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“ネクスト・セスク”の理想と現実―若手スペイン人選手が目指すプレミアの舞台

2013.02.25

ワールドサッカーキング 0307号 掲載]

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文=ヘラルド・ロハス
翻訳=池田敏明

 

 ワールドサッカーキング最新号では、バルセロナのカンテラで育ち、プレミアリーグでブレイクを果たしたセスク・ファブレガスのリポートを掲載している。セスクの活躍により、プレミアリーグでスペイン人の“青田買いブーム”が起こった。しかし、その後、“第二のセスク”は現れていない。10代半ばで海外移籍を決断した逸材たちの現在地を追う。

 

セスクの成功により、若手が次々と渡英

 

 近年、欧州ビッグクラブの下部組織は多国籍化が進んでいる。世界中にスカウトを派遣し、将来性豊かな若者を引き抜いて自前の育成機関で育てているのだ。これには完成された選手を獲得するよりも資金が掛からず、同時にクラブ独自の哲学や戦術を教え込みやすいという利点がある。

 

 アーセナルのアカデミーも例外ではない。イングランド人プレーヤーは半分程度で、その他の選手の出身地はドイツやスイス、スウェーデン、ガーナ、モロッコ、アルゼンチン、ジャマイカと多岐にわたる。特に目を引くのがスペイン人プレーヤーの存在感だ。リザーブチームのキャプテンを務め、既にトップチームでも試合に出場しているDFイグナシ・ミケル、右サイドバックのエクトル・ベジェリン、左利きのアタッカー、ジョン・トラルと、リザーブチームには3人のスペイン人がいる。彼らには共通項がある。驚くことに、全員がバルセロナのカンテラ「ラ・マシア」の出身なのだ。特にベジェリンとトラルはラ・マシアから直接、アーセナルに移籍してプロ契約を結んでおり、その際には少なからぬ議論を巻き起こしている。

 

 プロ契約を結んでいない若者がスペインからイングランドに渡る。この流れを作り出したのは、言うまでもなく2003年9月のセスク・ファブレガスのケースだ。ファブレガスは当時、ラ・マシアでリオネル・メッシやジェラール・ピケとチームメートだったが、16歳の時にアーセナルとプロ契約を締結。すぐさまトップデビューを飾ると、程なくアーセナルのパスサッカーをコントロールする司令塔として、またキャプテンとして、不動の地位を築いた。2011年8月に本人の希望で古巣バルサへの復帰を果たしたが、アーセナルでの8年間で人間的にもプレーヤーとしても非常に大きく成長したと言えるだろう。

 

 ファブレガスのアーセナル移籍が実現した主な要因は3つ。本人が「トップチームではチャビが将来を嘱望されていたし、アンドレス(イニエスタ)もいた。自分がトップチームで活躍するイメージが見えなかった」と語るとおり、チャンスを求めての移籍だったことが分かる。また、当時はバルサが低迷期を迎えていたのに対し、アーセナルは美しいパスサッカーでプレミアリーグを席巻していた。ファブレガスがどちらにより魅力を感じたのかは考えなくても分かる。

 

 更にもう一つ、プロ契約を結べる年齢がスペインでは18歳であるのに対し、イギリスでは16歳であるため、アーセナルはこの差を利用することができた。トップチーム昇格の望みが薄い16歳の若者に、プロ契約とトップチームでのプレーの話を持ち掛ければどうなるか。答えは明白だ。一説には、アーセナル側はファブレガス一家に住居を提供し、父親に仕事を斡旋することで、「両親の移住に伴う移籍」という形を作り上げたという。このやり方がバルサ側の怒りを買ったのは確かだが、普通に考えれば少年が社会人になる際、様々な選択肢を考慮に入れて最も条件のいい職場、自分を最も高く評価してくれる人物がいる場所を選びたがるのは当然のこと。ファブレガスの決断を周囲が批判することはできない。

 

 

“第二のセスク”を夢見たフラン・メリダの末路

 

