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レアル・マドリードが獲得できなかった6人のレジェンドたち

2020.06.08

“白い巨人”と言われるレアル・マドリードが獲得できなかった6人のレジェンドたち [写真]=Getty Images

 移籍とは、タイミングや巡り合わせだと言われる。それは結婚にもたとえられ、片方が望んでいるからといって実現するわけではない。移籍したいと願う選手と、受け入れるクラブ側の思惑がピッタリ一致してこそ、契約は成立する。

 それはレアル・マドリードのようなビッグクラブであっても変わらない。“白い巨人”からオファーが届けば、誰だって首を縦に振りそうだが、そうとは限らないのだ。スペイン紙『アス』は、レアル・マドリードが獲得できなかった11人のレジェンドたちを特集。本稿では、その中から6人を抜粋して紹介する。

写真=Getty Images

 

ジャンルイジ・ブッフォン(元イタリア代表GK)

 2006年夏にユヴェントスとの契約が切れるタイミングを狙って、レアルの首脳陣はブッフォンの獲得を狙っていたという。しかし、想定外の事件が起こる。「カルチョ・スキャンダル」に対する処分としてユヴェントスがセリエBへの降格処分を受けたのだ。去就が注目されたブッフォンは自らの想いをこう打ちあけた。「ユーヴェは俺を豊かにしてくれた。このタイミングでここを去ることはできない」。それ以後、ブッフォンは“ユヴェントス愛”を貫き、海外挑戦も1年で区切りをつけて古巣に帰ってきた。

カフー(元ブラジル代表DF)

 2002年の日韓ワールドカップでは、ブラジル代表のキャプテンとして母国を優勝に導いたカフー。そんな彼にもレアル移籍の可能性があったという。サンパウロの一員として1992年のトヨタカップ(現FIFAクラブW杯)を制覇すると、当時レアルの会長を務めていたラモン・メンドーサ氏が契約を希望した。しかし、サンパウロの会長に「もう1年待ってくれ」と懇願されると、レアルはその間に別の右サイドバックを獲得。カフーのスペイン上陸は幻と消えた。その後、カフーはイタリアへと飛び、ローマではセリエA、ミランではセリエAのみならず、UEFAチャンピオンズリーグ(以下CL)制覇も経験した。

アレッサンドロ・ネスタ(元イタリア代表DF)

 ペレス会長は2000年の会長就任後、最初2年間でルイス・フィーゴとジネディーヌ・ジダンを獲得。すると次の補強ターゲットをDFに定め、当時主将を務めていたフェルナンド・イエロの“相棒”を探した。若くて、カリスマがあって、リーダーシップを持つ選手――そのすべてに当てはまったのが、20代前半でラツィオのキャプテンを務めていたネスタだった。しかし、レアルが提示したオファーは幾度となく断られ、ラツィオの会長を務めていたセルジョ・クラニョッティ氏からは無茶ぶりとも言える要求があったという。そうこうしている間にロナウド獲得の可能性が浮上。日韓W杯でエースとして優勝に貢献したブラジル人ストライカーが、“銀河系”の新たな一員となった。

ロナルド・クーマン(元オランダ代表DF)

 バルサのレジェンドとして知られ、現在はオランダ代表監督を務めるクーマンも、レアルが狙っていた選手だった。PSVの選手として活躍していたクーマンを巡っては“場外クラシコ”が繰り広げられたのだ。バルサ移籍の決め手となったのは、同胞のヨハン・クライフ氏が監督を務めていたからだという。ただ、その契約形態はかなり変わっていたようだ。まず、スペインの会社がクーマンの保有権を買い取ったあと、バルセロナにレンタルする形をとった。その結果、移籍金は当時としては破格の10億ペセタを記録したという。それから3年後の5月、クーマンは欧州チャンピオンズカップ(現CLの決勝でバルサに初のビッグイヤーをもたらす直接FKを決めてみせた。

フランチェスコ・トッティ(元イタリア代表FW)

 ローマ一筋でプレーしたトッティには過去に2度、レアル移籍の可能性があったという。まずは2001年、CLの抽選会後に両クラブの首脳陣が食事をともにした時のこと。ペレス会長は、ローマのフランコ・センシ会長(当時)に、こう尋ねたという。「トッティを売ってくれるかどうかを聞きたい。金額を言ってくれれば、それを払おう」。それに対するセンシ会長の答えは、トッティは私の息子のようなもので、売りに出してはないというものだった。その4年後にも、レアルはトッティの獲得を試みる。しかし、選手からの答えは「ノー」。イラリー・ブラージ夫人との話し合いの末に出した結論だったという。結局2017年に引退するまで、トッティはローマで785試合に出場し307ゴールという記録を残した。

スティーヴン・ジェラード(元イングランド代表MF)

 レアルから誘われて「ノー」と言えるサッカー選手は少ないだろう。しかし、ジェラードはそれを2度も実行した。2004年末、ペレス会長は翌シーズンに向けた目玉補強としてジェラードをリストアップ。すでにマイケル・オーウェンの引き抜きに成功しており、彼の友人にあたるジェラードも、と考えたのだ。ところがレアルが提示した3000万ユーロというオファーは受け入れられず、リヴァプールは現金4500万ユーロに加えて、レアルに在籍した3選手の譲渡を要求したという。その後もジェラードは移籍を希望していたが、7月に入って考えを改め、リヴァプールとの契約延長にサインした。さらに2009年にもジェラードの獲得を試みたが、レアルと契約を結んだのは名パートナーとして活躍していたシャビ・アロンソのほうだった。ジェラードは2015年に退団するまで、リヴァプールの選手であり続けた。
     

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