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【THIS IS MY CLUB】JFLからJ1へ、“ミスター琉球“とクラブの幸せな関係|富所悠(FC琉球)

2020.06.23

“ミスター琉球”の名に恥じぬクラブ愛とリーダーシップを持つ富所 [写真提供]=FC琉球

 DAZNと18のスポーツメディアで取り組む「DAZN Jリーグ推進委員会」が、その活動の一環としてメディア連動企画を実施。Jリーグ再開に向けて、「THIS IS MY CLUB -FOR RESTART WITH LOVE- Supported by DAZN Jリーグ推進委員会」を立ち上げた。サッカーキングでは、FC琉球のクラブ在籍最多年数を誇る富所悠に“クラブ愛”について語ってもらった。

インタビュー・文=小杉正貴
写真提供=FC琉球



――2012年にFC琉球に加入しました。どのような経緯で移籍を決断したのですか?

富所  当時監督を務めていた松田(岳夫)さんから「琉球で一緒にやらないか」と声を掛けてもらったことがきっかけでした。松田さんは東京ヴェルディのアカデミー時代にお世話になっていた方です。そういった縁もあり、「やってみよう」と思いました。


――沖縄という土地にも魅力を感じたのでしょうか。

富所 その反対で、最初は少し抵抗がありました(笑)。アカデミーからプロ2年目まで過ごしたヴェルディ、その次にプレーしたFC長野パルセイロと関東付近での生活を続けていたので、それに満足していました。沖縄は、これまでとは違って東京へ気軽に帰ることができないので悩みましたが、流れに身を任せて沖縄で9年目のシーズンを迎えています。

――今ではクラブで最も長く在籍されている選手になりました。こうなることを想像していましたか?

富所 全く想像していませんでした。その当時はJFLに所属していたので、「できるだけ早くステップアップしたい」と思っていました。ですが、なかなか声が掛からず。気がついたら一番長くいる選手になっていました。

――沖縄は観光地のイメージが強いと思います。実際に住んでみて、どのような部分が沖縄の魅力だと感じますか?

富所 サッカーでもプライベートでも、冬でも暖かいところが大きな魅力です。以前はもともと抱えていたケガの影響で満足にプレーできないこともありましたが、沖縄に住むようになってからは痛みが一切なくなりました。筋肉系のケガもかなり少なくなっています。あとはきれいな芝生ですね。常にいい状態の天然芝でプレーできることは、選手にとって素晴らしいことだと思います。

温暖な気候の中練習に励む富所 [写真提供]=FC琉球

――プライベートの面はいかがでしょうか。

富所 そもそも本島の人間にとって、冬ってめちゃくちゃ寒いものじゃないですか。でも、沖縄ではそこまで寒くならないので、冬でもアクティブに外に出られるところが好きです。他には時間の流れがゆったりしているところ、温かい人が多いところもいいですね。街を歩いていると、自分のことを知らないおじいちゃんやおばあちゃんが話し掛けてくれることがよくあります。ファン・サポーターの方も面識のない人も、まるで友達のように接してくるんですよ。最初はそれが苦手でしたけど、今ではいいなと思うようになりました。

――沖縄には野球やバスケットボールの人気が高い土地、という印象があります。そういった土地でサッカー選手として過ごすことで感じたことはありますか?

富所 高校野球とバスケの琉球ゴールデンキングスが人気ですね。キングスは結果を出している、という側面もあります。ただ、サッカーの存在感も年々高まっていると思います。2018年にJ2昇格を決めてからは特にその流れを感じますね。以前はスタジアムに1000人も入らないときがありましたけど、今では街で「頑張って」と声を掛けてもらえることも多くなりました。

――FC琉球というクラブについて伺っていきます。近年のクラブの成長を、選手としてどのように感じていますか?

