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柏内定の流経大DF湯澤聖人が語る流経大柏高、流経大、そして柏レイソル「『縦を切られても縦に行ける』選手になりたい」

2015.10.06

インタビュー=安田勇斗、写真=平柳麻衣

 名門流経大柏高校で「レギュラーを完全につかみ取ることができなかった」サイドハーフが、流経大でサイドバックにコンバートされ、柏レイソル行きの切符をつかんだ。大学サッカー界屈指のサイドバックと呼ばれるまでにどんな道のりを経てきたのか。湯澤聖人が自身のキャリアを振り返る。

中央大や国士舘大へ行くことも考えた

――高校時代についてお聞きします。流通経済大学付属柏高校時代の3年間はいかがでしたか?
湯澤 中学2年生の時に流経大柏が選手権で優勝したのを見て、この高校に入りたいと思い、3年生の夏にセレクションを受けて入りました。同学年の選手はみんな個性が強くて、その中で自分はレギュラーを完全につかみ取ることができなかったんですけど、高校ならではの上下関係や、ちょっとした理不尽なことを経験する中で、自分としては「我慢する力」がついたというか、キツいことに耐えられる幅が広がったのは間違いないと思います。そういった中でも、自分が在籍していたスポーツ科での生活はすごく楽しい思い出ばかりですね。

――スポーツ科の雰囲気は?
湯澤 バカの集まりです(笑)。自分はおとなしい方だったので最初は慣れなかったですけど、仲間たちとの会話や生活はすごく良い思い出として残っています。

――悪さもしたり(笑)?
湯澤 「キツいメニューをどれだけサボるか」と考える人はいました(笑)。でも、自分は意識が高いというよりも、バレるのが怖くてそういうことはしませんでしたね(苦笑)。

――同じように選手権を見て、入学した選手は多かったんですか?
湯澤 そうですね。セレクションや練習会に参加する選手が、他の年とは比にならないぐらい多かったみたいなので。自分たちの代で、高卒でプロになった選手はいないですけど、レベルはすごく高かったと思います。

――完全にはレギュラーを取れなかったという3年間で、一番記憶に残っていることは?
湯澤 いい思い出ではないんですけど、高校2年の時に選手権の予選1回戦に出させてもらったことですね。ホントに何もできなくて(苦笑)。相手とは実力的に大きな差があって、やれて当然ぐらいだったんですけど、チャンスの時に怖気づいてしまって……。そのメンタル面の弱さが、自分の高校3年間のすべてだったんじゃないかなと。3年生になっても、その弱さは変わらなかったですね。

――それ弱さを変えられたのは?
湯澤 大学に入ってからです。自分は最初、一番下のチームだったんですが、同級生みんなが上のカテゴリーにいて、何人かはトップチームに入ったんです。それで、同学年の仲間ができるんだから、自分もがんばれば試合に出られるんじゃないかって思えるようになりました。自分は高校時代、“積み重ね”がなかったので、大学生になってがんばればがんばるほど、それが自信になってきて。その中で1年生の最後の方にチャンスが来ました。トップチームの練習試合に呼ばれたんですが、自分の中では「ここを逃したらもうチャンスは来ない」という気持ちでした。この試合でできなかったらプロはあきらめるぐらいの。

――その試合、結果はどうだったのでしょうか?
湯澤 チームは負けて、自分も全然ダメでした(苦笑)。それまで練習試合でも高校とばかりだったので、レベルが段違いでしたし思うようなプレーができませんでした。ただ、最後までアグレッシブにプレーすることができて、そこを中野(雄二)監督にも評価していただいたようで、そこからいろいろなことが変わっていきました。

――ちなみに同学年の選手で、同じように流経大柏校から流経大へは何人ぐらい上がったんですか?
湯澤 確か16人ぐらいです。

――高校時代にレギュラーを取れなかったことを考えると、最初から難しい立場だったと思います。
湯澤 正直、そのまま上がっても、自分は出られないかも、という気持ちはありました。

――他の選択肢は考えなかったんですか?
湯澤 考えましたし、他校も受けました(苦笑)。国士舘大に本気で行こうと思った時期もありましたし、中央大は実際にセレクションを受けて落ちました。

――中央大を選んだ理由は?
湯澤 他の大学を考えたのが遅かったので。インターハイが終わった後で受けられるセレクションがあまりなかったんです。その中で中央大はいいかなと思って。あと自分はつくば市出身なので、筑波大も考えました。ただそうやって他の可能性がなくなるうちに覚悟が決まりました。流経大でがんばるしかないって(苦笑)。セレクションで落ちた経験や、流経しか選択肢がないっていう状況もあって、いい意味で開き直れましたね。大学生になってからどんなに苦しい経験をしても、「俺には流経しかない」って思い、がんばってこれたので。

――流経大での4年間を振り返って、一番成長したと思う部分は?
湯澤 自分の足りないところを、自分で考えられるようになったことだと思います。高校時代はうまくいかない時、調子のせいにしたり、他の人のせいにしたりして逃げていました。でも悪い時って、理由はやっぱり自分にあるんですよね。それに気づけるようになったのは成長した部分だと思います。

――メンタル面の成長ですね。
湯澤 そうですね。でも自分はまだ、チームのことを優先して考えずに、監督から怒られることもあるので、大学生活はあと少しですけどそういう面も変えていきたいと思っています。

