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セレッソ大阪のフォルラン獲得は本当に失敗だったのか

2015.06.26

C大阪退団セレモニーでファンに別れを告げるフォルラン [写真]=白井誠二

文=青山知雄

 推定年俸6億円の1年半契約。AFCチャンピオンズリーグベスト16。J2降格。J1通算26試合7得点、J2通算18試合10得点。


 この数字と結果だけを見れば、非難する人が多いのは致し方のないところだろう。だが、決してそれだけでは測れないものがあったようにも感じている。

 2010年南アフリカ・ワールドカップ得点王&MVPという華々しい実績を引っさげてセレッソ大阪の一員となったディエゴ・フォルラン。日本サッカー史上に残る大型補強は、果たして本当に失敗だったのだろうか。

 今から約1年半前、南アフリカで大活躍した彼のC大阪加入が決まると、来日記者会見がテレビで生放送されるなど大フィーバーが巻き起こった。チームは柿谷曜一朗(現バーゼル/スイス)や南野拓実(現ザルツブルク/オーストリア)、山口蛍扇原貴宏ら若くて優れた選手を数多く擁していたこともあって、「セレ女」と称される女性サポーターが急増。さらに優勝候補の一角に挙げられたクラブが推定年俸6億円という超大物選手を獲得したことで大きな話題となった。加入会見に臨んだフォルランが流暢な日本語で長々とあいさつしたことを記憶の方も多いことだろう。

 獲得の成否を見る第一のポイントは、やはりビッグマネーに沿うだけの活躍ができたかどうか。まずはピッチ内での活躍=プロサッカー選手としてのプレーについて考えていきたい。

 昨年2月下旬、韓国・浦項で彼のC大阪デビュー戦を取材したが、途中出場ながらコンディションの悪さは拭い切れず、ボールタッチの回数も数えるほど。正直、日本で大活躍するのは厳しいと感じた。だが、試合をこなすごとに調子を上げると、そこはさすが世界的なストライカー。ゴール前での冷静さと高いシュート精度で得点を重ねていった。

 C大阪でプレーした約1年半、フォルランが最も輝いたのが、このフィニッシュの部分だった。キャプテンの山口が「シュートに対する意識や技術はワールドクラスのものを持っていた」と称賛するように、フィニッシュに至るまでのアイデアと視野の広さ、ボールコントロールはJリーグ史上で見てもトップクラス。中でも昨シーズンの敵地でのACLグループステージ第6節で山東盧能(中国)から決めたゴールに彼のワールドクラスであるゆえん、そしてプレーヤーとしての真骨頂を見たように思う。

 79分、中央からペナルティエリア付近へ走り込んだフォルランは、スピードに乗った状態で左クロスを右足インサイドで的確にコントロール。そのままシュートを狙うべく吸い付くようなトラップで右前方にボールを置くと、GKの位置を確認して冷静に右足を振り抜いた。一見すると決して派手なゴールではないが、疲れが出始める試合終盤に見せた正確な技術は山口が話したとおり「ワールドクラス」の一発。フォルラン自身も「思い出に残っているゴール」と振り返る一撃でC大阪はACLグループステージを突破し、ラウンド16へと駒を進めることに成功した。

 この他にも同年第7節ガンバ大阪戦で決めた直接FK、第9節ヴィッセル神戸戦で右サイドに流れながら右足を振り抜き、GKの手前でボールをワンバウンドさせて触らせずに逆のサイドネットへ突き刺したゴール、第20節川崎フロンターレ戦で後方からのフィードをダイレクトで叩き込んだ右足ボレーなど、日本で見せた得点シーンには彼の高い技術が凝縮されている。確かにマンチェスター・U(イングランド)などでプレーしていた2000年代前半ほどの迫力は見られなかったが、それでもシュートセンスは日本人選手が持ち合わせていないもので、フィニッシュの技術は他の追随を許さないものがあった。「そこから打つのか」、「その角度から決めるのか」と思わされたことは一度や二度ではない。

 ただし、実際のところは本人も「つらい時期があった」と振り返ったように、前線から激しくプレスを仕掛けるプレースタイルを持たなかったことがチーム戦術に適合しないと判断され、J1残留を争っていた10月以降に出場機会を失ってしまう。加入からの約半年間でランコ・ポポヴィッチ、マルコ・ペッツァイオリ、大熊裕司と監督が次々に入れ替わった点も彼にとってマイナスに働いた。フィニッシュのスペシャリストとも言うべきフォルランにとって、サッカースタイルが一貫しなかったことも周囲との相乗効果を生み出せない一因となったが、世界を知るストライカーにとってベンチにも入れない状況がこれ以上ない屈辱だったことは想像に難くない。チームメイトに対してプレーに関する意見を投げかけたり求めたりしたが、「のれんに腕押し」状態ではぐらかされ、まともな答えが返ってこなかったという。かくしてフォルランは思わぬ形で孤立する日々が続くことになる。

