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震災への関心が薄れる中…4年目の復興支援試合、小笠原「風化させないためにメッセージを発信できるのがサッカーの力」

2014.12.15

 あの日から、3年と9カ月が過ぎた。2011年3月11日の東日本大震災。家も、街も、津波に飲み込まれた爪痕は、今も東北地方沿岸部に点在する。ただ、がれきに埋もれていた場所の多くには何事もなかったように草が生え、止まっていた列車は動きだしている。時間は、それぞれが抱いた記憶を過去へといや応なく運んでいる。

 そんな中、4回目となる日本プロサッカー選手会(JPFA)によるチャリティー・サッカーが今年も開催された。13日はふれあい活動“グリーティングDay”。岩手、宮城、福島の3県4会場に60人以上のJリーガーとOBが参加し、合計約400人の小学生と触れ合った。14日のチャリティーマッチには岩手、宮城、福島、栃木の4県から仮設住宅に住む人を含めて約4000人が招待され、1万1475人が集まった。


 試合は、復興支援活動「東北人魂」を主催する小笠原満男(鹿島)と、今季限りで現役を引退する柳沢敦(仙台)、中田浩二(鹿島)を中心に、プロ野球・楽天イーグルスの銀次外野手が特別参加した東北ドリームスが、アギーレジャパンの若手選手7人が集結したJAPANスターズを12-8というスコアで下した。笑いを誘うゴールパフォーマンスや、ゴールのたびに客席に投げ込むプレゼントのボール、さらにサンタクロースのコスチュームでプレーしたGK林彰洋(鳥栖)や武藤嘉紀(FC東京)らが、公式戦では見られない趣向で観衆を楽しませた。

 ただ、4回目となった今回の開催には紆余(うよ)曲折があった。JPFA執行役員で元日本代表の平野孝氏はこう語る。

「震災から時が経つにつれて、選手みんなの関心度が薄まってきてしまった。もちろん続けたいんだけど、先立つものがないと運営できないという現実も、正直あった。赤字が見えているのに試合をやることが本当に復興のためになるのか、サッカー界としてやるべきものなのか、という議論になった。それぞれの思いがあることだから、ふれあい活動を続けていくだけでもいいじゃないかとか、いろんな意見があった」。

 実際、4回とも会場のユアテックスタジアムは満員にはなっておらず、緩やかに観客数は減り続けている。迷った平野氏は選手会会長の佐藤寿人(広島)とともに宮城県庁や仙台市役所に出向いた。そこで奥山仙台市長から「子どもたちに夢を与えて欲しいし、継続してくれることは何よりありがたいこと」と言われた。そして、開催を模索する選手会に、日本サッカー協会とJリーグが賛同。「サッカー界全体で4回目を成功させようとなった。それならば選手会もがんばれる」と、開催が決定した。

 JPFAが大きな組織である以上、こうした議論は不可避なものだ。それでも、小笠原は「個人的な考えだけど」と前置きをしたうえで、こう力説した。

「3年9カ月たっても仮設住宅が多く残り、まだまだ大変な思いをされているなかで、僕らの試合が心に響くものであってほしい。ここに集まった選手たちは自ら手を挙げて来た。お客さんを喜ばせたいという気持ちが出ていた。そこに多くのメディアが集まったり、子どもたちを呼ぶことに、(試合を)やる意味がある。報道は減っているけど、風化させないためにメッセージを発信できるのがサッカーの力だと思う」

 試合形式の継続を主張する小笠原は、復興への思いとともに、もうひとつの意味を見いだしている。「今回、被災地を巡っていて、ガイドの方の『震災は忘れたころにやってくる』という言葉が印象的だった。悲しいけど、日本に地震はまた来る。津波だけでなく、台風や洪水、土砂崩れ、大雪と、いろいろな自然災害が起こる。人ごとと思わずに、防災意識を持ってほしい」。今年は広島の土砂災害、御嶽山の噴火、長野の地震など、日本各地でさまざまな自然災害が起こった。東日本大震災の記憶を風化させないことは、次の災害への備えにもつながる。

 記憶と記録によって、未曽有の災害は後世に伝え続けられる。この日東北の地に集ったプロサッカー選手たちは、サッカーというスポーツがその媒介になれると信じている。だからこそ、サッカーを通じて被災者に寄り添うことを、止めようとしない。

文=宮崎厚志(中日スポーツ)

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