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静岡学園で培った技術を武器に、順天堂大FW名古新太郎「“うまい”より“すごい”と言われる選手に」

2016.09.15

「ヘタクソだったんです」。2014年度の冬、高校サッカー界を沸かせた静岡学園高校の10番は、かつての自分をそう振り返る。「プロで活躍すること」を夢見て順天堂大学でサッカーに励む今、技巧派集団で育ったドリブラー名古新太郎が語る理想のプレーヤー像とは。

インタビュー=平柳麻衣、写真=波多野匠、平山孝志、鷹羽康博、岩井規征

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■「PKでチップキックをやったのは、あの時が初めて」

 静岡学園がベスト8進出を果たした第93回全国高校サッカー選手権大会。個性の強いタレント軍団の中で、一際輝きを放っていたのが、10番を背負う名古新太郎だった。2回戦の佐賀東高校戦では、スコアレスで迎えたPKの場面でチップキックを披露。相手DFに囲まれた際には、ヒールリフトでかわして突破するなどテクニックの高さを見せつけ、観客を魅了した。

「PKでチップキックをやったのは、あの時が初めてです。0-0だったのでリスクはありましたけど、練習で決めていましたし、GKの動きもしっかり見ていたので、余裕がありました。チームメイトからは『危ないだろ』って冷やかされましたけどね(笑)」

 3回戦では、その年のインターハイ王者である東福岡高校と対戦。相手は中島賢星(横浜F・マリノス)、増山朝陽(ヴィッセル神戸)というプロ内定選手を擁し、優勝候補の筆頭とされていた。

「その代の東福岡は高体連のチームに1度も負けていなかったんですけど、静学は東福岡に負けたことがないという歴史があったので、相手のことはあまり意識せず、自分たちのサッカーをやろうと思っていました。(中島と増山は)もちろん、どんなプレーヤーかは知っていましたけど、それほど意識はしてなかったし、やられる場面も少なかったと思います」

 結局、静岡学園は前評判を覆し、3-0で快勝。名古は1ゴールをマークした。ニッパツ三ツ沢球技場に1万3千人を超える観客が詰めかけた伝統校同士の一戦は、「今でも言われますよ」(名古)と、彼の周囲で語り草となっている。

 だが、この舞台にたどり着くまでの道のりは長かった。

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■大阪から静岡へ、「厳しい環境に身を置きたかった」

 大阪府で生まれた名古は、幼い頃から「ずっとサッカーボールを離さなかった」という“サッカー小僧”だった。小学4年生から中学時代まで所属していた東淀川FCでは、関西地区大会に出場。中学3年生で右サイドのポジションを確保すると、「いつも僕が点を取って勝つ」という試合が増え、チームの得点源としての地位を確立した。その活躍が静岡学園スカウトの目に留まってオファーを受け、15歳にして親元を離れる決意をする。

「最初は大阪府内の強いチームに行こうと考えていたんですけど、外から声が掛かって、これはチャンスやと思いました。それまで私生活のことは全部親にやってもらっていたので、もっと自立したい、厳しい環境に身を置きたいと思って」

 国内屈指の技巧派集団として知られる静岡学園のサッカースタイルに、名古は魅力を感じた。

「練習の最初の1時間はいつもドリブルとリフティング。徹底的に個を磨いていたので、楽しかったです。周りはみんなうまかったし、ここにいたら成長できると思いました」

 日々、技術が向上していく手応えを感じた一方で、1、2年目はトップチームでほとんど出場機会を得られず、悔しさを何度も味わった。チームはインターハイで全国大会出場を果たしたが、1年時はスタンドから応援。2年時はサポートメンバーとして帯同したのみだった。

「ヘタクソだったんです」

 周囲との実力差をしっかりと受け止めながら、名古は必死に前を見続けた。

「試合に出られへんのは、自分に何かが足りひんから。周りのレベルが高い中で、自分は積極性を欠いていたと思います。でも、コーチがいつも『お前はどこを目指して練習しているんだ?』と問いかけてくれたので、試合に出るためだけに高校3年間を過ごしているわけじゃない。目指しているのはプロだ、と毎日意識しながら取り組むことができました。コーチからの期待は感じていたし、今はダメでも、向上心を持って上を目指し続けようって」

 3年生になり、ようやくレギュラーの座をつかむことができたが、その年のインターハイは5年ぶりに県予選敗退。その後に待っていたのは、「二度とやりたくない」ほど過酷な練習だった。

