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【コラム】「富士山のような存在に」と期待も…伸び悩んだ大型FW平山相太のプロ13年間

 2018 明治安田生命J1リーグ開幕を1カ月後に控えた今月26日、32歳の大型FW平山相太(ベガルタ仙台)が、突如として現役引退を発表した。

「度重なるケガのため、現役から退き、引退することを決断いたしました」

 クラブを通して本人が出したコメントには苦渋の色がにじみ出ていた……。

 長崎・国見高校時代に2度の高校サッカー選手権優勝を経験し、高校3年で2003年ワールドユース(現U-20ワールドカップ=UAE)に飛び級参戦するなど、10代の頃から将来性を高く評価されてきた平山。同ワールドユースのU-20日本代表を率いた大熊清監督(現セレッソ大阪統括部長)も「平山には富士山のように日本中の人に愛される点取り屋になってほしい」と大きな期待を寄せ、ラウンド16・韓国戦、準々決勝・ブラジル戦などの重要局面で大黒柱に据えたほどだ。このブラジルに日本は1-5で大敗したものの、一矢報いるゴールを奪ったのもこの男。同僚だった川島永嗣(メス)や今野泰幸(ガンバ大阪)も「平山は怪物」と口を揃えていた。

 これで一気にブレイクした大型FWは、筑波大学進学直後に開かれた2004年アテネ・オリンピック本大会メンバーに滑り込み、2005年には2度目のワールドユース(オランダ)に出場。この2カ月後には大学を休学(最終的に中退)してオランダ1部のヘラクレスへ赴く。そして異国1年目のシーズンにいきなり8ゴールをマーク。国内外で絶大なインパクトを残した。

平山相太

プロキャリアの始まりはオランダのヘラクレスだった [写真]=Getty Images

 当時の平山はまだ20歳。凄まじい勢いで階段を駆け上がっていく若武者は日本サッカー界の希望に他ならなかった。2008年の北京五輪に向けて2006年夏にチームを発足させた反町康治監督(現松本山雅)もわざわざオランダを尋ねて『お前のことは次の五輪代表の重要な戦力だと考えている。頑張ってくれ』と本人にエールを送ったという。

 ところが、直後の2006年9月、平山はヘラクレスを退団し、FC東京に新天地を求めた。監督交代によるストレスなどが原因と言われたが、オランダで十分活躍できるだけのポテンシャルがあるのに早々とJリーグ復帰を選択したことには賛否労論が渦巻いた。

 それでも本人は前向きに取り組み、原博実監督(現Jリーグ副理事長)も成長を力強く後押しした。190センチの長身にもかかわらずヘディングに課題があることを見抜き、特別練習を課すなど、平山を日本屈指のストライカーに育て上げようと懸命なアプローチを試みた。しかしながら、効果は思うように出ず、平山はクラブで絶対的地位をつかめない。2008年に城福浩監督(現サンフレッチェ広島)がFC東京指揮官に就任してからも状況は変わらなかった。この停滞感を反町監督も見逃さず、北京五輪予選途中から彼を重用しなくなる。最終的には豊田陽平(蔚山現代)や李忠成(浦和レッズ)にFWの座をさらわれ、2度目の五輪出場はならなかった。

平山相太

FC東京では定位置の確保に苦しんだ [写真]=Getty Images

 苦しい時期を耐え抜いた平山は、2009年から2010年にかけては復調。2010年1月には岡田武史監督(現FC今治代表)率いる若手のみの日本代表に招集され、2011年アジアカップ(カタール)最終予選・イエメン戦(サナア)で待望の国際Aマッチデビューを飾った。この大一番で大型FWはいきなりハットトリックを達成。岡田監督に「期待以上の働きを見せた」と絶賛され、南アフリカ・ワールドカップ行きのチャンスも広がった。結果的にその夢は果たせなかったものの、2010年はJ1リーグでキャリアハイの30試合出場7ゴールをマーク。これを足掛かりに、20代半ばになった平山が再ブレイクするのではないかという前向きな見方も強まった。

 しかし、その先は負傷の繰り返し。ここまでケガに泣かされた選手も珍しいというくらい、立て続けに長期離脱を強いられた。再起を賭けて2017年に赴いた2つ目のJクラブ、ベガルタ仙台でも出場はゼロ。本人が現役続行の意欲を失い、引退という道を選んでしまうのも、ある意味、やむを得ないことだったのかもしれない。

 平山のように10代後半から20代前半にかけて異彩を放つ「早熟の天才」は少なからずいる。そこで我々日本人は過度の期待をかけすぎる傾向が強い。実際、メディアもファンも若かりし彼のところに押し寄せた。もともとシャイで口数の少ない平山にとって、こうした環境は大きな負担だったかもしれない。メンタル的にストレスを感じた状態に追い打ちをかけるように、所属チームと年代別代表の行き来を余儀なくされ、肉体的にも限界まで追い込まれることが、ケガや伸び悩みにつながった可能性も否定できない。

 それ以外の例を見ても、17歳322日という日本代表最年少デビュー記録を持つ市川大祐(清水普及部スタッフ)もオーバートレーニング症候群に陥った過去があるし、18歳で日の丸をつけた山田直輝(浦和)も相次ぐ負傷に悩まされた。19歳でデビューした内田篤人(シャルケ)にしてもそう。平山はその最たる存在かもしれない。栄光と挫折を経験してきた大型FWのキャリアを再検証しフィードバックすることは、今後の日本サッカー界にとって必ずプラスになるはずだ。

 彼自身の先々の身の振り方はまだ明らかにされていないが、ぜひとも自身の貴重な経験を伝える側に回ってほしい。指導者でもいいし、Jクラブのスタッフでもいいし、大学に行き直して教員になる道もあるだろう。怪物と称された男の第2の人生が大きく花開くことを、改めて切に祈りたい。

文=元川悦子

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