Text by Kaoru TERASAWA
もし、ペトル・チェフがチェルシーでプレーしていなかったら、12月にチェルシーが日本へ来ることはなかったかもしれない。圧倒的にボールを支配され、一方的に攻め込まれたUEFAチャンピオンズリーグ前年王者バルセロナとの準決勝、チェフはビッグセーブを連発して勝利に大きく貢献した。チェフは準決勝の勢いそのままに、バイエルンとのファイナルでも実力を証明。彼の活躍なくして、“ブルーズ”の欧州制覇はあり得なかった。
1-1のスコアで迎えた決勝の延長戦。チェルシーはディディエ・ドログバがペナルティーエリア内でフランク・リベリーを倒してPKを献上してしまう。試合をつうじて終始劣勢に立たされていたチームにとって、この時間帯での失点はそのまま“敗北”を意味する。しかし、チェフはアリイェン・ロッベンのキックに対して完璧な反応を見せ、この絶体絶命の危機を見事に救ってみせたのである。
殊勲の守護神は、続くPK戦でも抜群の存在感を発揮。バイエルンの4人目のキッカー、イヴィツァ・オリッチのキックを右手一本で弾き出すと、5人目のキッカー、バスティアン・シュヴァインシュタイガーのキックも左手でわずかにコースを逸らし、計2本のシュートをストップ。見事に悲願の欧州制覇を手繰り寄せた。
反射神経、空中戦の強さ、的確なコーチングやリーダーシップなど、チェフの長所は挙げれば切りがないが、最も注目すべきはそのメンタリティーの強さだろう。大一番でこそ輝く勝負強さ、高い集中力と安定感、常に冷静沈着なプレーぶりは、すべて彼の強いメンタリティーに起因している。
バイエルン戦での大活躍も、彼が持つプロ意識の賜物だった。この試合では延長戦でのPKを含む計6本のPKのうち3本をストップし、決められた3本も読みはすべて当たっていた。実は決勝の地ミュンヘンに向かう飛行機の中で、チェフはバイエルンの全選手のPKを分析していたという。「神懸かっていた」という言葉だけでは、決して片づけられない準備と努力がチームを救ったのである。
「あらゆる試合で頭の中にプランを持っている。相手が何をしたいのか考え、驚くことがないように準備しないとね」。そう語るチェフに対し、チームメートの信頼は厚い。同僚のフランク・ランパードは、「チェルシーに来てからのチェフは、一貫して世界ナンバーワンの実力を示している。大きなケガを負った後もそれは変わらない。彼のような最高のGKがいて僕たちはラッキーだよ」と賛辞を惜しまない。
ランパードが言う「大きなケガ」とは、6年前の悲劇を指している。2004年にチェルシーに加入したチェフは、1年目から「1025分間連続無失点」という当時のプレミアリーグ記録を樹立するなど不動の正GKとして活躍。しかし、加入3年目の2006年10月14日、プレミアリーグのレディング戦で相手MFのスティーヴン・ハントと接触し、頭がい骨の陥没骨折という重傷を負ってしまう。
一時は意識不明となり、選手生命はおろか命の危険にまでさらされた。奇跡的な回復でわずか3カ月でピッチに戻ってきたものの、並の選手なら接触プレーに恐怖を抱き、思い切りの良いプレーができなくなっていてもおかしくない。しかし、戦列に戻ったチェフのプレーに陰りは見えなかった。むしろ、集中力や安定感は負傷以前よりも向上。現在まで続く彼のキャリアの“黄金時代”は負傷後に訪れている。ケガを契機に装着するようになり、今ではすっかりトレードマークになったヘッドギアは、チェフの勇気と自信を示す証なのだ。
チェフは、12月にチェルシーの一員として来日。クラブ世界一の座を懸けて各大陸王者と戦う。チェルシーの日本での戴冠はチェフの好セーブがなければ達成は難しいだろう。決戦の地、横浜で“勇敢な守護神”はその実力を遺憾なく発揮してくれるに違いない。