「インハイ予選で負けた後の夏の練習は本当にヤバかったです。朝6時とか6時30分頃からずっと走ったり、毎日3部練や2部練ばかりで。あれ以上キツいことはないんじゃないかな(苦笑)。あの頃には絶対に戻りたくないですけど、そのおかげで『選手権は絶対に全国大会に出よう』と強く思えました」

 そして迎えた選手権で、チームは4年ぶりに静岡県大会を制覇。高校時代の名古にとって最初で最後となった全国舞台での活躍は、冒頭で述べたとおりだ。

「楽しかったです、あの雰囲気の中で試合ができて。緊張よりも楽しさが上回りました」

 東福岡を下し、一気に優勝候補としての期待を集めた静岡学園だったが、続く準々決勝で日大藤沢高校に敗北。準決勝の舞台、埼玉スタジアム2002のピッチを踏むことなく、大会を後にした。スポットライトを浴びた時間は短かったが、それでも静岡学園で過ごした3年間は充実したものだったという。

「静学では365日、24時間ずっとサッカーのことだけを考えて生活してきて、苦しかったこともいっぱいありました。でも、そのおかげで基本的な技術はレベルアップしたし、サッカーに対する思いはより一層強くなりました。静学での経験は、絶対に今に生かされていると思います。そしてもう一回、選手権のような大舞台でサッカーがしたいと思うようになりました」

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■理想は「うまい選手」ではなく、「すごい選手」

 静岡学園を卒業後、名古は長谷川竜也(現川崎フロンターレ)や米田隼也(現3年生)ら高校の先輩が多く在籍している順天堂大学に進学。就任1年目の堀池巧監督の下、1年時からトップチームで出場機会を得た。かつて日の丸を背負った経験を持つ同監督の指導は、プロの世界をより身近なものに感じさせてくれる。

「監督自身が元プロ選手で、“ドーハの悲劇”とかいろいろな経験をしている人なので、サッカーを本当に知っているなと感じます。練習の中で実技を見せてくれることもあるので、自分のプレーの幅がすごく広がったし、プロの世界でやっていく上で大切な知識も教わっています」

 また、長谷川の存在も大きかった。164センチと小柄ながら、ドリブル技術の高さで大学サッカー界に名を馳せ、プロ入りを果たした長谷川は、168センチで同じくドリブルを得意とする名古にとって、良き目標だった。時には親身に相談に乗り、アドバイスを送ってくれた先輩に、名古は尊敬の念を抱いていたという。

「ご飯に連れていってくれたこともあったんですけど、その時も竜也さんはずっとサッカーの話をしていて、本当にサッカーが好きなんだなと思いました。竜也さんも僕も体が大きくない方なので、『もっと頭を使ってやったほうがいいよ』とアドバイスをくれたり。竜也さんは自分の話ばかりするのではなく、僕の話も聞いてくれたので、本当に尊敬していました」

 良き指導者の下で、良き先輩に恵まれた名古が目指すのは、「プロ入り」ではなく「プロで活躍する選手」だ。

「大学を卒業してプロになることはもちろん、プロで試合に出たいです。今、入りたいと思っているチームはないですけど、つなぐサッカーが好き。鹿島(アントラーズ)やガンバ(大阪)、フロンターレは見ていて面白いなと思います」

 最後に、「理想のプレーヤー像は?」と問うと、「うまい選手よりも、すごい選手になりたい」という答えが返ってきた。かつてテクニックで観衆をとりこにした彼は、プロの世界で通用する選手になることを目指して、すべての能力のレベルアップに挑んでいる。

「うまい選手ならたくさんいると思うんです。だから僕は、『あいつ、すごいな』と言われる選手になりたい。全部できたらいいですよね。点が取れて、パスが出せて、ドリブルができて、技術もある。ゴールに関わるだけじゃなくて、チャンスメイクもできて、守備もできる。そういう『すごい選手』になりたいです」

 大学卒業まで、あと約2年半。成長過程にある20歳のドリブラーは、日々の鍛錬でますます技術を磨き、知識を身につけ、進化を遂げていく。いつしか、周囲から「すごい選手」と称されるようになった時には、プロの舞台で観客を魅了する存在になっているはずだ。

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By 平柳麻衣

静岡を拠点に活動するフリーライター。清水エスパルスを中心に、高校・大学サッカーまで幅広く取材。

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