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平均年齢約23歳の湘南ベルマーレ。若手の台頭とクラブ体質の変化はスクール事業拡大にあった

2013.01.21

2012年11月、湘南ベルマーレは自動昇格枠の2位でシーズンを終え、3年ぶりのJ1復帰を果たした。長いシーズンを戦い抜いたチームの平均年齢は約23歳。副キャプテンを務める19歳の遠藤航を始め、下部組織や地元で育った選手も少なくない。2004年に湘南ベルマーレの社長となった真壁潔氏は言う。「理念に基づいた育成を貫いた結果、“強い選手”が育っていると実感している」。今季の快進撃の裏には、2000年代初頭から始まったスクール事業拡大、地域に根ざした育成の整備があった。湘南の今を支える、育成方針とスクール事業を真壁社長の言葉で紐解く。
平均年齢約23歳の湘南ベルマーレ。若手の台頭とクラブ体質の変化はスクール事業拡大にあった
インタビュー=岩本義弘 写真=山口剛生、鈴木敏郎

「ホーム平塚以外への拠点確保がスクール事業拡大の課題だった」

――まずは湘南ベルマーレのサッカースクール事業について、発足の経緯を教えてください。

真壁 湘南ベルマーレの前身であり、当時日本リーグに参戦していたフジタ工業サッカー部時代から育成に定評のあるサッカースクールを運営していました。Jリーグ発足後はジュニアユース、ユースのチームが誕生したのですが、当初はクラブそのものが大幅な経営赤字の状態にあり、一時期は規模を縮小しようとする動きもありました。ただ、私たちは歴史ある下部組織の存在が地域の皆さんと最も身近につながっている要素の一つだと考えていたので、簡単には失いたくなかった。

――そうした苦しい状況から、事業としての根本的な見直しを図られたのですね。

真壁 そのとおりです。単純な話ですが、経営的な状況を改善しなければならないのなら、もっと多くの子どもたちに通ってもらえるスクールにすればいい。そうすれば、トップチームの結果や人気を別にして、それまで築き上げてきたスクールと地域の良い関係を生かせるのではないかと。2000年当時、スクールと下部組織を合わせても240名ほどしか在籍していませんでしたから。少なくともこの数を倍にする必要がありました。もちろん、下部組織の在籍人数が拡大するということは、やがてトップチームに上がる才能の発掘にもつながりますから、スカウティングという重要な役割も担っているわけです。

――そうしたピラミッドを完成させることが大事であると、お考えになられたのですね。

真壁 ジュニアユース以下の組織をNPO法人として独立させることで、クラブに2つのピラミッドができあがりました。そうすることで育成部門の運営も安定し、2006年には在籍600名という目標を突破しました。そこから現在の1600名にまで拡大するまでにやらなければならなかったのは、組織としての規模を拡大することです。一つはコーチを大幅に増やすこと。もう一つは拠点を増やすということですね。後者については、クラブが拠点とする平塚市以外の地域に、いかに拡大するかということが課題でした。我々のように規模の小さなクラブにとって、新たに場所を確保するのは非常に難しいことなのです。

――しかし現在は、秦野市、藤沢市、茅ヶ崎市と平塚市周辺の地域にスクールを設置することに成功されています。

真壁 秦野校については、兼ねてからクラブのスポンサーを引き受けてくださっていた温泉施設の協力を得ることで実現しました。駐車場の一部にフットサルコートを設置してくださり、共同事業として場所を提供してくださったのです。その事例を皮切りに、藤沢では江ノ島電鉄さんにご賛同いただき、駅前デパートの屋上にフットサルコートを設置してくださいました。さらに、茅ヶ崎では亀井工業さんという地元企業の協力を得て、同社が資材置き場として活用していた土地に同じようにフットサルコートを設置してくださいました。つまり、3校とも各企業様が独自にフットサルコートを作っていただくというご厚意をによって、私たちにとっては初期投資を最小限に抑えることができたのです。この3校を皮切りに、現在は13の拠点を抱えるまでに拡大させることができました。

――そうした独自の試みが、結果的には現在の成功を招く要因となりました。

真壁 我々が生き残るための最善の方法だったと思います。ご存じのとおり、近隣には横浜F・マリノスや川崎フロンターレ、東京ヴェルディといったクラブがあります。かつては平塚駅から電車に乗って、そういったクラブのスクールや下部組織に通う子どもたちが少なくありませんでした。しかし、それでは“地域に根ざした湘南ベルマーレ”という青写真を描くことができない。そうした危機感があって、育成に力を入れるべきだと考えました。


