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クラブと折り合いつかず…過去に移籍を望んで“強行手段”に出た5選手

2021.08.03

 イングランド代表FWハリー・ケインが合流予定日になってもトッテナムの練習に姿を現さなかった。

 EURO2020で決勝まで戦ったケイン。2日からトッテナムのプレシーズンに合流する予定となっていたが、その日の練習場にイングランド代表キャプテンの姿はなかった。

 マンチェスター・Cを筆頭に複数クラブへの移籍の可能性が報じられており、今回の行動は移籍を加速させるための手段ではないかとも言われている。

 そんな中、イギリスメディア『デイリー・スター』は、過去に移籍を望んで“強行手段”に出た5選手を紹介している。

[写真]=Getty Images

カルロス・テベス


 テベスがマンチェスター・Cからユヴェントスに移籍したのは2013年の夏。しかしアルゼンチン代表FWが移籍志願書を提出したのはその2年半も前のことだ。

 2009年夏にマンチェスター・Cに加入し、1年目にクラブ年間最優秀選手に選ばれたテベス。キャプテンも務めていた2シーズン目の途中で、家族を理由に移籍を志願。シーズン終了後にも再び退団の意志を表明したが、移籍先は決まらなかった。そんな中でテベスが試合への出場を拒否するという事件が勃発した。2011年9月27日のチャンピオンズリーグ(CL)バイエルン戦。ベンチスタートとなったテベスは、途中出場を拒否して当時監督のロベルト・マンチーニ氏を激怒させた。この行動に対し、クラブから罰金と出場停止処分を科せられたテベス。さらにアルゼンチンに無断で帰国し、クラブとの溝を深めていった。最終的に“敗北”を受け入れてチームに復帰したテベスは、シーズン最後の10試合に出場し、2011-12のプレミア初制覇に貢献した。

■ウィリアム・ギャラス


「移籍させなければオウンゴールを決める」。

 こんな脅し文句で移籍を強行したとチェルシーから訴えられたのは、元フランス代表DFウィリアム・ギャラスだ。

 2001年からチェルシーに所属していたギャラス。2004-05、2005-06はジョゼ・モウリーニョ氏の下でプレミア連覇に貢献した。しかし移籍を志願していたというギャラスは2006年夏に行われたクラブのアメリカ遠征に参加せず。最終的に同夏の移籍市場で、元イングランド代表DFアシュリー・コールとのトレードの一環として、アーセナルに加入することが決まった。移籍の成立後にチェルシーは声明を発表してギャラスを非難。2006-07シーズンの開幕戦に出なければならないなら、「オウンゴールを決めるか、退場するか、意図的にミスする」と脅されていたと伝えた。ギャラスはこの声明を真っ向から否定。クラブの発言に「驚いたし、ショックを受けた」と明かしている。

リオネル・メッシ


 メッシがバルセロナを離れ、再びジョゼップ・グアルディオラ監督の下でプレーをすることになるのではないかという話題が世界中のメディアを賑わせていた昨年の夏。ロナルド・クーマン新体制下で行われた初のトレーニングに姿を現さなかったメッシが、移籍を強行するのではないかと報じられていた。

 契約内容に関する認識の相違が事態を複雑化させていた。今夏満了の契約に含まれていた、「昨夏の移籍市場でもフリーで移籍できる」という条件について、メッシ側は新型コロナウイルスの影響でシーズンが延長されたのだから、適用期間も伸ばされるべきだと主張。バルセロナ側はその条件はすでに失効していると主張した。最終的にメッシはバルセロナとの契約を全うすることを決意し、昨季は公式戦47試合に出場して38ゴールをマーク。今年の7月1日付で“無所属”となっている。

■ディディエ・ランケル・ゼ


 日本代表MF三好康児が所属するロイヤル・アントワープでは、移籍を望む選手がライバルチームのユニフォームで練習場を訪れるという珍事が起きた。

 今年1月、カメルーン人FWディディエ・ランケル・ゼはロイヤル・アントワープのライバルであるアンデルレヒトのユニフォームを着て練習場に到着。入口で警備員に止められる事態となった。ギリシャのパナシナイコスへの移籍を望み、それを強行させるための抗議活動だったようだ。自身のインスタグラムで、「次は(別のライバルチームである)ベールスホットのユニフォームで来る」と、さらなる“脅し”をかけていたランケル・ゼ。まもなくして、アントワープの公式ツイッターに投稿された動画で、「このようなことをしてしまったのは頭がどこか別のところへ行ってしまっていたから。今回の行動を謝罪したい」と自身の過ちを認めている。

■ピーター・オデムウィンギ


 元ナイジェリア代表FWの駆け落ち未遂は今後も語り継がれるだろう。

 2013年冬の移籍市場で、QPRはウェスト・ブロムウィッチ(WBA)所属のオデムウィンギの獲得を希望。同選手も移籍を切望していた。しかしWBA側はオデムウィンギを放出する意志はないと宣言し、同選手が正式に出したトランスファーリクエストも、QPRから届いた2度にわたるオファーも却下。さらにオデムウィンギがツイッターやメディアで移籍志願を公言することに苦言を呈していた。業を煮やしたオデムウィンギは移籍期限最終日に思い切った行動に出た。QPRの本拠地であるロフタス・ロードまで約200キロもの距離を自らの車で移動し、スタジアムの駐車場で待機。わずかな望みに期待をかけていた。しかしQPRはオデムウィンギが中に入るのを拒否。『デイリー・スター』は密着取材を受けていたオデムウィンギが“しっぽを巻いて”ミッドランズに戻ったと振り返っている。

 オデムウィンギの身勝手な行動は激しく批判されたが、当時QPRを率いていたハリー・レドナップ氏は『ザ・サン』紙のコラム内で、「もしも彼に何か罪があるとしたら、それは正直すぎるということだけだ」と擁護している。

(記事/Footmedia)

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