断っています(笑)。
 
 兄として、ヤットに対しては何も心配していません。恐らく、舞台がJ2になったことで自分のレベルが下がったと言われることを最も嫌がると思いますが、そうした空気でさえも糧にして一層トレーニングに励んでいると思います。そういう性格にこそ、ヤットの強さや成長の理由があると僕は思います。

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4/19 サムライサッカーキング発売記念イベント!
「遠藤保仁」を語り尽くす。
19:00〜20:00 ニコ生配信予定!要チェック!
http://live.nicovideo.jp/watch/lv134442178
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遠藤彰弘(えんどう あきひろ)
1975年9月18日、鹿児島県生まれ。鹿児島実業高校卒業後の95年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)へ加入。正確な技術と的確な戦術眼を兼ね備え、中盤の複数ポジションでプレーし、数々のタイトル獲得に貢献した。96年にはアトランタ・オリンピックに出場。05年夏にヴィッセル神戸へ移籍し、07年に現役引退。現在は主に指導者として活躍する。
akihiro
写真=中島古英