 シーズン終盤に負傷離脱し、チーム練習から離れてリハビリに専念していた山口は「うまくディエゴを生かし切れないところもあったし、こっちも彼の期待に全然応えられなかった。ディエゴ自身もフラストレーションが溜まって、かなりキツイ思いをした時もたくさんあったと思う」と当時の難しい状況をを回顧する。だが、その中でも「ディエゴはいつも裏のスペースを狙っているから、僕としてはそういうボールをかなり出せるようになってきたし、今年はディエゴに合わせられるシーンも増えた。自分としては一緒にプレーしたことで、新たな部分を引き出してもらえたと思う」と自らの成長に寄与してもらったことにも触れている。

 不本意な形で戦力外扱いを受けて残留争いの力になれなかったフォルランだが、J2に降格した今シーズンは推定3億円の半年契約でC大阪との契約を延長。パウロ・アウトゥオリ新監督の下でスタメン出場を続け、18試合でチーム最多となる10ゴールを決めた。そして7月31日までの契約を本人合意した上で6月22日付けに前倒して契約を満了。このたびの帰国となった。

 今回の契約満了に関してC大阪の玉田稔社長は、クラブとしての「体力の問題」を理由に挙げている。経営面を考えての判断で、「現状の条件では難しい」とした。

 昨年2月の加入以降、活躍するためのお膳立てがあまりにそろわなかったことには同情の余地があるものの、推定年俸を考えれば周囲の期待に沿うほどの活躍をできなかったのも事実。シュートに持ち込む頭脳的なプレーと技術、そしてフィニッシュの精度では圧倒的な違いを見せたが、35歳という年齢もあって全盛期を過ぎていたとする見方は強い。優勝を期待されたクラブの成績が低迷してしまったことも彼への批判が強まった一つの要因となった。

 ただし、フィニッシャーであるフォルラン自身は「自分がゴールを決めれば、それでいい」というエゴイスティックなタイプではなかった。こと勝利に対する意欲は人一倍強く、仮に自分がゴールを決めてもチームが敗れた際には試合後の取材エリアで報道陣を寄せ付けないほどの強烈なオーラを出していた。とにかく勝利のためにプレーしようとする姿勢は世界のトップ・オブ・トップで戦ってきた選手ならでは。彼自身もクラブに残せたものについて「自分の姿勢や人間的な部分を見てもらえているとしたら、それは伝わっているのではないか」とコメントしており、その姿を間近で見てきた山口も「プロとして模範となる姿勢はしっかり見せてくれたと思う」と話している。ピッチでの結果がすべてと思われるかもしれないが、これもフォルランがチームに残した見えない功績と言えるだろう。

 個人的には意外なところで“フォルラン効果”があったように感じている。

 昨夏のワールドカップ・ブラジル大会、C大阪からは山口が日本代表、フォルランがウルグアイ代表として参加した。これに伴い、あらゆる出版物や公式記録で彼らの所属クラブは「CEREZO OSAKA(JPN)」と表示される。当然ながらウルグアイのサポーターが自国のレジェンドが移籍したクラブを知らないはずがない。ブラジルを旅していたC大阪サポーターは数え切れないほどのウルグアイ人から「セレッソ! フォルラン!」と声を掛けられたという。実際に自分も決勝当日の朝にコルコバードの丘へ足を運んだ際に、何人かのウルグアイ人と同様のコミュニケーションを取ったことを覚えている。細かな部分かもしれないが、名選手の在籍自体がクラブにとってのプロモーションとなり、世界に対して目に見えない価値を生み出していたとも言える。

 この感覚を肌で味わったC大阪サポーターは帰国後に仲間同士で話を共有し、チームで難しい時間を過ごしていたフォルランに対して、「何とかセレッソにいいイメージを持ってもらいたい」と考えて行動に出た。昨シーズン終盤にサポーターによる手書きメッセージを集めた寄せ書きアルバムを手渡すと、今年5月末には「DIEGO×CEREZO FOREVER」というビッグフラッグを作成。練習場では多くのファン・サポーターがフォルランと積極的にコミュニケーションを取るようになり、「クラブに世界的な選手がいた証を残したい」、「将来的にもいい関係を築きたい」という気持ちが形になって現れた。

 玉田社長が話したように、資金面の問題からフォルランとの契約満了は既定路線だった。しかし、もしクラブを離れても、いい印象を持ってもらえていれば、将来的にいい関係性を築けるかもしれない。鹿島アントラーズが長年にわたってジーコと良好な関係を続け、今でもブラジル人選手に対して「鹿島は素晴らしいクラブだ」と推薦してくれるように、サポーターレベルで「フォルランとの関係をポジティブなものに留めたい」という想いがあったと聞く。