吉田達磨さんとお話して直感的に決めた

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――流経大では不動の右サイドバックとして活躍しています。このポジションはいつから?
湯澤 大学に入ってからです。小学校の頃からずっと攻撃的なポジションで、中3ぐらいから高3までは左右のサイドハーフだったんですが、大学1年の時にコンバートされて。

――きっかけは?
湯澤 1年の時にドイツ遠征に参加させてもらい、コーチからサイドバックをやるように言われてからですね。

――その時の心境はどうでしたか?
湯澤 最初はちょっと受け入れられなかったですね(苦笑)。それまではクリスティアーノ・ロナウド(レアル・マドリード)や乾貴士(エイバル)選手が好きで、プレースタイルもそういう感じだったので。

――意外ですね。足技のイメージはあまり……。
湯澤 だんだん抜けてきちゃいました(笑)。たぶん昔の自分を知ってる人は、今とは全然違うと感じると思います。

――それからすぐにサイドバックは受け入れられましたか?
湯澤 いや、一度コーチに反論したことがあるんです。「自分はもう一つ前の方が」って。その時に「サイドハーフだったらプロにはなれない」って言われて。それでも納得はできなかったですけど、やっていくうちに楽しくなってきましたし、結果にもつながっているのでコーチの言うとおりだったなと。

――サイドバックとしての自分の持ち味は?
湯澤 上下動を繰り返すことと、すべてにおいてアグレッシブにプレーすることです。

――クロスや中央への進入など、攻撃面での特徴は?
湯澤 クロスは正直、苦手意識があって、去年Jクラブのキャンプに参加させてもらった時に「これは変えないといけない」と思って、練習でもこだわるようにしています。少しは良くなってきたと思いますけど、プロで活躍するにはまだまだなのでもっと高めたいと思ってます。中へ切れこむプレーは元々得意なんですけど、今は「縦を切られても縦に行ける」選手になりたいので、縦への意識を強く持っています。もっと磨いて絶対的な武器にしたいですね。

――守備はいかがですか?
湯澤 一対一には自信があるんですけど、最近思うのは守備はやればやるほど奥が深いなと。寄せが一瞬遅れるだけでピンチになったり、味方との連携で大きく状況が変わったり、ポジショニング一つでいい守備ができたり。そうやって難しいところがある分、伸びしろはまだまだあると思ってます。

――参考にしている選手はいますか?
湯澤 特定の誰かというのはなくて、いろいろな選手を見ますね。海外だったらセルヒオ・ラモス(レアル・マドリード)とかチアゴ・シウヴァ(パリSG)とか。アツいプレー、アツい選手が好きなんですよ。日本人だと、よく比較されるのもあって酒井宏樹(ハノーファー)選手のプレーを見たりしますね。

――がっしりした体型で、縦に仕掛けるところなど、酒井選手とは共通点が多いと思います。
湯澤 自分も持ちあがり方や、クロスまでの持っていき方などは似ているかなと思います。なので参考になる部分は結構ありますね。

――これから特に磨いていきたい部分は?
湯澤 ポジショニングがうまくなりたいですね。(フィリップ)ラーム(バイエルン)みたいに、身体能力が特別高いわけでもないのに、スッとボールを奪ったり、切り方がうまかったり。そういうポジショニングで勝負できる選手になりたいです。

――すでに来シーズンの柏レイソル内定が決まっています。改めて加入の経緯を教えてください。
湯澤 まず自分の中で進路はできるだけ早く決めたいと思っていました。その中で昨年11月に、レイソルの吉田達磨さん(現監督、当時は強化部ダイレクター)が自分のところに来て声をかけてくださいました。その時はただ話しただけなんですけど、レイソルのサッカーについていろいろな説明をしてくださって、すごく魅力を感じました。レイソルはポゼッションを重視していますが、自分はあまり得意なスタイルではなく、だからこそ挑戦してみたい、足りない部分を補っていきたいなと。高校では個性を伸ばすような指導を受けてきて、大学では比較的自主性に任せてプレーさせてもらいました。そういう中で、自分には戦術的な部分が欠けていると感じていて、レイソルならそこをとことん学べると思ったんです。一番成長できるチームだと感じましたし、ほぼ即決でレイソルに行くことを決めました。

――練習参加はしなかったんですか?
湯澤 してないです。吉田さんとお話して直感的に決めたので(笑)。

――他のクラブからも声がかかっていたと思いますが、レイソルは元々本命のクラブだったんですか?
湯澤 他のクラブも動いているという話は聞きましたが、当時実際にオファーをいただいたのはレイソルだけです。自分の中では最初からレイソルか鹿島アントラーズに行きたいという気持ちがあったので、希望通りになりました。

――それは出身地やゆかりのある土地だから?
湯澤 そうですね。それと、酒井宏樹選手(ハノーファー)や内田篤人選手(シャルケ)といった日本代表のサイドバックを輩出したクラブに行きたかったんです。感覚的にサイドバックが成長しやすい環境なのかなと思ったので。

――では最後に、今後の目標をお願いします。
湯澤 今年の大学サッカーではまだピッチ内で何もできていないので、リーグ戦で優勝するためにもまずはピッチに立って貢献していきたいです。また、レイソル加入後はできるだけ早く試合に出たいと思っています。今年はリオデジャネイロ・オリンピックの代表に絡んでいきたいと思っていましたが、タイミング悪くケガをしたりして全く絡めていません。でもあきらめるのはまだ早いと思っているので、大学でもレイソルでもそこに向かって自分を高めていけるようにがんばっていきたいです。

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