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「特別な想いがある」…特別指定選手として“古巣”への復帰を果たした高野遼「マリノスに恩返しをしたい」

2016.06.20

湘南ベルマーレでのデビュー戦から約1年、横浜F・マリノスの特別指定選手として4月6日に行われたJリーグヤマザキナビスコカップでトリコロールのユニフォームを身にまとった高野遼は、積極果敢な攻撃参加、そして左足から繰り出される正確なキックで観客を魅了した。「J1のピッチに立ちたい」と語る左サイドバックは、日本体育大学と横浜FM、“二足のわらじ”を履きながら、残りのシーズンに全力を注ぐ。

インタビュー=酒井伸 写真=金子拓弥(サッカーキング・アカデミー)、内藤悠史

何で自分が上がれるか、上がれないかのボーダーライン上にいるのだろう

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――小学4年から横浜FMプライマリーに入りましたが、それまでは?
高野 地元の柳橋SCというチームで小学3年までプレーしていました。

――プライマリーにはどういった経緯で?
高野 小学3年の時、二俣川にマリノスのスクールができることを友達から聞いて、「行ってみるか」と思い、通い始めました。小学3年はスクールに入って、4年になる前にプライマリーのセレクションを受けました。

――セレクションはいかがでしたか?
高野 あまり憶えていませんが、腕を骨折していたので、ギブスをはめながら試験を受けました。各スクールから人が集まってくるので、200人以上は受けていたと思います。

――当時から横浜FMを応援していましたか?
高野 いや、そこまでは(笑)。プライマリーに入ってから好きになりました。

――ずっと左サイドバックをやっているのですか?
高野 小学3年までは左サイドハーフで、小学4年から左サイドバックをやっていました。

――プライマリーでは小学6年の時に第30回全日本少年サッカー大会で優勝しています。
高野 (東京)ヴェルディが一番のライバルでしたが、予選リーグでFC浦和というチームに負けて、悔しくて涙しました。そこからは切り替えて、準決勝でヴェルディに勝ち、決勝ではFC浦和にリベンジできました。

――当時のメンバーは?
高野 喜田(拓也/横浜FM)がチームメートでした。ヴェルディには、前田直輝(現横浜FM)もいました。

――ジュニアユースに上がる時は、セレクションがあったのですか?
高野 プライマリーの中で試験をしましたが、自分は問題なく上がることができました。

――ジュニアユースでの実績は?
高野 個人としては中学1年の時、U-13日本選抜チームに選ばれて中国遠征に参加しました。チームとしては全国3位になったのが最高成績です。

――そこからユースに上がりましたが、自分の中でユースに上がれる手応えはありましたか?
高野 正直、中学3年の最後は冨澤右京(現東京学芸大学)とポジションを争っていたので、自信はなかったです。上がれると聞いた時にはホッとしました。

――高校1年でU-16日本代表として2010サニックス杯国際ユースサッカー大会に参加しています。
高野 何で選ばれたのか不思議でした。行っても自分のプレーを発揮できず、手応えはなかったです。代表の環境に慣れている選手が多く、自分のように初選出の選手もいましたが、出来の良い人もいれば、アピールできずにベンチに座らされ「早く帰りたい」と思うような人もいたと思います。

――それから代表に呼ばれることはありましたか?
高野 なかったです。妥当だったと思います。

――adidas CUP 2012 第36回 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会では決勝で柏レイソルU-18に敗れ、準優勝でした。
高野 準決勝の京都(サンガU-18)戦は逆転で何とか勝てましたが、体力もキツい状態で翌日の決勝を戦いました。レイソルは中盤に秋野(央樹)、中川(寛斗)、小林(祐介/現柏レイソル)など、うまい選手がそろっていたので、ずっとボールを回されていました。僕たちはハードワークしながら戦っていましたが、2-3で負けてしまい、すごく悔いの残る試合でした。

――その後は日体大に進学しました。同期では喜田選手がトップチームに昇格していますが、何かチームからお話はありましたか?
高野 喜田と自分が昇格する可能性があると言われていて、喜田はワールドカップ(2011 FIFA U-17ワールドカップ メキシコ2011)も出ているので上がるだろうと思っていました。僕は、同じポジションに比嘉(祐介)選手(現ジェフ千葉)と、金井(貴史)選手(横浜FM)がいたので、可能性は低いだろうと思っていて、案の定、上がれませんでした。

――自分の中で上がれる手応えはありましたか?
高野 手応えはなかったです。だから何で自分が上がれるか、上がれないかのボーダーライン上にいるのだろうと思っていました。

思ったよりやれる手応えはありました

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――その中で、日体大への入学を決めた理由は?
高野 他の大学に声をかけていただいていましたが、姉が日体大の女子サッカー部だったので、親近感が湧いていて。当時、鈴木(政一)監督がいて、関東大学リーグでも良い成績を残していることを知っていたので、日体大にしようと決めました。

――日体大には声をかけてもらっていたのですか?
高野 特になかったです。マリノスのコーチに行きたい旨を伝えて、夏にセレクションを受けました。

――ルーキーイヤーは第3節からベンチ入りしています。高校と大学の違いを感じることはありましたか?
高野 大学サッカーはフィジカルが強いと聞いていましたが、思ったよりやれる手応えはありました。ユースの練習もレベルが高かったので、ある程度の余裕を持ってできました。