 その気持ちがフォルランに届く。

 退団セレモニーが行われた明治安田生命J2リーグ第19節の徳島ヴォルティス戦。残念ながら直前まで家族の看病で離日していたこともあってコンディションが整わず試合に出ることは叶わなかったが、フォルランは試合後のピッチで場内に向かってあいさつを行い、スタジアムを周回してゴール裏へ向かった。ここでマスコットのロビーに隠し持っていたユニフォームを手渡されてスーツの上から着た彼に、待ち構えていたサポーターから大声量のチャントが響き渡る。

「Diego, oh oh oh, Diego, oh oh oh, He came from Uruguay, cerezo’s no.10」

 フォルランは直立して彼らの歌をじっくりと聞いていた。

 最後にサポーターの前でPKで蹴ってもらおうとボールを隠し持っていたロビーがフォルランの腕を引っ張った。だが、彼は自分のチャントを歌い続けるサポーター一人ひとりの顔を焼き付けるかのごとくその場から動かず、左腕でロビーの腕を収めさせた。何物にも代えがたい時間をしっかりと心に刻んだのだろう。

 両腕いっぱいの花とプレゼントを抱えて最後のゴールをPKを決めたフォルランがメインスタンドに戻ってきて報道陣の取材に答えていく。

 ひととおりの質問に回答し、「サンキュー」と言って帰ろうとする彼を「一つだけ」と呼び止めて、ずっと聞きたかった質問を投げ掛けた。

セレッソ大阪でプレーした1年半で一番思い出に残っていることは?」

「トルシーダ」

 まさに即答だった。ポルトガル語で「サポーター」を意味する単語を笑顔で口にして、彼はこう続けた。

「一番すごかったのは、私のことを応援してくれたサポーターだ。彼らの声援は本当に素晴らしい。また日本に帰ってきたいと思っている。できたら監督としてね」

 この日のゴール裏には、スペイン語でフォルランへの手書きのロングメッセージが掲げられていた。試合前に2時間以上もかかって書いたという横断幕にはサポーターの思いが凝縮されていた。

「ディエゴ、日本に来てくれて、そしてセレッソでプレーしてくれたことに本当に感謝しています。それはこれからも僕たちの大きな財産です。願わくば一緒にJ1昇格をつかみ取りたかった。距離は離れても、これからもずっと応援しています。いつかまたディエゴが日本、そしてセレッソに帰ってくることを願っています。僕たちはいつでもあなたを歓迎します! グラシアス、ディエゴ。おおきに」

 日本語で加入会見に臨んだ際、彼が締めに使ったフレーズが大阪弁で「ありがとう」を意味する「おおきに」だった。そして今度はサポーターが同じ言葉を使ってフォルランに感謝の気持ちを伝えた。「セレッソに来てくれてありがとう」と。

 翌朝、関西国際空港には帰国するフォルランを見送りに約100人のサポーターが集まった。人数は来日時の半分以下ではあったが、ここでもフォルランは温かく応援し続けてくれたサポーターに感謝の気持ちを述べている。

「日本のサポーターは今まで味わったことのないくらいすごい応援をしてくれた。彼らとの時間は自分の人生では宝物になったし、友達になれたと思う。これを宝物として持って帰りたい」

 確かにプレーヤーとしての成績だけを見れば、費用対効果は見合わなかった。全盛期を過ぎていたのも間違いない。だが、サポーターの寄せ書き横断幕にクラブのレジェンドでもある森島寛晃アンバサダーが「セレッソの歴史に名前を刻んでくれてありがとう!」とメッセージを書き込んだように、ディエゴ・フォルランという世界的名手がC大阪の一員であったことに変わりはない。彼が残した強烈なプロ意識とシュートへのこだわりがクラブにとって意味のあるものになるのかどうかは、ともにプレーした選手が今後どう生かすかに懸かっている。

 そしてフォルランは空港へ見送りに訪れた山口と長谷川アーリアジャスールに「サッカーをしていれば必ずまたどこかで出会える」と声を掛けていた。それはクラブやサポーターも同じ。いつの日か監督として戻ってくるかもしれないし、C大阪に優秀な選手を送り出してくれることがあるかもしれない。またどこかで出会える日は必ずや来るはずだ。

 今回のフォルラン獲得を現時点の結果だけを見て短絡的に「失敗だった」と結論づけるのは簡単だろう。だが、サッカーとは決してそういうものではない。今回の出会いが意味あるものだったかどうかの答えはいつ出るのか分からない。それは数年後、いや数十年後かもしれない。日本に古くから「一期一会」という言葉があるように、せっかくの出会いは実のあるものにしなければならない。そのためにも彼と今後どのような関係を築き上げ、クラブとしてチームとして上を目指して取り組んでいくかが重要になる。

 フォルランにとってはいろいろな難しさのあるチャレンジだったが、最終的に「日本に来て良かった」と話して笑顔で飛行機に乗り込んでいる。彼がC大阪サポーターと過ごした時間を「宝物」と語ったように、クラブと選手も彼との出会いを「宝物」にしていくことを期待している。

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