平均年齢約23歳の湘南ベルマーレ。若手の台頭とクラブ体質の変化はスクール事業拡大にあった
――そうした土台作りに専念していた真壁さんがクラブの社長に就任されたのは、2004年のことでした。

真壁 もちろんそれ以降も、長期的な視野を持って育成に力を入れるという方針を変えることはありませんでした。翌2005年から強化部長を務めることになる大倉智をC大阪から呼び寄せて現場を託したのですが、彼はクラブの下部組織に在籍する子どもたちを見て、レベルの高さとさらなる発展を確信してくれた。だから我々も、ある程度のリスクを背負いながらでも、この方針を加速させることを決断しました。その頃、現在の監督である曺貴裁(チョウ・キジェ)を呼び寄せて、彼を育成のトップに据えることになりました。

――そこから、育成部門の改革が始まったと。

真壁 そうですね。現在、トップチームにいる下部組織出身の選手は、多くが曺の教え子です。これは育成の理念でもあるわけですが、つまり、大切なのは目の前のゴミを拾える子を育てなければならないということ。我々は2009年に「FUTURE2015」」という理念を掲げましたが、これは基本的に曺が作ったと言っても過言ではありません。そうした理念に基づいた育成を貫いた結果、“強い選手”が育っていると実感しています。

――育成で実績を残した曺さんをトップチームの監督に据えるという決断に至った経緯を教えてください。

真壁 まず、反町康治氏が2009年に監督になるにあたって、育成からの“卒業”としてトップチームのコーチをやってもらうことになりました。もちろん、その背景には育成部門からの引き上げによるチームの若返りを図ろうという狙いがあります。強化部長である大倉智の強い要望でもありました。チームは1年でJ2に降格してしまうわけですが、反町は2011年も監督を継続してくれた。その後釜として名前が挙がったのが曺でした。

――その当時、曺さんを育成部門に戻すという考えもあったとお聞きしました。

真壁 そうですね。私も大倉も、彼をもう一度育成に戻して育成部門を再構築したいという考えを持っていました。彼には選手を育てる力がありますから、改めてそこを強化すべきだと。しかし一方で、次の監督としてふさわしい条件もそろっていた。若手のことをよく理解しているし、ベテラン選手との関係も非常にいい。大倉の「曺しかいない」という言葉を信じて、彼に監督の仕事を託すことにしました。育成に関しては、スクール事業の最前線に立つ若いコーチたちが、非常に強い自覚を持って仕事に臨んでくれました。

――その結果、育成についても理想的な環境が保たれたと。

真壁 はい。まずは明確な理念があって、クラブ全体が同じ方向に向かって動くという環境ができあがったと思います。私たちが育てようとしているのは、足下の技術に長けている選手ではありません。それよりも大事なのは、サッカー選手として90分間走れること、きちんとした挨拶ができること、目の前のゴミを拾えること。そういう選手は、プロになっても自分の力で成長することができる。

――今シーズンの快進撃は、周囲の予想を覆す結果だったと思います。

真壁 前評判が低かったことが、逆にチームの士気を高めたと言えるかもしれません。曺は補強に頼ることなく、最低限の補強と、現有戦力をうまく使うことで結果を出せると確信していました。「俺たちでもやれる」という雰囲気が一体感の原動力となり、結果を出し始めることで勢いに乗ったと思います。

――結果的には、大幅な若返りにも成功しました。

真壁 今シーズンの平均年齢は約23歳。副キャプテンの遠藤航は19歳ですから、大幅な若返りに成功していると言えると思います。こういった環境の下では、当然ながらその年の財産を来年に持ち越すことができる。今は階段の1段目でしっかりステップを踏めているので、少しずつステップアップしていけばいいと思います。今シーズンは残り5試合の時点で2位という好位置につけていました。ただ、その状況で4試合勝利がなかったので、強化部長の大倉にこう伝えました。「この時期に2位にいるとは俺は思わなかった。だから残りの5試合は、好きにやったらどうだ。春先を同じように選手が生き生きとできるように」と。2011年当時の反町監督が抱えていた悩みは、まさに選手が生き生きとプレーしていなかったことなのです。だから、どうしてもその状態を取り戻して欲しかった。結果的には、スタジアムに足を運んでくれる人が「面白い」と感じてくれるサッカーを見せて、「ベルマーレは変わった」と思ってもらえるようになったと思います。