――大学3年の時は湘南の特別指定選手に登録されました。湘南から話があったのはいつ頃ですか?
高野 大学2年の冬頃です。

――お話をいただいた時の気持ちは?
高野 素直にうれしかったです。

――大学2年の時はリーグ戦で21試合に出場していますが、ある程度やれていたのではないですか?
高野 そんなことはなくて、冬までは課題が多かったです。だけど、自分の特徴は出せていたので、そこを見て声をかけてくれたと思っています。

――特徴は主に攻撃参加だと思いますが、課題は?
高野 守備の部分です。失点に絡むことも多く、マークを外したりと、安定感のないプレーが続いていました。

――サイドバックで参考にしている選手はいますか?
高野 試合前にマルセロ(レアル・マドリード)の動画を見ています。攻撃的なサイドバックで、右足も使えるので参考にしています。

――2015年5月20日に行われた松本山雅FCとのナビスコ杯で湘南デビューを果たしました。
高野 試合前日に曹貴裁(チョウ・キジェ)監督から「お前、行くぞ」と言われて、かなり驚きました。大学リーグがあったので、湘南では練習試合もしていなくて、湘南の一員として初めての試合でした。ポジションもサイドバックではなく、3-4-3の左サイドで、フラフラとさまよいながらプレーしていました。

――湘南のユニフォームを着た時の感覚は憶えていますか?
高野 マリノスや日体大と色も全然違って、かなり新鮮でした(笑)。だけど、プレーする時は湘南の一員だということを意識しました。

――サイドバックとの違いは感じましたか?
高野 ボールを受ける場所が違って、攻撃する時に普段は自分が上がっていく立場だったのが、味方が後ろから上がってきて追い越される立場になりました。そうなると、自分が中に絞ってプレーするので、やりづらさはありました。守備でも後ろに味方がいて、すべてが初めての感覚でした。

――当時、曹貴裁監督にはどのような印象を抱いていましたか?
高野 毎日の練習で熱く指導をしてくれて、常に100パーセントで接してくれました。叱るところは叱って、褒めるところは褒める。自分は特別指定選手という立場でしたが、練習中に「お前、ここは大学じゃないんだぞ」と怒鳴られたこともありました。

左足でのクロスや攻め上がりなど、攻撃では通用している

――今年の春には、湘南と横浜FMのキャンプに参加したそうですね。
高野 湘南は去年まで在籍していたので「キャンプに来るか」と誘っていただきました。同時にマリノスからもお話をいただいたので、参加しました。

――それまで横浜FMから何かコンタクトはありましたか?
高野 スカウトの方が大学リーグに来て、「見ているぞ」と声をかけてもらうことはありました。

――3月には横浜FMの特別指定選手になりました。
高野 湘南よりもマリノスの方が先に声をかけてくれたので、マリノスでプレーすることを決めました。

――日体大の鈴木監督からは何か言われましたか?
高野 プレーについては特に言われませんが、「良い経験になるから行ってこい」と送り出してくれました。

――ナビスコ杯では柏戦とサガン鳥栖戦の2試合に出場しています(5月12日時点)。チームに馴染むことはできていますか?
高野 正直、まだ溶けこめていないと思っています。柏戦も試合の前々日から練習に参加しただけで、かなり急でした。

――湘南時代と比べて、自分の出来はいかがでしたか?
高野 本職の左サイドバックだったので、自分の持ち味を出せて、良くできたと思っています。

――プロを相手に通用すると感じることはありますか?
高野 左足でのクロスや攻め上がりなど、攻撃では通用していると思っています。

――残りの約1年間で取り組まなければいけない課題はありますか?
高野 攻撃ではビルドアップ能力です。貢史君、(下平)匠(横浜FM)君はそこがうまいので、追い越せるように安定感のあるプレーをしていきたいです。守備では一対一を磨いていかなければいけないと思っています。

――横浜FMの練習はいかがですか?
高野 中澤(佑二)選手、中村(俊輔)選手、斎藤(学)選手は、やっぱりすごいなと思います。プレーや練習への取り組みなど、学ぶことが多いです。あと、マルティノスとマッチアップすることが多いのですが、積極的に仕掛けてきて、プレーの幅も広いので、とても守りにくいです。

――エリク・モンバエルツ監督からは何を求められていますか?
高野 縦への推進力を評価してくれているので、そこを特に言われています。

――中村選手と話すことはありますか?
高野 初めて声をかけてもらったのが鳥栖戦のハーフタイムで、ポゼッションの部分を指摘され「焦らないで、後ろでしっかり作っていけばいいよ。簡単にやればいいから」と、アドバイスをいただきました。

――喜田選手とも話したりするのですか?
高野 高校までチームメートで、そこから3年間空いて再びマリノスで一緒になったので、懐かしく、新鮮な気持ちもあります。喜田はU-23日本代表でも活躍しているので、お互いにもっと成長して一緒にJ1のピッチに立ちたいです。

――横浜FMへの想いを聞かせてください。
高野 小学4年から高校3年まで9年間プレーしたクラブなので、マリノスには特別な想いがあります。去年も頭の片隅にはありましたし、マリノスに恩返しをしたいと思っています。

――最後に、今後の目標は?
高野 日体大では、チームの目標である大学リーグ4位以内に入りたいと思います。

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