富所 クラブとしての規模が少しずつ大きくなっているのは、いち選手としても感じています。例えば、(小野)伸二さんの加入はこれまでであれば実現できなかったと思います。僕が移籍した当初はかなり厳しい環境でした。自分はそうではなかったのですが、アルバイトをしながらプレーする選手がほとんどだったんです。ギリギリの生活の中で、サッカーを頑張っている状況でした。ここ数年の成長には、そういった時期に頑張っていた選手やフロントスタッフの方々のおかげでもあると思っています。

――2014年のJ3参入から5シーズンでJ3優勝とJ2昇格を達成しました。

富所 JFLからJ3に参入したのはJ3リーグが設立された年で、自分たちが何かを成し遂げてJ3に上がったわけではありませんでした。逆にJ2昇格は全員で勝ち取ったという感覚がとても強かったですね。正しい表現かどうかは分かりませんが、そこからJリーグのクラブのようになってきた気がします。これまでは一年一年頑張ってやり繰りして、どうにか存続しているような感覚がありました。それがJ2昇格から、より先のことを考えられるようなクラブになってきていると思います。

――FC琉球の変化や成長のきっかけとなったターニングポイントはありますか?

富所 クラブとしては、倉林(啓士郎 現代表取締役会長)さんが社長になったタイミングでしょうか。それまでは社長が頻繁に変わるような状況でした。フロントスタッフも新しい人が来ては、気づかないうちにいなくなって、また新しい人が来る、というように入れ替わりが激しくて。それは選手も同様で、とにかく人の入れ替わりが激しかったんです。それが倉林さんが来た2017年ぐらいからはある程度固定されるようになりました。そういった基盤を作ってくれたのが倉林さんだったと思います。

――サッカーの面ではいかがでしょうか。

富所 (金)鍾成さんが監督に就任した時だと思います。鍾成さんの下で、若手選手をベースに3年間積み重ねた結果がJ2昇格につながったと思うので。戦術やサッカーの面では鍾成さんにとても感謝しています。鍾成さんは攻撃が好きな監督で、ほとんど攻撃の練習しかしませんでした。チームに攻撃的な選手が多かったこともあり、みんなが同じ方向を向いてやれていたと思います。

――富所選手としては、2017シーズンにキャリア初の2ケタ得点を挙げ、翌シーズンも10得点を記録しています。クラブの成長とともに、ご自身の成長もあったのでは?

富所 これまではボランチがメインでしたが、鍾成さんからは2列目やFWで起用してもらうことが多くなりました。ポジションの関係で得点が増えたという側面があります。ただそれ以上に、「数字を残さないと見てもらえない」という気持ちを強く持っていました。J3では見てもらえる機会が多くはないので。

――金監督が就任した2016年、倉林会長が社長に就任した2017年がポイントだったのですね。

富所 そうですね。その辺りから少しずつ環境が良くなってきて、それと同時にチームとしても結果を残せるようになってきました。なので、クラブが安定、成長し始めたのは2016年からだと思います。

――激動のシーズンを重ねる中で、クラブへの思いが強くなっていったのでは?

富所 特にうちは選手の入れ替わりが激しくて、僕が来た当初は毎年5人ぐらいしかチームに残らないような状況でした。そのなかで残してもらったことへの感謝は強く持っています。また、琉球で続けるうちに結婚をして、子どもが生まれるという経験をしました。そういう意味でも特別な場所だと感じています。

――琉球で続けてきたからこそ得られたものも多かったのではないですか?

富所 長く在籍することで、「自分が引っ張っていかないといけない」、「自分が結果を出さないといけない」という思いが強くなっていきました。その中で、「引退するまでにこのクラブをJ2に上げたい」と考えるようにもなりました。恐らくずっとJ2のチームでプレーしていたら、ここまでのハングリー精神は生まれなかったと思います。僕自身だけではなく、周りの選手も「もっといい生活をしたい」、「もっと周りから見られたい」という気持ちが強かったと思いますし、今でも強いはずです。ここで続けてきたからこそ、そういうハングリーさを持てているのではないかと思います。

――これまでの貢献から“ミスター琉球”と呼ばれています。周囲から特別な選手として認識されている証だと思いますが、どのように受け止めているのでしょうか?

富所 最初にそう言われるようになった時は、「一番長くいるからかな」と思っていました。なので最初はなんとも思っていなかったのが正直なところです(笑)。ただ、沖縄県出身の中心選手がいる今でもそのように言ってもらえるので、それはうれしいですし、感謝しています。期待されているのも感じるので、チームの顔としてしっかりと頑張りたいですね。自分がそうやって呼ばれているうちにチームをJ1に上げることができればと思います。

――改めて、FC琉球というクラブはご自身にとってどういう存在ですか?