――今シーズンは結果だけでなく、サッカーの内容そのものも見事でした。

真壁 曺は「守ってカウンターのサッカーで勝つことはできるかもしれない。でも見ている人ややっている選手が面白いと感じるサッカーは何か。アグレッシブにゴールに向かうサッカーではないか。自分たちは湘南らしいサッカーを貫く」と言ってそれを貫きました。彼のそういった姿勢がチームに浸透し、彼が育てた選手たちとの信頼感が今シーズンの内容を伴う結果につながったと思います。つまり、曺は人間味のある指導者。私が社長になってから4人の指導者が監督を務めましたが、それぞれに個性がある。その中で、彼が持っているのは選手たちを“その気”にさせる人間性だと思うのです。もちろん、30人の選手全員に「やってみようか」と思わせるのは難しい。しかし、曺の場合はその“率”が極めて少ないと感じています。彼を推薦した水谷と大倉は、曺と学生時代から付き合いのある人物ですが、彼らが言う「アイツは何か持っている」という言葉は間違いではなかったということですね。これはクラブにとって、非常に大きな財産であると考えています。

――そういった雰囲気が定着すると、クラブの体質そのものも大きく変化する気がします。

真壁 そうですね。やはり、そうした“人間力”を育てることが、サッカークラブの育成において非常に重要であると痛感しています。例えば、才能のある若者がプロ契約を結んだにもかかわらず、目も出ないままドロップアウトしてしまうケースは少なくない。ただ、彼らは本来、選ばれてプロの世界にたどり着いた子たちですから、本当は何か光るものを持っているはずなんです。だから、彼らには正当な機会を与えたい。曺は子どもたちのそういった変化に気づく才能を持っているんだと思います。

「これからの日本サッカーは、個性を伸ばさなければならない」

平均年齢約23歳の湘南ベルマーレ。若手の台頭とクラブ体質の変化はスクール事業拡大にあった
――基本理念は下部組織として一貫したものなのでしょうか?

真壁 もちろんです。スクール指導にある「人間性を育てます、一生懸命」というキャッチフレーズは、非常にわかりやすい言葉であると自負しています。この他にもいくつかキーワードをアカデミー全体の指針として掲げています。特に、スクールの活動におけるキャッチフレーズはさらにわかりやすく、具体的に。簡単に言うと、スクールに来るのは小学校3、4、5年ですから、子どもが見て分かる言葉でなければなりません。

――「スーパークラス」は何年生を対象としているのでしょうか?

真壁 5、6年生の“塾”とお考えいただければわかりやすいと思います。少年団のクラブから能力の高い子が1人抜けると急に弱くなってしまいますよね。Jリーグの他のどのクラブでも同じ現象が起こっていると思うのですが、4、5年生のセレクションをやる時に、両親、少年団の了解をもらうのですが、所属クラブの反感を買うことももちろんあります。ですから、自分のチームで同じように頑張ってもらって、火曜、水曜のウイークデーは少年団も練習がないから、塾と同様の通い方をしてもらえればいい。子どもたちにとっては、ジュニアユースのセレクションを受けるという選択肢の拡大にもつながりますし、地域の指導者の皆さんとの軋轢も生まれにくいと考えています。

――つまり、湘南ベルマーレの一員としてはジュニアユースから正式に加わればいい。

真壁 そのとおりです。塾として「スーパークラス」に通っている間は、例えばFリーガーのボラといった一流の選手にトレーニングを見てもらうこともできるわけです。ですから、たとえチームとして活動していなくても、非常に意味のある時間を過ごすことができる。「スーパークラス」で学んだことを所属チームに持ち帰って、本人の希望とクラブの意向が合致すればジュニアユースへの道もひらける。クラブとしては、Fリーガーに子どもたちを教えてもらうことで、新たな仕事を提供することにもつながります。例えばボラの場合、やはり能力的な部分では子どもたちが一目見てわかるレベルの持ち主です。ですから、彼に教わる子どもたちが手にする財産も大きい。ボラやジオゴのトレーニングを受けている「スーパークラス」の子どもたちを見ていると、目に見えてどんどん上達します。その姿を見ているだけでも、非常に楽しいですよ(笑)。