 では、ファブレガスがアーセナルで成功をつかめた要因はどこにあるのか。ファブレガスは16歳177日というクラブ史上最年少でトップデビューを飾ったが、いきなり重責を担うことはなかった。当時、アーセナルの中盤にはパトリック・ヴィエイラやジウベルト・シウヴァといった“重鎮”がおり、しかもチームは無敗街道を爆走中。リーグカップでデビューしたファブレガスもプレミアのピッチに立つことはなく、偉大な先輩のアドバイスを受けながらじっくりとイングランドサッカーを学ぶことができた。チーム内にスペイン語を解するフィリップ・センデロスがいたため、公私にわたるサポートを受けられたことも大きい。こうして十分な“助走期間”を得たファブレガスは、04-05シーズンからレギュラーとして活躍し始める。その後は急成長を遂げていくことになるが、これはもちろんファブレガス自身の選手としての能力、未知なる環境への適応能力が大きく作用した。アーセン・ヴェンゲルの志向するパスサッカーがバルサのものに近く、ファブレガスにとって対応しやすかったのも幸いしたはずだ。

 

 様々な要素が積み重なった結果、ファブレガスは成功への扉を開くことができた。では、現在アーセナルのリザーブでプレーしているミケルやベジェリン、トラルはどうか。ファブレガスに比べて、状況は厳しいと言わざるを得ない。

 

 05年9月、アーセナルはファブレガスと同様、バルサからフラン・メリダを引き抜いた。16歳の誕生日直前に失踪し、そのままドーバー海峡を渡ってアーセナルと契約を結ぶという“ウルトラC”をやってのけたメリダだが、アーセナルのトップチームで際立った活躍を見せることはできなかった。公式戦出場は通算でわずか16試合。2010年にはメリダ本人が契約延長を拒否してアトレティコ・マドリーに移籍したが、ここでも芽が出ず、現在はスペイン2部のエルクレスでプレーしている。かつて年代別スペイン代表で10番を背負った男が、22歳にして暗転のキャリアを送っているのだ。

 

 メリダがアーセナルで成功できなかったのは、本人の資質や適応力、向上心の問題もあるだろうが、“ファブレガスになること”を求められた点も少なからぬ影響を与えたと考えられる。彼がアーセナルと契約を結んだ時、ファブレガスは既にトップチームで重要な存在になっていた。クラブ首脳陣も、ファンも、そしてもちろんヴェンゲル監督も、メリダに対して「ファブレガスのようになってほしい」と期待を寄せたに違いない。だが、前述したとおりファブレガスの成功は様々な要素によって導かれたもの。一つでも欠けると同様の活躍をするのは難しくなる。メリダはそれを乗り越えることができなかったのだ。

 

 ミケルやベジェリン、トラルについても同じことが言える。たとえポジションが別でも、ファブレガスとの比較は免れない。しかし、10代後半でリザーブチームに所属している彼らが、17歳にしてトップチームの主力を張ったファブレガスと同等の活躍ができるとは思えない。

 

 また、現在はマンチェスター・シティーのダビド・シルバ、チェルシーのフアン・マタとフェルナンド・トーレスなど、スペイン代表の主力クラスがプレミアでプレーし、これ以上ない存在感を放っている。アーセナルのトップチームにもサンティ・カソルラが加入し、瞬く間にチームの中心となった。今の若者たちは、彼らとの競争をも勝ち抜かなければならない。母国でプロの舞台に立ったことすらない若者が、泣く子も黙る“世界王者”の代表選手を上回る活躍を披露できるだろうか。はっきり言って、やる前から勝負は見えている。

 

 今現在も、スペインクラブの下部組織に所属しながらイングランド行きを視野に入れている若者がいるはずだ。スペインよりも資金面で恵まれたイングランドは魅力的に映るだろう。だが、果たしてデビュー前の移籍は得策だろうか。トップ昇格し、あるいはスペイン国内の他のクラブでプロデビューを飾り、実績を積んでから移籍しても遅くないのではないだろうか。自身の、そしてスペインサッカーの未来のためにも、彼らは慎重に進路を決めなければならない。

 

 

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