2011年にドイツサッカー連盟からDFB名誉賞を受けたクラマー氏(中央) [写真]=Bongarts/Getty Images
日本代表のコーチを務めたドイツ人のデットマール・クラマー氏が、17日にドイツ、ライト・ イム・ヴィンクルの自宅で亡くなった。90歳だった。同氏が監督を務めたバイエルンが公式HPでコメントを発表している。
バイエルンのカール・ハインツ・ルンメニゲCEO(最高経営責任者)は「クラマー氏は(監督を務めた後も)長年に渡り、無給でクラブに携わってくれた。私にとって彼は父親のようであり、友人でもあった。バイエルンの元監督、特別な人物としてご冥福をお祈りする」とコメントしている。
クラマー氏は、ヴィクトリア・ドルトムントで選手としてのキャリアをスタートさせると、ゲルマニア・ヴィースバーデンなどに在籍。16歳の時に元ドイツ代表監督のゼップ・ヘルベルガー氏から指導者としての指南を受けると、パーダーボルンなどでは選手兼コーチとしてもプレーした。
現役引退後の1960年に日本代表のコーチとして招へいされると、基礎的な部分から熱心に指導を行い、チームの強化に成功。4年後の東京オリンピックではベスト8に入り、“日本サッカーの父”として尊敬集めた。
その後はエジプト代表、アメリカ代表などで監督としての経験を積み、1975年に就任したバイエルンではUEFAチャンピオンズカップ(現・UEFAチャンピオンズリーグ)で2連覇を達成。ドイツ国内外でも名声を手にし、2005年に第1回日本サッカー殿堂入り。2011年にはドイツサッカー連盟(DFB)からDFB名誉賞を受けていた。
By サッカーキング編集部
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