富所 一緒に成長させてもらっているクラブかな。サッカー選手としての基盤を作ってくれたのは、小さい頃からプロデビューまでを過ごしたヴェルディだと思います。そして琉球では厳しい環境を経験をして、育ててもらったと同時に、一緒に成長できていると思っていますね。僕がクラブに成長させてもらっている部分もあると思うし、自分がこのクラブの成長に貢献できている部分もあると思うので。

――二人三脚というか、クラブと自分が同じ方向を向いて一緒に成長していける存在ですね。

富所 そうですね。正直に言うと、琉球に入った頃はサッカーをやめようかどうか悩んでいるような、そんな精神的に厳しい状況でした。このクラブも、潰れるか潰れないかという時期がありました。だからこそ苦しい時期を一緒に乗り越えて、今こうやって成長できているのだと思います。そういう結びつきは強く感じますね。

――今シーズンは「REVIVE-琉球再興!-」をスローガンに掲げており、ユニフォームの胸には首里城のイラストが入っています。沖縄のために、という思いがより強いシーズンになるのではないでしょうか。

富所 首里城の火災は、特に沖縄の方、長く生活している方にとってはすごくショッキングなニュースだったと思います。僕自身にとっても衝撃的で、現実味が湧かない出来事でした。首里城は沖縄県の象徴です。早く再建してほしいですし、僕らFC琉球が少しでも力になれたらうれしいです。プレーの面でも、それ以外の面でも沖縄の皆さんの力になれたらと考えています。

――今シーズンの開幕戦となったジェフユナイテッド千葉戦は残念ながら欠場でした。

富所 ケガの影響があり、DAZNでの観戦となりました。これまで開幕戦に関われなかったことはほぼなかったので、自分がそこにいないことが不思議な感覚でしたね。それこそ開幕した実感がありませんでした。

――中断期間を経て、ようやくリーグ戦が再開します。今の状態はいかがですか?

富所 ケガは完治しました。全体練習も再開して、コンディションは少しずつ良くなってきていると思います。今はとにかく試合が楽しみですね。昨シーズンは個人的に思うようなプレーができなかったので、「今年こそは」という強いモチベーションを持っています。

――今年のチームのストロングポイントはどのようなところにあると感じていますか?

富所 特に今年は中盤からFWにかけてプレーのイメージが合う選手がそろっています。やっていて楽しい選手が多いですね。また、誰が出ても変わらずに、チームとしていいパフォーマンスが出せるのではないかというイメージもあります。ですから、総力戦で過密日程を乗り切るという点に関しては、全く心配なくやれるのが去年以上の強みだと思います。

――その中で、個人としてどのようなプレーを見せていきたいですか?

富所 去年は自分でゴールに向かうよりも、中盤と前線をつなぐことに力を使い過ぎていました。ゴール前までなかなか入っていけないことが多かったと思います。なので今年はゴールに直結するプレーを意識していきたいですね。ゴールへの意識を持って、ゴール前で力を使っていければと思います。

――今シーズンへの意気込みを教えてください。

富所 数字的には10得点10アシストを目標にしています。過密日程で次から次へと試合がくると思うんですけど、その中でも毎試合毎試合を大切に、フレッシュな気持ちで臨みたいと思います。厳しい試合を楽しんでプレーできればいいですね。

――最後に、再開を楽しみにしているファン・サポーターの方へのメッセージをお願いします。

富所 当たり前のように、週末になったら試合があって、そこでプレーすることがリズムになっていました。でも、今回の新型コロナウイルスの影響で、それは当たり前にあるものではなくて、いろいろな方に協力していただいて初めて試合ができるということに気が付きました。サッカーが普通にあった頃には、あまり考えたこともなかったことです。サッカーができることへの喜びや有難さも再認識することができました。まずは無観客のリモートマッチで公式戦を迎えます。僕たち選手はしっかりとピッチで戦って、結果を残していきたいと思います。またスタジアムで応援してもらえるようになったら、一緒に戦って、一緒にいい結果を残していきましょう。

[写真提供]=FC琉球

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