――フットサル選手の独特のプレーを見て、子どもたちもサッカーに取り入れるようになれば、よりうまくなることは間違いありませんね。

真壁 何よりも子どもたちが楽しそうにボールを蹴っているので、非常に大きな意味があると感じています。最初はコーチのテクニックにただ圧倒されていた子どもたちが、1年半も経てば「ボラコーチからボールを奪ってやろう!」と思うようになる。サッカーがうまくなるということは、まさにそういうことだと思うんですね。現在は岸本武志や藤井健太も指導にあたっていますが、子どもたちの変化は明らかです。

――Fリーグのチームを抱えるクラブとして、非常に理想的な体制と言える気がします。

真壁 そうですね。現実問題として、Fリーグの選手たちの環境は厳しい。彼らにも生活があるから、少しでも多くの仕事を提供することが私たちの義務でもあると考えています。しかも、可能な限りボールを蹴る仕事であるほうが好ましい。子どもたちはFリーガーのテクニックに大きな興味を抱き、ハイレベルなテクニックを目の当たりにして向上心を掻き立てられますから、お互いの利益が合致する非常に理想的な関係であると思います。

――子どもの頃にフットサルを学ぶことの有効性は、世界の常識になりつつあります。

真壁 ブラジルやスペインの強さが、それを証明していますよね。これからの日本サッカーは、個性を伸ばさなければならない。早くから個性を伸ばすためにも、フットサルは非常に有効な手段の一つだと考えています。小さくでも90分間走り抜ける走力、小さくても高くジャンプできる、大きな選手の間をすり抜けられるという能力は、日本人選手が育むべき能力ではないかという気がしています。そういった意味においても、フットサルコーチから指導を受けることは子どもたちにとって何らかのきっかけになるかもしれません。

「近隣クラブへのライバル意識は必要」

――今シーズンのスクール生は1500人とお聞きしましたが、今後の目標を教えていただけますか?

真壁 まずは2000人を達成したいですね。目標とする2015年まであと2年しかありませんが、クラブ全体として到達させようと前向きに取り組んでいます。そのためには、やはり新たなエリアに拡大していく必要があります。施設さえできれば、最初はスクールの占有率が40パーセントくらいのものですが、2年間継続すれば90パーセント近くまで上昇しうるという実績があります。ただし、忘れてはならないのは、親御さんも単にサッカーが好きで連れてきているのではないということ。子どもたちの保護者たちは、必ず指導者の身なりや態度を見ています。だからこそ、さきほどから申し上げているような“人間教育”がクラブ内でも必要とされるのです。そうした努力が実れば、目標を達成することも十分に可能であると考えています。

――スクールの将来的な理想形はどういったものですか?

真壁 これはいつも言っています。「横浜F・マリノスに並べ」。今、横浜F・マリノスは3000人くらいのスクール生が在籍していますから、同じ県下で活動するスクールとして、まずは日本で最も多くのスクール生を抱えるクラブを目標にしようと。近隣では兼ねてから育成に定評のある東京ヴェルディも非常に多くの子どもたちが通っていますから、もちろん意識しています。やはり、こうした活動にもライバルは必要だと思っていますので、規模でも、質でも、そしてもちろんピッチ上の勝負でも挑戦しなければならない。曺をはじめ、湘南ベルマーレのコーチ陣は「横浜F・マリノスに負けたくない」という気持ちを持っていますから、それは素直に、ポジティブなテーマとして持っておけばいい。どのカテゴリーの大会でも、県大会でベスト4以上になると必ずJリーグの下部組織と対戦することになります。例えば横浜F・マリノスについては、曺が育成のトップにいた頃に、斎藤学選手に何度もやられました(笑)。そうした思い出があって、2011年シーズンのJ2で愛媛FCと対戦した際にもまた斎藤選手に同点ゴールを奪われてしまった。そういった、育成年代から作り上げられたライバル意識というのは、とても重要であると思っています。

――確かに、斎藤学選手は育成年代から非常に有名な選手でした。

真壁 もちろん、私たちも彼のことを子どもの頃から知っていて、「また斎藤君にやられた」という思いを何度も味わっているわけです(笑)。そういう意味では、彼がU-23日本代表としてロンドン五輪に出場してくれたことがうれしかった。繰り返しになりますが、ライバルとしてそういった意識を持つことは、非常に重要だと思うんですね。つまり、我々も斎藤君のような選手を育てられるように、育成機関を充実させなければならない。我々にとって、彼はとても分かりやすい目標の一つであるというわけです。そうやって目指す目標が明確になれば、子どもたちの進むべき道も見えてくる。選手を育てるということには、いろんなモチベーションが影響しますからね。

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